第8話 浴衣を着てみた一件

 




 ――お盆のときだってそうだった。


 手鏡を放り出し、机につっぷしながら、藍子は苦々しく思い出していた。


 自治会の盆踊りに着るようにと、かあさんが朝顔の模様の浴衣を縫ってくれた。

 初めて袖を通したとき、新聞を読んでいたとうさんが顔を上げ、「馬子にも衣裳というけど、藍子の場合は案山子かかしにも衣裳だな」自分で言って自分で噴き出した。


 馬子にも衣裳の意味はわからなかったけれど、からかわれていることはわかったので、ピンクの帯を締めてもらって弾んでいた藍子の気持ちはいっぺんに萎んだ。


 そのうえ、かあさんまでが「まあ、とうさんたら、女心がわからないんだから。藍子だって年頃になったらきれいになりますよ。母親のわたしが保障しますから」とたしなめつつも、おかしくてたまらないというようにお腹を抑えていたのだ。


 弟の慎司もにやにやするばかりで、なにも言ってくれなかった。

 黙っているというのは、似合わないと言っていることと同じだ。

 藍子は乱暴に浴衣を脱ぎ捨て、二度と着てやるものかと誓った。

 

      *


 だいたいからして慎司は、弟のくせに生意気なやつなのだ。


 いつだったか、子ども部屋のフロアに寝転んでファッション雑誌をめくっていたとき、「うわあ、すてきなお洋服。わたしもこんなの欲しいなあ」とつぶやくと、ゲームをしていた慎司がすかさず「ぷふっ。ねえちゃん、そういうことは鏡を見てから言いなよ」と茶化してきた。あのときの悔しさを藍子は決して忘れていない。


 そういう弟のやつはといえば、憎らしいほど可愛らしい顔立ちをしている。

 きりっと上がった眉。黒く澄んだ瞳。細く通った鼻筋。かたちのいいくちびる。

 不細工な姉とは似ても似つかない、少女といっても通るような美形だった。


 そんな弟にこそ言われたくないことをあっさり言われてしまった藍子は、猛然と湧いて来た怒りを抑えきれず、こぶしを振り上げ、本気になって向かって行った。

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