第3話 初めて【上】
そういえば、朝ごはん食べ損ねた。お腹空いてきたなー、てベッドに寝転びながら、ぼんやり思ったときだった。
枕元に置いておいたスマホが震えた。
ハッとして、咄嗟に取ると、ロック画面にメッセージが表示されていて、
『まだ寝てるのかな? お昼は、トンカツ屋さんのお弁当でいい? 今から、お父さんとお買い物ついでに買ってくるね』
母からだった。
つい、ため息が漏れてしまった。――懲りもせず、落胆する自分がいて、苦笑が溢れる。
『起きてるよ。お弁当楽しみ! いってらっしゃい』
ささっとスマホを操作し、それだけ送る。そして、気づけば……ふらりと指が画面の上を彷徨うように動いて、幸祈とのトーク画面を表示させていた。
そこにあるのは、お互いの家族写真。中学の卒業式の日に撮りあって、送りあったもの。それが、最後……。
スマホをぎゅっと握りしめる。
もともと、幸祈と頻繁に連絡を取り合うこともなかった。取り合う必要もなかったんだ。だって、会えたから。子供の頃から、会って話すのが当たり前だったから。スマホにしがみ付かなくても、会いに行けばいいだけだった。
だから、幸祈から連絡が来なくても何とも思ってなかったんだ。今までは……。
スマホをベッドの上に放り投げ、枕に顔を埋めた。
十日間――幸祈からの連絡は一つも無かった。『最近、来ないけど、どうした?』ってメッセージが来ることも無かった。
初めて……なのに。こんなに会わないことなんて、今まで無かったのに。幸祈はなんとも思ってないんだ。平気なんだ。
――鍵を失って、痛いほどに分かってしまった。
私と幸祈の関係がどれほど脆いものだったのか。どれほど一方的なものだったのか。私が会いに行かなければ、それまでの関係だったんだ。そこで終わる関係だったんだ。こんなにも簡単に……会わないことが当たり前になる。
「まあ、そりゃそうか……」
自嘲気味に呟き、枕から顔を上げ、ハンペンマンを見る。
「私はもう、『邪魔者』でしかないんだもんね」
幸祈には好きな人がいて、きっと、今頃、その子のことで――佐田さんのことで頭がいっぱいなんだ。私が入り込む余地なんてない。きっと、私と十日も会ってないことに幸祈は気づいてもいない。たとえ、気づいてたとしても……このまま、もうウチには来ないでくれ――て、祈ってるかもしれない。
見慣れないバスローブを着て、佐田さんの肩を抱いて去っていくその後ろ姿が、脳裏に蘇ってくる。
『手遅れだペン、ほなみちゃん』
夢から醒めたはずなのに、その声が聞こえた気がした。
* * *
しばらくして、一階からドタバタと慌ただしい足音と話し声が聞こえてきて――忘れ物でもしたのか――玄関の扉が何度も開閉する音が家の中に響いた。やがて、しんと静まり返り、ベッドのどこかでスマホが震えるのが分かった。母からの『いってきます』のメッセージだろう。なんだかもう、スマホを見るのも億劫で……そのまま放ったらかして、ベッドを降りた。
寝不足だし、お腹も空いたし、胸の中もぐちゃぐちゃ。こういうときは……甘いものに限る。確か、母の秘蔵の特大チョコチップアイスが冷凍庫にあったはず。勝手に食べたら叱られるだろうけど、もういいや。
私って、失恋するとやけ食いするタイプなんだ――なんて、そんなことも知らなかった。幸祈が全部、初めてだもん。恋も、失恋も……。だから、どうしたらいいか分からない。食べることしか、思いつかない。
パジャマ姿のまま、ふらふらと階段を降り、リビングの扉を開ける。
「太ったら、幸祈のせいね」
鼻で笑ってそう呟いた、その瞬間――、
「なんでだよ?」
誰もいないはずのリビングに、そんな声が響いた。それは、呆れたようで……でも、決して、突き放すようなものではなく、親しげで暖かみのある声で――しっくりと耳に馴染んだ。
ハッとして見れば、テレビの向かいにあるソファに見慣れた人影があった。重めの前髪はちょっとだけ伸びたかな。でも、さらさらとしたその黒髪は相変わらず。落ち着いた顔立ちは大人っぽくて、男らしくはないけど頼り甲斐がありそうな、そんな雰囲気が漂っている。
「お前、独り言でも、そんなこと言ってんの? どんだけ、俺に恨みがあるんだよ」
そう言いながら、そいつはおもむろに立ち上がって、
「あ……勝手に入ったんじゃ無いからな!?」と慌てたように続け、私の前まで来て立ち止まった。「インターホン押そうと思ったら、おばちゃん達が出てきて、中で待ってたら、て入れてくれたんだ。お前にも連絡しとく、て言ってたけど……その様子だと、気づかなかったみたいだな? まさか、ずっと寝てたのか?」
苦笑しながらも、私を見つめるその眼差しはあまりにも優しげで。少し、ぎこちなく間を空けて、「久しぶりだな、帆波」なんてちょっと照れ臭そうに言うから……。
溢れてくる――。
枯れかけていた心がたちまち潤って、満たされていく。熱いものが胸の奥から溢れ返ってくる。
もうダメだ。堪えきれない。
「幸祈……」って、縋るような、自分でも引くくらい弱々しい声が漏れて、目からポロポロと涙が溢れていた。「――バスローブ、着てない」
「え、バスローブ……!? って、いや……なんで、泣いて――」
我慢できなかった。
何も変わらない、いつもの幸祈がすぐ目の前にいるから。まだ、手の届くところにいて、私の名前を呼んでくれるから。
思わず、私は幸祈の胸に飛び込んでいた。
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