『らんぼう』はダメ
かなみとの出会いから数週間経った、ある日曜の昼下がり。涼たちは水着を買うために、衣料品量販店を訪れていた。
「涼さん、良いですわよ」
「んー、どれどれ? ほぉ、似合うじゃないかイリサ」
「にあう……?」
「『かわいい』って事ですわよ、イリサちゃん」
彼らは避暑のため、かなみの家で持っているプライベートビーチに招待されたのだ。が、イリサは勿論のこと、アルバイト三昧で遊ぶ余裕など無かった涼も、水着など持ってはいなかった。依って、こうして出向いてきたのである。
「でも、意外でしたわ。涼さんが、こんなにスンナリとご招待を受けてくださるなんて」
「そ、そう? まぁ……イリサに色々な体験、させてやりたいしね」
涼はあれから、バイト漬けの毎日から『少しずつでもイリサと過ごす時間を増やそう』と、考え方を変えていた。生前の入沙を遊びに連れて行ってやる事などまず無かった彼を、このように改心させたのは、言うまでもなくかなみである。彼女は『生活のため』と躍起になるのもいいが、それだけで一度きりしかない『今』という時間を使い切ってしまってもいいのですか? と、涼を説得したのだ。以前の彼であれば、恐らくはその発言を否定していたに違いない。しかし、それを素直に受け止めたのは、やはり『入沙の死』と『イリサとの出会い』によって、彼自身の心に変化が現われた所為であろう。
「しかし、イリサの造りの良さには、ホントに感心するよ。完全防水……っていうか、海水にも対応している上に、100メートルの水圧にも耐えるように作ってあるなんてなぁ」
「高月紘也さん、でしたわよね。私が小学生の頃、自作ロボットの選手権大会で優勝なさった」
かなみは、小学生の頃に放映されたロボット選手権の全国大会を見ており、その時の優勝者――当時高校2年生だった紘也の事も覚えていたのである。だから、イリサを造ったのが彼であると知った時には、心底から驚いていた。
「俺も、その過去を知った時は驚いたよ。何しろ普段の姿からは、あの人がそんな優秀なエンジニアだなんて、信じられないもんなぁ」
薄汚れた白衣に身を包み、フケだらけの髪と無精髭をほったらかしにして、風呂にもろくに入らない。そんなだらしの無い男が、イリサのような優秀なアンドロイドを造れる等とは、とても信じられる話では無いと、涼は思っていた。
「今度、高月さんにもお会いしたいですわ」
「あぁ、彼はいつも大学にいるから、遊びに来るといいよ。事前に連絡くれれば、ちゃんと迎えに行くからさ」
『事前に』と念を押したのには、理由があった。普段の不潔極まりないままの紘也に会わせたりしたら、かなみが抱いている彼のイメージはガラガラと音を立てて瓦解してしまうだろう。それはあまりに可哀想だし、紘也も不憫だしな……と、彼なりに考えての事である。
「お兄ちゃん……このお洋服、いつものと違う……パンツにソックリ」
「パンツじゃないよ、イリサ。これは水着といってね、水の中で泳ぐ時に着るための服なんだ」
「かなみお姉ちゃんも、着る?」
「もちろんですわ。じゃあイリサちゃん、そのお洋服を脱いで、さっき着てきたお洋服に着替えますわよ」
涼の評価も上々だったので、いま選んだ水着で決定と判断したかなみが、イリサと一緒に更衣室の中に消えた。そして涼は、婦人用の水着売り場という、男が一人でウロウロしていたら浮いてしまう場所から早く離れたいが為、更衣室のカーテン越しにかなみに話し掛けていた。
「かなみちゃん、俺、レジの近くに居るから。着替えが終わったらそこに来てね」
「分かりましたわ」
レジ付近は紳士服売り場になっていたので、そこならば男が立っていてもおかしくは無い。涼はそそくさと、そこに向かって退避を始めた。
「ふぅ。イリサの水着選びでなければ、まず行かないような場所だよな。あー恥ずかしかった」
本音を漏らしながら、涼は紳士用の水着売り場に視線を移した。そして、自分の分も選んでおこうかと、物色を始めた。と、そんな彼に、背後から声を掛ける人物があった。
「よぉ、烏丸じゃないか。何だ? お前でも泳いだりする事、あんのかよ」
その声を聞き、涼はあからさまに嫌そうな顔をして振り返った。然もありなん。その声の主は、あの戸塚だったのだから。
「大きなお世話だ。俺が何をしようと、勝手だろ。放っとけよ」
「邪険にするなよ。なぁ、こんなトコに居ねぇで、ゲーセンでも行こうぜ。暇でしょうがねぇんだよ」
「断る。生憎だが、今日は連れが居るんだ」
「連れ? ……どこに?」
戸塚はキョロキョロと周りを見渡した。だが、それらしい人物は彼の視界には入ってこない。その一方で涼は、つい先日、完全に敵意を剥き出しにして接したのに、何故この男は、懲りずに俺に付き纏うんだ……と、疑念を抱かずにはいられなかった。
「涼さん、お待たせ……あら、お話し中でしたの?」
「ん? あぁ、気にしなくていいよ。さ、早く会計を済ませて次の店に行こう」
呼び声の方に向き直り、涼は先を促した。そしてチラリと戸塚の方を一瞥し、ぶっきらぼうに別れを告げた。
「そういう訳だ戸塚、じゃあな」
「何だ、女連れか? 珍しい、雨でも降るんじゃねぇか? 傘持ってねぇんだから、やめてくれよな」
「……大きなお世話だと、何度言わせるつもりだ」
涼の声に、段々と怒気が含まれていった。が、戸塚は『そんな雰囲気など何処吹く風』と言った感じで、かなみに目を向けた。そして彼は、彼女の顔をマジマジと見て……
「……ん?」
「な、何ですの?」
「ふぅん……あ、いや失礼。何でもないよ」
「かなみちゃん! そんな奴は放っといて、早く行こう」
かなみの前でも、涼は戸塚に対する不愉快さを全く隠そうとしなかった。こいつは自分に害を為す者だという事を、態度で彼女に伝える為だった。だがその時、かなみの背後からヒョイとイリサが顔を出した。そしてそれは当然、戸塚の視線にも入っていた。
「あれ? その子、あの時の等身大フィギュアじゃねぇか……何だ、生きてるのか!?」
目の前で動いているイリサを見て、戸塚は明らかに動揺していた。だが、そんな態度の変化になど注目せず、直前の台詞に対して怒りを露にした涼の左手が、彼の襟首を掴んでいた。
「……貴様、もう一度言ってみろ……誰が『フィギュア』だ?」
「あ、あ……ありえねぇだろ! 何でこの子が……生きて動いてるんだよ!?」
「誰も、そんな事は訊いちゃいねぇだろが。答えろ! 誰が『フィギュア』だって!?」
完全にヒートアップした涼を、かなみがオロオロとした顔で見詰めた。彼女も、涼がこんなに怒りの感情を剥き出しにした所を見るのは初めてだったので、どうしていいか分からずにパニックになっていたのだ。しかし、その事態は意外な者による発言で沈静化された。
「お兄ちゃん……『らんぼう』はダメ……」
「い、イリサ……そうだな、悪かったよ」
そして涼は戸塚の襟首を離し、軽く突き放した。
「早く消えろ……俺の視界から消えるんだ。そして二度と出て来るな」
「わ、分かった……だが一つだけ教えてくれ、烏丸……あの子は一体?」
怯えた表情のまま、戸塚が質問して来た。だが涼は、そんな彼に冷たい視線を送りつつ、吐き捨てるように言い放った。
「あの子はイリサ、俺の妹だ。それ以外に何がある?」
「馬鹿な……あの子は死んだはずだろう? 葬式だって……俺は夢でも見てるのか!?」
すっかりパニック状態となった戸塚を放置して、涼はかなみとイリサの二人を促し、その場を立ち去った。
「涼さん。あの人、誰なんですの?」
「大学で、同じゼミ取ってる奴だよ。どういう訳か、しょっちゅう俺に絡んで来るんだ。正直、嫌いなんだけどね」
「私も何か、あの人からは嫌な雰囲気を感じますわ。それに、何故かしら……私の顔を見て何か頷いてましたわ。初対面なのに」
温厚を絵に描いたような彼女ですら、戸塚には嫌悪感を抱いているようだった。彼の放つ独特の雰囲気に対して態度を表面に出さなかったのは、未だ人格形成の途上にあるイリサだけだった。
「お兄ちゃん、『らんぼう』はダメなのよ?」
「うん、そうだな。悪かった。お兄ちゃん、もう『らんぼう』しないよ」
心の中で『お前の前ではな』と付け加え、涼はその場を収拾した。イリサの純粋な目に見据えられると、怒り心頭となった彼も毒気を抜かれてしまうようである。しかし同時に、イリサに害を為す者は絶対に許さない……そう考えていたのだった。
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