謎のお嬢様
「ゴメンなさい! ウチの妹が、とんだ粗相を!」
とりあえず、露になった胸元を隠してもらうために自分の服を目の前の少女に着せて、涼は床に額をこすり付けて平謝りした。本人の仕出かした事では無いとはいえ、下手をすれば現行犯で逮捕されてしまうレベルの状況だったのである。詫びたところで、許してもらえる訳は無い。だが誠意は尽くそうと、彼は必死に謝っていた。
「……頭を上げてください。貴方が私を裸にした訳では無いでしょう」
そう言って、少女は涼を赦免した。まだ頬は赤いままだったが、どうやら落ち着きを取り戻していたようだった。
「本当にゴメンなさい。ウチの妹は、ちょっと特殊な……姿はあの通りだけど、中身は赤ん坊と同じなんです」
「特殊? 確かに、素裸で外に出てきたり……不思議な子ですけど」
やっとの事で衣服を身につけたイリサをチラリと見て、少女はあからさまに『不思議で済まされるレベルじゃ無いでしょう』と言いたげな目線を涼に向けた。
「実は俺、数ヶ月前に、実の妹を喪いまして。覚えてませんか? あの女児暴行殺人事件。それの被害者が、俺の妹なんですよ」
その説明を聞いて、あっ! と思い出したように、少女は目を丸くした。
「え!? じゃあ、あの……烏丸入沙ちゃんの、お兄さん!?」
「そうです。烏丸涼って言います」
入沙の訃報はニュースでも報じられ、未だに犯人も捕まっていない為か、話題に上る事が多く、知名度もそれなりに高いのだった。
「そういえば、似ている……けど、一体?」
亡くなったはずの入沙ちゃんが、何でここに? と、少女は首を傾げた。それを見た涼は、こうなった以上は彼女にも真実を知らせる必要があるだろうと考え、腹を括ってイリサの素性を明かした。
「あそこに居る『イリサ』は、俺の通う大学の、ロボット工学研究所で造られたアンドロイドなんです。それもつい先日、完成したばかりなんです」
「あ……アンドロイド!? 彼女が!?」
ボンヤリと窓の外を眺めるイリサを見て、少女は更に目を丸くした。
「信じられない……行動は非常識だけど、彼女は人間そのものですわ。アンドロイドだなんて……」
「俺も未だに、嘘だろと思う事があるんですけどね。でも、あの子は……おーい、イリサ。こっちに来なさい」
呼び声に振り向き、イリサがポテポテと歩いて来た。涼はそんな彼女の両肩を正面から掴んで、スイッチを切ってみせた。と、イリサはスッと目を閉じ、カクンと膝を折ってその場に崩れ落ちた。涼はその身体を優しく抱きとめ、その場に寝かせた。
「触ってみて。彼女はもう、何の反応もしないから」
「……本当、なんですのね。嘘みたい、本物の人間みたいなのに……」
そして涼は、再び両肩のスイッチに手を掛け、イリサの名を呼んで再起動させた。と、イリサの目がゆっくりと開き、生体認証のシーケンスを音声で報じた後、瞳に光が点り、元の状態に戻った。
「お兄ちゃん……おはよう」
「おはようイリサ。さ、もういいよ。でも、もう黙って外に出たらダメだよ」
「うん、分かった……」
短いやり取りの後、イリサは再び窓の方へと戻って行き、空を飛ぶ鳥の姿を不思議そうに眺めていた。先程も、窓の外に見えた鳥の姿を追いかけて、思わず外に飛び出してしまったらしい。彼女はとにかく、好奇心のカタマリなのである。
「ね? ご覧の通り。言葉も片言だし、それに……常識や羞恥心も……まだ、ないんです。一般常識は教えられるけど、女の子としての知識は、俺には……」
「なるほど……だ、だから……」
そう言って、先程露にされた胸元に視線を落とし、少女は再び顔を赤らめた。その様子を見て、偶然視界に入ってしまった彼女の胸を思い出し、涼も真っ赤になってしまった。
「あ……」
「って、み、見てませんよ? チラッとしか……あ、いや、その……」
『見てません』という誤魔化しが上手く出来ない、正直な性根を涼は今更ながらに恨めしく思った。だが、目の前の少女は、赤面してはいるが怒っている様子は無い。冷静に『先程の事は事故なんだ』と割り切ってくれたのだろうか。照れて俯き、上目遣いになって涼の方をチラチラと見ていた。
(……ま、参ったなぁ。こういう雰囲気、苦手なんだけど……あ、そうだ!)
と、無理矢理に話題を切り替えるため、涼は咄嗟に全く違う話を切り出した。
「えーと、洋服を弁償させて欲しいんだけど、今は持ち合わせが無くて。後で送らせてもらうから、住所と名前、教えてくれるかな?」
「弁償なんて……構いませんわ。でも、何かしてくださると言うのなら……あ!」
「え?」
少女はチラッとイリサの方に視線を移しながら、何かを涼に申し出ようとしたようだった。が、異変に気付いて、思わず声を上げていた。そして、その声に反応して、涼もイリサの方に視線を移した。
「……!? イリサ、足元濡れてるじゃないか。どうしたんだ!?」
「え? ……わからない。ここからお水が出たの」
そう。窓の外を向いたまま、彼女は下着と下肢、それに床をビッショリと濡らしていたのだった。そこで涼は、紘也の言っていた事を思い出した。
『トイレを必要とするのは、排水の時だけだよ』
……そうか、先程の食事でジェネレーターが働いて、余剰な水分が出来ちゃったんだ……と、冷静に分析して事が済めば苦労は無い。この事態は『おもらし』以外の何物でもないのだから。
「イリサ~、お水が出てくるとき、何も感じなかった?」
「お水が出るよ、っていう合図はあった」
どうやら、満水を知らせるセンサーは付いているらしい。けど、それを感知した時に、どういう行動に出たらいいか、彼女はまだ知らないのだ。そんな彼女を見ながら、涼は狼狽していた。が、その時。傍にいた少女が、イリサの方に近寄っていった。
「イリサちゃん? その合図があったら、おトイレに行かなきゃダメですわよ。ほら、お洋服もお家も、汚れちゃうでしょう?」
「お……トイレ?」
初めて聞く単語に、イリサはまたも目を丸くしてキョトンとしていた。
「そう。お水が出る前におトイレに行って、そこにお水を出すんですのよ」
「……イリサ、分からない……」
「あ、うん。その子に物を教える時はね、まだお手本が必要なんだ。でも……」
本来なら、自分がやって見せるべきなのだろう。しかし、流石にコレは……と、涼は躊躇した。だが次の瞬間、信じられない台詞が彼の耳に入って来た。
「涼さん、おトイレは何処ですか?」
「え? あぁ、そこのドアだけど」
「分かりましたわ。イリサちゃん、いらっしゃい。教えてあげますわ」
少女はイリサの手を引いて、トイレの方に向かった。そんな二人を見て、涼も思わずその後を追いかけてしまった。彼は少女を止めようと、反射的に動いていたのだ。だが……
「……り、涼さんは、ちょっとあちらに行っていていただけますか? さ、流石に恥ずかしいですわ」
「ちょっと待って! そこまでしてもらう訳にはいかないよ」
「クス……涼さん、この子に『女の子』の事、教えられますの?」
「う……」
少女は先程の会話から、涼がイリサに対して『教えられないこと』がある事を見抜いていた。彼女は、ドアの前で濡れた下着を脱がせてから、イリサを連れてトイレに入っていった。そして暫くして、水の流れる音と共にドアが開き、二人が出て来た。イリサは『ふぅん』という感じの表情で、一方の少女は俯いたまま、頬を真っ赤に染めながら。
「お兄ちゃん、分かったよ。あのイスに座って、お水を出せばいいんだね」
「そ、そうだよイリサ。それでいいんだ」
無邪気に、イリサは今覚えた事を涼に報告した。つまり少女は、実際にトイレで用を足す姿をイリサに見せて、やり方を教えてくれたのだ。
「……そ、その……ゴメン。さっきから、恥をかかせてばかりで」
涼の謝罪を聞きながら、少女は頬を染めたまま顔を上げ、彼の方にゆっくりと向き直った。
「気になさらないで。涼さんだけでは、教えられない事がある。それはとても、困る事なのでしょう?」
「そ、それは……そうなんだけど」
そこまでやってもらう義理は無いし、何より自分は今、彼女に恥をかかせた事を謝罪している立場なのだ。なのに何故? と、涼は考え込んでしまった。が、それを問い質す前に、彼女は更に意外な台詞を発して涼を困惑させた。
「あの子に色々と教えるのを、私にも手伝わせていただけますか?」
「え……っ?」
その返答に、涼は驚いて目を丸くした。だが目の前の少女は、ニコニコと微笑みながら彼の返事を待っていた。
「……お洋服の弁償は、それで無しって事に致しますわ」
「……!!」
その一言で、涼の心はグラリと揺れた。迷惑な話では無い、寧ろ嬉しい話である。だが彼としても、何故、出会って間もない彼女がここまで親身になってくれるのか。そこが理解できず、思わず問い質していた。
「その、どうして? 知り合い方は最低っぽかったし、貴女にとってメリットは何も無いのに」
「……秘密です」
クスッと悪戯っぽく笑って、少女はますます涼を混乱させた。
「ま、まぁ……そっちがそれで良いなら、俺は何も……ところで、そろそろ名前を教えてくれない?」
「あら、私としたことが。申し遅れました、二宮かなみと申します」
その名前を聞いて、涼の顔に驚きの色が浮かんだ。
「二宮、って……もしかして、公園の裏手にある、大きなお屋敷の!?」
「大きいかどうかは……公園のお隣というのは確かですけど」
涼が驚くのも無理からぬ事だった。彼女の家はとても個人邸宅には見えない、宮殿のような風貌を持った、かなり有名な屋敷だったのである。涼は、そんな所のお嬢様を裸にしちゃったのか……と、またも顔面蒼白になっていた。
「ハァ……立ち居振る舞いや言葉遣いが、何か違うなーとは思ってたんだけどね。納得だよ」
「生まれ育った家が、たまたま少し裕福だっただけですわ。私個人の力では無いですもの」
そう言って、かなみは僅かに表情を曇らせた。どうやら、金持ちの娘と呼ばれるのは好きでは無いらしい。
「確かにね。じゃ、えーと……かなみさん、改めて宜しく」
マズッた……というような、いかにもバツが悪そうな表情を一瞬見せたあと、涼はニコッと笑ってかなみに頭を下げていた。
「こちらこそ……クスッ、偶然の悪戯に感謝ですわ」
(……俺、この子に会った事あるのかな? 覚えが無いんだけどなぁ)
かなみの、いかにも私は貴方を知っています……と云う感じの振舞いに少し戸惑った涼だったが、まぁ、会った事があるならいずれ思い出すだろうと、強引に納得していた。そして彼は、何気なしにイリサの方に目をやって、彼女が下着を脱いだままだった……という事を思い出し、慌ててかなみに相談していた。
「かなみさん、イリサの下着が一組しか無くて、着替えが……あの、買いに行くの、付き合ってもらえるかな? 俺が女児用の下着を買うのは、ちょっと厳しいんで」
「お安い御用ですわ。でも、その前に……この格好に合うボトムを、貸していただけますか?」
「あ、メンズシャツにスカートじゃ、確かに合わないね。ゴメン。ジーンズでいい?」
「クス……」
涼は、男性用のボトムを着け、なおもニコニコと笑っているかなみを見て、彼女の底抜けの優しさは、一体何処から出て来るのだろうと思っていた。そして同時に、紘也は一体どうやってイリサの衣装一式を手に入れたのだろうと、彼の性格について改めて悩み始めていた。
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