第12話 あからさま【下】
誰だよ!? ――て、吐き捨てるように心の中で俺はツッコんでいた。
なんなんだよ、そのしおらしい態度は?
顔を真っ赤にして、落ち着かない様子で視線を泳がせ……まるで、借りてきた猫状態。少し前まで、そこのソファで腹出して、ぐうすか寝こけていた図太さはどこへいった!?
兄貴が現れた途端、これだ。一瞬にして、帆波はまるで俺の知らない誰かに変わる。
ほんと、分かり易すぎだろ。
あからさまだよな、て端から見ていても呆れてしまう。俺との態度の違いに、これでもか、とその事実を突きつけられるようで。悔しいとか、妬ましいとか……そういう感情さえ湧いてこない。落ち込む気力もなくなるくらいに、打ちのめされる。
そんな俺の心情など、当然、知る由もなく、「いやぁ」と兄貴は呑気に笑って、リビングに入ってきて、
「レポート忘れちゃって、取りに戻ってきただけなんだけど。ごめんね、帆波ちゃん。邪魔しちゃったのは、俺のほうだよね。せっかく、幸祈と……」
「な……何言ってるんですか!?」
ばっと慌てたように兄貴へ振り返ると、帆波は必死な形相で声を上げた。
「邪魔とか……そんなわけないから! 私……広幸さんに会いに来ただけで……だから、会えたから帰る!」
「ああ、そうだった。俺に会いに来てるんだっけ」ソファを挟んで帆波と向かい合うなり、兄貴はぼんやりと呟き、きっと表情を引き締めた。「大丈夫だよ、帆波ちゃん」
「何が大丈夫なんですか!? 私、全然、分からない! ――もう帰る」
あたふたと――なぜか、片言になりながら――見るからに狼狽え、帆波は俺に背を向けるようにして身を翻した……かと思いきや、「あ」とぴたりと動きを止めた。
「そうだ。ハンペンマン……」急に勢いを無くしてぽつりと呟き、兄貴のほうへ顔を向き直し、「広幸さんの……なんだよね。返さないと……」
すると、兄貴は眼鏡の奥でふっと目を細め、
「いいよ。冗談で言っただけだから。もらっていってくれると母さんも喜ぶよ」
「ほんと?」
ぎゅっとハンペンマンを抱きしめ、「ありがと」と帆波は親しげに兄貴を見つめるその横顔にほんのりと笑みを浮かべた。
『はあ!?』と反抗的に睨みつけてくるわけでもなく。ムッとして、不服そうに唇を尖らせるわけでもなく。少し躊躇いながらも、はにかむようなその笑みを、やっぱり俺は真っ向から見たことがない気がして……いたたまれなくなってくる。
なぜ、俺は今ここに居るのだろうか、と哲学とは言えない、悲愴感たっぷりの投げやりな疑問が浮かぶ。
いつも、そうだ。
兄貴が現れるや、がらりと変わる帆波の態度に――、兄貴が帰って来るなり、逃げるように去っていく帆波の後ろ姿に――、そういうものを目の当たりにするたび、自分の中の何かが潰されていくような感じがした。
いつも、いつも……帆波が去ったリビングで兄貴と二人きりになると、途方もない虚無感に吸い込まれそうになる。足元にブラックホールでも開いたみたいに、自分が今にも消えてしまいそうになる。
いつまで、こんなことを続けていけばいいんだ。
もういっそのこと、さっさと付き合ってくれ――と、悲鳴じみた声が胸の中で響く。
なんで、帆波は何もしないんだ? 兄貴に会いに来といて、兄貴が帰って来ても、ろくに会話もせずに逃げていくし、『もう少しで帰ってくる』と言っても兄貴を待たずに帰って行くこともある。そんなんで、どうしたいんだ? 告る気あんのかよ?
兄貴も兄貴だ――と、八つ当たりみたいな不満がこみ上げてきて、
「もっとちゃんと帆波の話、聞いてやれよ」
バタン、と玄関から扉が閉まる音が聞こえるや、俺はダイニングへ向かう兄貴の背中に責めるような声色で食いかかっていた。
「帆波ちゃんの話?」はたりと足を止め、兄貴は振り返り、「ちゃんと聞いてたつもりだけど……」
「『俺に会いに来てるんだっけ』ってなんだよ? いつも、そうやって茶化して、はぐらかしてるよな」
「茶化してる……ように聞こえた?」眼鏡の奥で意外そうに目を丸くしてから、兄貴は腕を組んで思案顔。「それは良くないな。気をつけるよ」
なんだ、それ? 気をつける……って、そういう問題じゃないだろ。
喉の奥がかあっと焼けるように熱くなる。捌け口も無く、胸の奥底で溜まりに溜まった鬱憤が、どっとマグマみたいに噴き出してくるようだった。
「帆波の気持ち、本当は分かってんだろ! いい加減、曖昧な態度はやめろよ」
帆波も去って、すっかり静まり返ったリビングに、俺の怒号が響き渡っていた。
――その声に、自分でも驚いた。
帆波とはぎゃあぎゃあと声を荒らげて喧嘩はしてきたけど……兄貴とは六つも年が離れているし、昔からのらりくらりとした性格の兄貴は俺はもとより親とも揉めることも無く、兄弟喧嘩というものをした記憶はない。こんなふうに、兄貴に怒鳴りつけたことは初めてだった。
当然、兄貴も面食らった様子で、しばらくぽかんとしていたが……ややあってから、心底不思議そうに俺をまじまじと見てきて、
「え? 曖昧な態度って……? いや……それより、帆波ちゃんの気持ち――って、幸祈、気づいてたの!?」
「き……気づいてたの、てなんだよ? そりゃ、分かるだろ。あからさまだし……」
「まあ、そうだよね。そうなんだけど……そっか、幸祈は分かってたのか」
何やらぼそぼそと独りごちて、ふいに、兄貴は怪訝な表情を浮かべた。「分かってるなら……」と体ごとこちらに向けて、小首を傾げる。
「幸祈は何を待ってんの? 婚期を気にする歳でもないだろ。早く、告白しなよ」
「は……?」
な……なに? なんて……? 待つ? 告白? コンキ!?
「な……何言ってんだよ、いきなり!?」
「そういうのいいから」へらっと笑って、兄貴はぱたぱた手を振り、「帆波ちゃんのこと、好きなんだろ。幸祈もあからさまだから。見てたら分かるよ」
ぼっと火がついたように顔が熱くなった。
俺もあからさま? 兄貴にバレてたのか――って、ちょっと待て!?
なんで? なんで、俺の話になってる? 違うだろ。俺のことじゃなくて……帆波が兄貴のことを好きだ、て話で。だから……ダメだろ。俺が帆波のことを好きだなんて、兄貴とそんな話になったらまずいだろ!
あ……とその瞬間、ぞくりと背筋に戦慄が走った。
脳裏をよぎったのは、さっき見た帆波の笑顔で。
ありがと――て、頰を染め、兄貴を見つめて微笑むその横顔が、目の前に蘇ってくるようで。
罪悪感に胸が締め付けられる。
そうだ。いつも、思ってたんだ。
帆波と兄貴が一緒にいるのを見るたび、なぜ、俺は今ここに居るのだろうか、て。俺はただの邪魔者じゃないか、てずっと思ってたんだ。
兄貴の言う通り、俺は帆波のことが好きだ。
好きだけど……好き――だからこそ、邪魔はしたくない、と思う。帆波の邪魔になりたくはない。
どうせ、この気持ちは捨てるつもりのものだったんだ。俺は帆波にとって『恋愛対象外』だと確信したあのときに、ただの幼馴染に戻る覚悟は決めていたんだ。
だから……何も躊躇うことはないはずだ。
いつのまにか、動揺に荒れ狂うようだった胸の中が静まり返っていた。
胸のつかえが取れたような爽快感さえあって。すうっと深く息を吸い込み、俺は真っ向から兄貴を見つめて言った。
「それ、兄貴の勘違いだから。帆波はただの幼馴染で……好きだとか、そういうふうに思ったことはねぇよ」
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