最悪の出会い

 翌朝。涼は自分の腕に掛かる重さを感じて目が覚めた。ふと時計を見ると、時刻は午前10時。すっかり寝坊をしてしまったようだ。

「……? 寝ちまったのか……ん!?」

 ハッと気づくと、寝息を立てるでもなく、寝間着の代わりにTシャツを着けたただけの姿ですぐ隣に横になり、ジッと自分の顔を見詰め続けているイリサの顔が目に入った。涼は驚き、思わず後ろに飛びのいてしまった。

「……お兄ちゃん、やっと目が開いた。ずっとお目目つぶってて、動かなかったね」

「い、イリサ……ずっとそこで見てたのか?」

「お兄ちゃん、イリサを抱き締めたまま、動かなくなっちゃった。だからイリサ、ずっと横にいたの」

 そうか、あれから自分は、あのままの格好で眠ってしまったのか……と思い浮かべ、涼は思わず赤面してしまった。しかしそれ以上に、Tシャツ一枚で下には何も着けていないイリサが、自分のすぐ横で寝顔をジッと見ていた事の方が、恥ずかしかったのかも知れない。

(もしかして、イリサには休眠モードが無いのか? その辺、紘也さんに聞いておかないとな)

 後で連絡しておこう……そう考えた涼は、顔を洗って寝ぼけた頭をスッキリとさせた後、とりあえず何か腹に入れようと冷蔵庫を開けた。そして多めに炊いて冷凍保存しておいた白飯を電子レンジに入れ、解凍を始めた。おかずの用意が無かったが、イリサが口に出来る物としては、今のところ米の飯しか知らない為、ちょうど良かった。

「しかし、毎日これじゃ、あまりに殺風景な食卓になってしまうな。飯の他に、エネルギー化できる食品が無いかどうか聞いておかなきゃ……おーいイリサ、朝ごはんを食べよう」

「朝……ごはん?」

 初めて聞く言葉に、イリサはキョトンとした顔になった。

「そう、ごはん。朝ごはんだ。ごはんを食べないと、動けなくなってしまうんだよ」

「動けなくなる……ダメ。イリサ、ごはん食べる」

 イリサはそう言って涼の前に座り、差し出された茶碗とスプーンを持って……その先をどうやって良いか分からず、動きが止まった。

「ほら、お兄ちゃんの真似をしてみて。こうやって、スプーンでごはんをすくって口に入れるんだ。そしたら、良く噛んでゴックンしてごらん?」

 涼がまず、自分の茶碗から白飯をスプーンですくい、自分で食べて見せた。それを真似して、イリサも同じ動作を繰り返した。自分で口に物を入れるのは初めてのようだったが、咀嚼して飲み込むという基本動作は最初からプログラムされていたらしく、問題なく実行する事が出来た。

「よし、上手だ。その調子で、そのごはんを全部食べてごらん?」

「うん」

 涼の言う通りに、イリサは自分の分のご飯をゆっくりと口に運び、平らげていった。その動きはぎこちなく、まさに初めて自分でスプーンを握った子供のそれに良く似ていたが。それでも、一口ごとに動きが滑らかになっていき、上手になっていった。一度体験した動きは逐次誤差修正され、知識として蓄積されていくようだ。その辺の作り込みは見事としか言いようが無かった。

(へぇ、大したもんだ。一度教えただけなのに、もうあんなに上手に……今度は箸の持ち方も教えてやろう)

 そんな事を考えながら、涼は味噌汁に手を伸ばそうとした。しかし、イリサの動きに気を取られ、お椀を掴み損ねてしまった。こぼれた味噌汁はイリサの方へと流れていき、彼女のTシャツを汚してしまっていた。

「あ……ゴメン、イリサ! 熱くなかったか!?」

「……? あつい?」

 あ……そうか。痛覚が無いのだから、熱さ感じないか……と、涼はホッと胸を撫で下ろした。あまりに精巧に造られている為、彼女がアンドロイドであるという事を忘れてしまっていたのだ。しかし、熱くなければ良いというものでは無い。

「イリサ、汚れた服を取り替えるよ。それを脱いで」

「うん」

 イリサは躊躇無く、汚れたTシャツを脱いだ。その様子を見た涼は、思わず目を背けてしまった。然もありなん、彼女の身体は第二次性徴を迎えたばかりの、生前の入沙を模して造られているのだから。

(こ、これはマズった。入沙が目の前で着替えているのと同じだよ、迂闊だったなぁ)

 イリサの存在により、涼は心に負った傷を癒せるかも知れないと考えていた。が、同時に彼は、とてつもなく大きな壁が眼前に迫っている事を改めて実感し、強烈な焦燥感に駆られていた。

「脱いだ」

「あ……うん。そしたら、その服をよこしなさい。新しいのと取り替えるからね」

 涼は、なるべくイリサの身体を見ないようにと、微妙に目線を逸らしながらTシャツを受け取った。だが、その様子を見たイリサが、またもキョトンとした顔になり、涼に尋ねた。

「お兄ちゃん、顔が赤い……どうしたの?」

「……!! 何でもない、何でもないよ。今、服を取ってくるからね。待ってるんだよ」

 君の裸を見て、恥ずかしくなったんだ……などとを言えるはずもなく、涼は慌てた。そして紘也から貰ったイリサ用の服を、物干しまで取りに行くために席を立った。一度着ただけで、しかもイリサの体からは汗も垢も出ないので、洗濯の必要など全くなかったのだが。その辺は涼の几帳面な性格の為せる業だろう。

(ふぅ。あそこまで生前の入沙にソックリだと、ああいうシーンに出くわした時に困るよなぁ。だが……参った。そんな事、どうやって教えればいいんだ)

 イリサの下着を両手で摘んで眺めながら、またも涼は赤面してしまった。それは、彼女が実の妹にソックリだからという事だけが原因ではなかった。彼は、極度の女性恐怖症だったのだ。無論、普通に『知人』『友人』として交際する場合には問題は無い。だが、恋愛感情や性的な事情が背景につくと、どうしてもダメなのであった。つまり、女性の裸を見るという段階から、既にアウトなのである。

(……あの子は、見た目は入沙そのものだ……しかし、中身は赤ん坊と同じなんだ。だから、ゼロから教育しなくちゃダメなんだ。恥ずかしがってる場合じゃない!)

 と、未だに真っ赤なままの両頬をピシャリと叩いて気合を入れ、涼はイリサの居る方へと戻っていった。だが……

「イリサ……あ、あれ? イリサ!?」

 居ない。つい、今さっきまでそこに居たはずのイリサが居ないのだ。涼は一瞬パニックになり、慌てて周りを見渡した。すると……さっきまで閉じていたはずの玄関ドアが開いていた。

「……って、まさか!?」

 今の今まで真っ赤だった涼の顔から急に血の気が引き、真っ青になった。そしてその頃、玄関の外では……彼の予想を遥かに越える『事件』が起こっていたのである。


* * *


「ちょっ……貴女、何で裸なんですの!?」

「お兄ちゃんが、脱ぎなさいって言ったの」

 素裸で玄関の外まで出てしまったイリサの前に、一人の少女が立っていた。彼女が偶然、涼の家の前を通り掛かった時に、いきなりドアから素裸の女の子が飛び出してきたのだ。その姿を見て驚いた彼女は、女の子――イリサの行動を見咎めて、注意をして来たのである。

「冗談じゃないですわ、早くお家に入りなさい……って、聞いてますの!?」

 少女の注意などまるで耳に入っていない、というか……別のものに興味を惹かれたイリサは『それ』に注目し、もっと良く見てみたいという好奇心に駆られ、凄まじいスピードで行動に出た。そして、次の瞬間。目の前に居た少女の衣服の胸の部分は、イリサによって勢い良く引き裂かれていた。そう、イリサが注目したもの。それは、目の前に立った少女の、恐らく平均を上回る大きさを誇るであろう、その胸だったのだ。

「え……っ!?」

 何が起こったのか、理解できない……少女は一瞬、そんな感覚に身を支配され、呆然と立ち尽くしていた。

「……私と似てる。お兄ちゃんのとは違う」

 その見事に育った乳房と自分の胸を見比べながら、イリサがボソッと呟いた。そして、その呟きを聞いた少女は……

「……キャアァァァァァァァァァ!!」

 当然というか。絹を裂くような叫び声を上げ、その場に蹲ってしまった。そして数秒遅れて、ドアの奥から涼が飛び出して来た。彼は、予想を遥かに越えた事態に一瞬気が遠くなったが、放置しておく訳に行かないその状況を打破する為、イリサと、その場に蹲る少女を連れて、再びドアの奥に消えた。

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