第13話 嘘【上】

 付き合うべきじゃない――なんて広幸さんに言われて、そんなの厭だ、て思っちゃったんだ。そのとき、気づいた。もう、それが『答え』なんだ、て。

 とっくに、私の中で答えは出てたんだ。ただ、答え合わせをしたかっただけ。大丈夫だよ、て誰かに言って欲しかっただけ。幸祈となら大丈夫、付き合ってもうまくいくよ――そんな言葉が欲しくて、きっと、私は広幸さんのところに行ったんだ。

 でも、間違ってた。

 どんな言葉を他の誰にもらおうと意味なんて無かったんだ。私に必要なのは、最初からずっと幸祈の言葉で――。


「幸祈に……訊きたいことがあるの」


 顔を上げてそう言って、私は幸祈を真っ直ぐに見つめた。


「もう何年も、ずっと……幸祈に訊きたいことがあって、私はいつも幸祈をここで待ってたんだ」


 幸祈はきょとんとしてから、訝しげに「え」と眉を顰めた。

 どういうことだ、とでも言いたげなその表情を真っ向から見つめて、やっぱり、顔がじんわり熱くなって、胸の奥がぞわぞわとしてくる。ずっと、何年も傍にいたけど……そういえば、こんなふうに黙って見つめ合うなんて、初めて――な気がして。交わる視線が恥ずかしい。どんな顔すればいいのか、分からなくなってくる。目を逸らしたくなる。顔を背けたくなる。憎まれ口叩いてはぐらかしたくなる。そうやって、いつもみたいに逃げ出したくなる――けど……ぐっと堪えて、見つめ返した。

 変わりたい、と思うから。幸祈とのこの関係を変えたい、と思うから。

 向かい合うのは、まだ慣れないけど。躊躇いなく見つめてくるその眼差しは、真っ直ぐすぎて怖いくらいだけど。でも……知っちゃったんだ。身体がまだ覚えてる。この関係の先――幸祈の胸の中の心地よさ。暖かくて逞しい感触。安心感に包まれて、満たされる感じ。こうして見つめ合っていると、どうしても、そのときのことが蘇ってきてしまって。鳩尾の奥がきゅうっと締め付けられて、身体の芯が熱を帯びて疼きだして……いてもたってもいられなくなる。に戻りたい、て切ないほどにそう思ってしまうから。

 言うんだ。私の気持ち、全部、素直に伝えるんだ。それで、訊こう。気になることは全部、訊けばいい。

 たとえ、別人みたいに思えても、幸祈は……私が好きになった人は、目の前にいるこの人で。ずっと、好きだったんだ。『分からない』で終わらせたくなんてない――。

 ぎゅっとスカートを握り締め、「私……」と言いかけたときだった。


「帆波……」幸祈が不思議そうに目をパチクリさせながら口火を切って、「何……言ってんの?」

「え……」


 『何言ってんの』?


「な……何言ってんの、て……」

「いや……俺を待ってた、って……違うだろ? お前がいつも会いに来てたの……兄貴、だろ?」

「は……はあ? あんたこそ、何言ってんの? 今日は、確かに広幸さんに用事があったけど……今までは違うわよ! なんで、私が広幸さんに会いに来るのよ?」

「なんでって……兄貴のこと好きだから、だろ」


 その瞬間、そうだった――て、思い出したように、一気に怒りと恥ずかしさが頭のてっぺんまで駆け上ってくるようだった。


「違うわよ!」


 思わず、そう声を張り上げ、私は苛立ちのままにズカズカと幸祈に歩み寄り、


「その勘違い、一体、なんなの!? なんでそんな勘違いしてるわけ!? 広幸さんのことは好きよ、大好きよ。でも、それってあんたが広幸さんのこと好きなのと同じ! 私にとっても、広幸さんは『お兄ちゃん』なの!」


 勢いよくそう捲し立てながら、幸祈の目の前まで来て立ち止まる。

 すると、幸祈はさらに表情を曇らせ、困惑もあらわに「じゃあ……」とくぐもった声で言った。


「なんで……お前、『兄貴に会いに来た』っていつも言ってたんだ?」

「はあ!? そんなの嘘に……」


 言いかけ、ハッとして口を噤んだ。

 

 嘘――。

 

 そうだ、『嘘』だ。そういえば……私、ずっと幸祈に嘘ついてたんだ。それは、私にとって、なんの深い意味もない、あまりにも他愛ない嘘だったから……罪悪感さえ覚えないほどになっていて。もはや、口癖みたいになっていたんだ。

 だから、うっかりしていた。

 両手で口許を押さえ、思わず、俯いた。


 そっか――だから、幸祈は勘違いしたんだ。ずっと、勘違いんだ。


 最低だ……。

 佐田さんのこと、幸祈が嘘ついてるんじゃないか、て不安だった。そんな幸祈のことがよく分からなくなって怖くなった。でも……私だって、幸祈に嘘ついてたんだ。幸祈の気持ちも知らず、散々、ひどい嘘ついてきたんだ。

 どんな顔で、幸祈は聞いてたんだろう? それさえも、私は知らない。いつも、目を逸らして、わざと冷たく『広幸さんに会いに来ただけよ』って嘘ついて……そうやって、逃げてたから。

 

 ――俺は、帆波のことが好きだ。ずっと好きだった。これからは……俺に会いに来て欲しい。


 あの告白の意味が、ようやく分かった気がして……胸が痛いほどに締め付けられて、


「ごめん、幸祈」


 ぽつりと、そんな震えた声が漏れ出ていた。


「広幸さんに会いに来たのは今日だけ。今までのは、全部、嘘」


 俯いたまま、静かにそう打ち明けると、「嘘……?」て怪訝そうに呟く幸祈の声が聞こえた。


「全部、嘘って……なんで、そんな嘘ついたんだ?」


 私はそっと口元から手を下ろすと、ゆっくりと顔を上げ、幸祈を見つめた。困惑の表情を浮かべつつも、私を見つめるその眼差しは、相変わらず優しげで慈愛に満ちて……私のよく知る幸祈ので――。


「好きだから」って、その言葉は、自分でも驚くくらいするりと口から溢れでていた。「幸祈のこと、ずっと、私も好きだったから」

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