第35話 褒められもせず苦にもされず




 

 天神さまの神社に着くと、かあさんはお財布から100円玉を6枚取り出した。

 1枚はとうさん、1枚は藍子、1枚は慎司、1枚はクロの分で、残り2枚のうちの1枚は入院中の動物たちみんなの、そして最後の1枚がかあさんの分だという。


 硬貨がお賽銭箱に当たって弾ける堅い音が、森閑とした宮の森にひびき渡る。

 町を守る神社だが、こんな時間にお詣りに来る人は、ほとんどいないらしい。

 かあさんは、動物の世話で年中あかぎれが絶えない手をそっと合わせている。


 弟の慎司は「とうさんのような動物のお医者さんになりたい」と言っている。

 かたや藍子は、目先の事件にとらわれてばかりで、自分の将来を考えてみる気にもならなかったが、一連の出来事で、いつまでも5年3組にいるわけではないことにようやく気づいた。そして、大人になった自分を空想してみるようになった。


 それは保育士や看護師として幼い子どもや病人の世話をしている自分だったり、朝子先生のように明るくて思いやりに満ちた教師になっている自分だったり、かあさんのように仕事やボランティアに生き生きと活動している自分であったりした。

 

 顔を上げると、かあさんはまだ熱心に何事か祈っていた。

 赤い鳥居の向こうに、きれいな夕やけ空が広がっている。

 藍子の口から、ふいに宮沢賢治の詩の一節が出て来た。

 

 ――あらゆることを 自分を 勘定に入れずに 

   よく見聞きし わかり

 

 あとはかあさんが引き取ってくれた。

 

 ――東に 病気の 子どもあれば 

   行って 看病してやり

 

 最後はふたり一緒に大きな声を張り上げた。

 

 ――褒められもせず 苦にもされず 

   そういう者に わたしはなりたい

 

 西の山脈に沈んでゆく夕日を浴び、うろこ雲の色が少しずつ変わっている。

 空のずっと上のほうを、黒胡麻のような鳥の群れが音もなく渡って行った。

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