第4話 ごまかし【下】

 何やってんだ、俺は。

 地雷原と分かっていながら突っ込んで、自爆したようなもんだろ。

 分かってたはずなのに。帆波がウチに来る理由は一つだけだ、て。高飛車で、ワガママで、全くもって可愛げのないこいつが、眠い瞼を擦ってでも、せっせと健気にウチに通うのは、逢いたい人がいるからだ。兄貴に……広幸兄さんに逢うためだ。

 ぞわっと腹の虫とやらが騒ぐのを感じた。

 苛立ちと憤りが込み上げて来て、何に対するものなのか、怒りさえ覚えて、


「あっそ」たまらず、そう吐き捨てるように言って、俺は立ち上がっていた。「じゃ、俺は部屋行くわ」


 このまま、傍にいたら、また何か余計なことを口にしてしそうで。逃げるように、さっさと帆波から離れようとした――のだが。


「え……なんで」


 空耳かと思うほど、微かにそんな声がして……ぐいっと袖が引っ張られるのを感じた。

 ぴたりと足を止め、ハッとして振り返れば、帆波がソファに座ったまま、俺のブレザーの袖を掴んでいた。

 俺を見上げるその表情は、珍しく、不安げで。澄んだ瞳は、水面のように心許なく揺れているように見えて。思わず、たじろいだ。


 行かないで――て、一瞬、言われるかと思った。


 もちろん、そんなことをこいつが言うわけもない。要らん期待は早々に捨て去ることにして。


「なんだよ?」


 つっけんどんに訊ねると、帆波は「え……」と弱々しい声を漏らして、ぱっと袖から手を離した。視線を泳がせ、何やら逡巡してから、


「テレビ……観ないの?」

「は?」

「テレビ! 観たいテレビがある、て言ってたでしょ!?」

「ああ……」


 つい、間の抜けた声が漏れていた。

 そういえば……咄嗟に、そんな嘘を吐いたんだったな。


「いや……」と曖昧に返事して、俺は頭を掻きながらそっぽを向く。「もういいわ」

「な……なんで? 観なよ。ずっと我慢してたんでしょ? 何が観たかったの?」


 一応、人ん家で寝ていたことに引け目は感じているのだろうか。

 ちらりと目だけで様子を伺うと、帆波はあたふたと慌てた様子で、ソファの前にあるローテーブルに手を伸ばし、そこに置いてあったリモコンを取っていた。


「この時間だと……」なんて言って、テレビの上にある時計を確認し、「『そらゆけ、ハンペンマン』?」

「なんでだよ!?」


 思わず、鋭くツッコンでいた。


「いくつだと思ってんだ!? ってか、もう夕方にやってないからな!?」

「え……そうなの?」

 

 振り返り、リモコンをテレビに向けたまま、きょとんとする帆波。

 つい、ため息が漏れる。


 『そらゆけ、ハンペンマン』なんて……久しぶりに聞いたわ。

 ハンペンの化身であるヒーローが、ハンペンを人々に配りながら、悪を退け世界を救う……という幼児向け番組だ。昔は夕方の時間帯に放送していて、学校から帰ってきては、帆波と一緒に観ていたもんだが。

 懐かしいと思いつつ、げんなりとしてしまった。

 あれから、もう何年経ったと思ってる?

 『ハンペンマン』でさえ、新しい放送枠に移って前に進んでいる、てのに。俺らはどうだ? 高校生にもなって、『ハンペンマン』の放送時間のことであーだこーだと騒いで、子供の時と何も変わってない。ただの幼馴染のまま、ぐうたらと一緒に過ごすだけで……。


 ――いや、違うか。


 変わってないフリをしてるだけ……なのかもな。

 お互い、無垢を装って隠してるだけだ。あの頃は無かった『下心』ってやつを。

 俺はもう、帆波と一緒にいるだけじゃ物足りなくて。隣にいれば、華奢で柔らかそうなその体を抱きしめたいと思うし、それ以上のことだって想像する。そして、帆波は……兄貴のことを想いながら、俺の傍にいるんだろう。


「知らなかった」


 ぼんやり言って、帆波は何も映っていないテレビを見つめていた。だらりと膝に下ろした手にリモコンを握りしめたまま。


「いつのまに……変わっちゃってたんだろ」


 寂しげに帆波がぽろりとこぼした言葉が、グサリと胸に突き刺さる。

 ほんとにな――なんて心の中で呟いて、苦笑していた。

 それは、俺が一番訊きたくて、一番訊きたくない質問だった。いつのまに、変わっていたんだ――て。いつから、俺目当てじゃなくて、兄貴目当てでウチに来るようになってたんだ――て、帆波の横顔を眺めては、何度となく訊きそうになった。

 バカだよな。

 そんなの、地雷原に突っ込むなんてもんじゃない。ただの切腹だ。


「もういいから、寝てろよ。兄貴、まだしばらく帰ってこねぇからさ」


 諦めの境地……てやつか。体からも声からも力が抜けて、自分でも驚くほどトゲのない声でやんわりとそんなことを言っていた。


「じゃあな」


 再び、身を翻して歩き出そうとした、そのとき。

 デジャブか、と思うほどのタイミングで、


「ちょっと……待って!」


 ぐいっと袖を引っ張られ、鋭い声で呼び止められた。


「そんなすぐ寝れるわけないでしょ!?」


 どんな突っかかり方だ!?


「知るか!」とすっぱり一蹴して、振り返る。「んなこと、俺に言われても困る!」

「なによ、それ!? あんたが起こしたんだから……責任取って、寝かしつけなさいよ!」

「な……!?」


 言い返そうとして、思わず、言葉に詰まった。

 な……なんて……?

 聞き違い……だろうか? 責任とって……なんだって? ね……『寝かしつけなさいよ』!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る