第32話 野生動物の治療
北のふるさとに当たるシベリアから4,000キロの旅をして南のふるさと日本へやって来る渡り鳥は、なぜ多くの危険にさらされてまで、年に2度の長旅をするのか、いまだに解けていない生物の不思議を、姉弟は幼いころから身近に感じて育った。
野生動物保護活動ボランティアの人たちが、毛布にくるんだ病気の白鳥を運んで来ると、とうさんもかあさんも夜中でも飛び起きて、一所懸命に手当てをする。
無事に治療が済んで募金箱から治療費を差し出されても「いやいや、いやいや、野生の患者さんからお金はいただけませんよ」と笑って決して受け取らない。
近所から持ちこまれた犬や猫を引き取ったり(黙って玄関先に仔猫を入れた箱を置いて行く人もいる)、お金のない家の動物家族は無料で診てあげたりするので、クリニックはいつも貧乏だが、藍子はそんな両親が大好きだし、誇りでもある。
ボランティアに運び込まれて来る白鳥はたいてい、細い首をぐったりと伸ばし、だらんと開けたくちばしから黄緑色の泡を噴き出して、苦しそうに喘いでいる。
素早く白衣を着たとうさんとかあさんは、ふたりがかりで診察台に患者(鳥)を横たえ、聴診器を当てたり、くちばしからチューブを入れて胃のものを吐き出させたり、傷口を洗ったり、骨折に添え木を当てたり、ときには手術をしたり……。
手当が済んだ白鳥は、ケージのなかで入院生活を送るため奥の部屋に移される。
そこには、ふだんは天敵の犬や猫、ウサギ、野生のタヌキやキツネなどがいた。
そこは人間と同じで、傷口が痛んだり体調がわるかったりするうちは、どの動物もおとなしく丸まっているが、少しよくなって来るともうじっとしていられない。
とくに、ひときわ身体の大きい白鳥(遠目には小さく見えるが)は、こんな狭いところから早く出してよと言わんばかりに、羽をバサバサ広げて大騒ぎを始める。
一見やさしげな外見からは想像もつかないが、渡りの長距離を難なく飛べるように、白鳥の胸筋はたくましく発達しているので、羽ばたく力も驚くほど強いのだ。
そうかと思えば、つぎの日には別人(鳥)のようにしおらしくなって、「クチュクチュ」可愛らしい音を立てながら、餌の水草やパンをついばんでいたりもする。
とうさんとかあさんは昼夜を問わず交替で入院病棟を見まわり、異変はないか、傷の治り具合はどうか、食欲は出て来たか、便の様子はどうかと気をつけている。
「ようし、いい子だ。お利口にしていれば、すぐに山に帰してやるからな」
「あらまあ、大変。くちばしで羽をこんなにむしってしまって……まあ、でも無理もないか。こんな狭いところに押しこめられていたら、ストレスがたまるものね」
ケージごとに声をかけながら、完全に治るまで根気よく世話をしてやる。
親身に世話をするうちに、ふたりとも日ごとに情愛が増していくようなのだが、野生動物の側はというと、これがいたって素っ気なくて、山の獣道の入口で放してやると、一度もうしろを振り向かずに、さっさと古巣へ駆けもどってしまう。
――まあ、元気になった証拠だから。
げんきんなタヌキやキツネを、とうさんもかあさんも笑って見送っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます