第8話 謝罪と本音【下】

 ハッと目を瞠り、一つ間があってから、


「別に」と帆波はつんとした表情で言う。「あんたに怒鳴られたって、怖くもなんともないし」


 こいつ……と頰が引きつる。

 人が素直に謝れば、これだ。潔く下げた頭を踏みつけてくるような態度。

 ほんと可愛げがない。なんでこんな奴を好きになったんだ、とつくづく思う。俺はよほどのMか何かなんだろうか、と心配になるくらいだ。

 いろいろと文句を言ってやりたいところだが……今は、それよりも――。


「ああ、そうか」と、とりあえず、帆波の嫌味はあしらい、「ただ、一つ言っておくけどな……」と語調を強めて俺はを切り出した。


「軽々しく『一緒に寝たい』とか言うな。俺も男なんだ。さすがに困る」


 その瞬間、ムッとしていた帆波の表情が緩んだ。間抜け面……と言ってもいいような。ぽかんと惚けた顔になって、ゆっくりと……少し躊躇うように、おずおずとこちらに振り返った。


「困るって……?」


 帆波には珍しく、それは遠慮するような聞き方で。いつも攻撃的に睨みつけてくる瞳も、不安げに揺れているように見えて。

 その反応は、想定していたものとは大きく違っていた。

 てっきり、『はあ? いきなり、何言ってんの?』とか、『男だからなんなのよ?』とか……頭ごなしに食いかかってくるかと思っていたのに。いつもみたいに――。

 思わぬカウンターを食らったようだった。

 つい、答えに詰まる。

 そんな俺をしばらくじっと見つめてから、「なによ」といつもと違って弱々しく言って、帆波は再び、顔を前に向き直した。ぎゅっとハンペンマンをその胸に抱きしめながら、神妙な面持ちを浮かべ、


「もしかして……いやらしいこと、考えちゃった――とか?」


 ギクリとする。


「え……」と漏れた声は、あからさまに動揺していた。


 かあっと焼けるような熱が鳩尾の奥からこみ上げてきて、顔が真っ赤に染まるのが分かった。

 直球すぎだろ――!

 もっと、他に言い方ねぇのかよ? 配慮、てもんを知らないのか。そんな訊き方されたら、逃げ場がねぇだろうが。するしかないだろ。


 ほんと……呆れ返る。


 憎たらしい奴だ。こんなにイライラさせられて。いつもわがままに振り回されて。そのくせ、俺にだけ態度悪くて、可愛げのかけらもない。それなのに……可愛い、と思ってしまう自分がいるんだ。

 ハンペンマンを抱きしめながら、俺の答えを待つその姿に、昔見た幼い帆波の姿を思い出していた。目に涙を浮かべながら、『幸祈が一緒だから平気だもん』と言っておばさんたちの帰りを待ってた。寂しい……て言えばいいのに。ママが恋しい……て別に、泣いても良かったのに。そういうことを、帆波は絶対に言わない。言えない――んだろうな、と幼心に気づいてた。だから、俺が傍についててやらなきゃ……て思うようになってた。守りたい――なんて思うようになって、好きになってたんだ。いつの間にか、もう、どうしようもないほどに……。


「そうだよ。――考えたよ」


 観念したようにため息吐いて、俺は静かにそう答えていた。

 すると、帆波は弾かれたようにばっとこちらに振り返り、目をまん丸にして見つめてきた。


 ――さあ、どんな罵詈雑言が飛んでくる?


 半ばヤケクソで。なんでも来い、と覚悟を決めて身構えていると……帆波は大きな目を何度もぱちくりと瞬かせてから、ぷっと吹き出した。

 軽蔑するようなそれでもなく。バカにするようなそれでもなく。まるで子供みたいに。コロコロと帆波は笑い出し、「そっか、そっか」と何度も繰り返した。

 殺風景だった野原に、一気に花が咲き誇ったような……そんな現象を目の当たりにしたような気分だった。

 いったい、いつぶりだろうか、という帆波の無邪気な笑顔にぐっと胸を掴まれながらも、思わぬ反応に唖然としていると、帆波はそっと細めた目で俺を見つめてきて、


「幸祈はヘンタイマンだったのね」


 男心をたまらなく、くすぐってくるような。甘えるようでいて、悪戯っぽいその声色に背筋がぞくりとした。

 ぞわっと腹の底で蠢くものを感じて……だから――とまた、叱りつけたくなった。

 

 だから、そんな風に男に向かって『ヘンタイマン』とか言うな……って、ヘンタイマン?


「ヘンタイマンって、なんだよ!?」


 目が覚めたようにハッとして、俺はがなり立てていた。

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