第二章 入沙とイリサ
疫病神はお前だ
「いらっしゃいませ。空いてるお席へどうぞー」
とある金曜日の深夜11時半を過ぎた頃、バイト先の牛丼屋で、涼は入って来た客にカウンター席へ座るよう促した。席に着いた客は、牛丼の大盛りと生卵を注文し、備え付けの麦茶をコップに注ぎながら涼に話し掛けて来た。
「おい、烏丸」
「お待たせしました、牛丼大盛りと卵です。ごゆっくりどうぞ」
客が自分を名指しで呼んでいた。が、涼はそれに対する返答はせず、オーダーされたメニューをカウンターに届けると、プイと背を向けて仕事に戻っていった。
「何だよ、俺は客だぞ。もっと愛想良くしろよな」
(非常識な奴だな。仕事中なんだよ、こっちは)
厨房にいる社員がこちらを睨んでいるという事を小声で知らせ、涼はその客の方には振り向かずに、紅生姜の少なくなった容器をチェックしていた。
「融通の利かん奴。他に客なんか居ないじゃないか」
(TPOってモンが無ぇのかよ!)
「……しょうがねぇ。上がりの時間まで待っててやらぁ」
つまらなそうに、牛丼をかき込む客――戸塚浩司。彼は涼と同じ大学に通う、文学部の3年生。つまり同級生である。成績も良く外面も良かったが、とにかく彼には『見知った人物に対する遠慮』というものが決定的に欠如していた。講義中に話し掛けて来るなど序の口。休日など、自分が暇であれば、相手の都合などお構いなしに突然来訪し、日がな一日だべった挙句に冷蔵庫の中まで勝手に漁り、無許可で食料を取り出して食べてしまうような有様なのである。
そして、時計の針が12時を指し、日が変わったその瞬間。涼のバイトの時間も終わりを告げた。
「おい烏丸、終わりだろ? 早く行こうぜ」
(……このままの格好で帰れるか馬鹿!)
本当にウンザリ……という感じに吐き捨て、涼はバックヤードに消えた。彼は戸塚の存在を心底迷惑に思っており、露骨に敵意を剥き出しにしていたのだが、何故か戸塚は涼に付きまとい続け、こうしてバイト先にまで押しかける始末なのだ。
(まずいな。こないだまでならともかく、今は……)
更衣室で涼は、アパートに着くまでにどうやったら戸塚を振り切れるか、その事を考えていた。何せ彼の家には、先日、紘也からプレゼントしてもらったばかりのイリサを、スイッチを切った状態で寝かせてあるのだ。なぜスイッチを切ってあるか……それは説明するまでも無いだろう。まだ何も知らない彼女を放置するのは問題があるし、あちこちに連れ歩く訳にも行かない。留守番をさせるには、もう少し教育を施す必要があったのだ。
(あの野郎、元々相性悪かったけど……あの時のコールとその後の対応で、印象最悪になったんだよなぁ)
そう。入沙が殺害されたあの日、涼の携帯電話に執拗なコールをして来ていたのはこの男、戸塚だった。彼の用件は涼を遊びに誘う事であり、電話に出ない事に逆ギレして見せ、涼を激怒させていたのだった。
(ふぅ……今、そんな事を思い出しても仕方ないな。これから出掛ける用事があるとか適当に理由をつけて、駅で追い返そう)
そう結論付け、涼は制服を脱いで私服に着替え、裏口から外に出て、そこで待っている戸塚と合流した。
「遅いぞ烏丸、着替えに何分掛かってんだよ。俺を退屈で殺すつもりか?」
「待ってろとは言わなかったぞ。それに俺は、これから知り合いの処に行くんだ。アパートには行かないぜ?」
「何だと? じゃあ何か? お前はまた俺に、マンガ喫茶に泊まれとでも言うのか?」
「知るかよ……っていうか、おとなしく家で寝てろよ。俺にだって都合はあるんだぞ? 毎回来られる方の身にもなれってんだよ」
身勝手極まりない戸塚の言い分に、涼はまたも深い溜息を吐いた。しかし、当の彼はその隣を歩きながら、ブツブツと文句を言っている。よほど何もしないで寝ているのが嫌なのか、とにかく一人暮らしのアパートに帰る事を嫌がるのだ。と言って、日本アルプスを隔てた向こう側にある彼の実家から大学まで通うことは、不可能に近いだろうが。
「そうだ烏丸、ルームシェアしようぜ。それなら退屈しないで済む」
「寝言は寝て言え。ほれ、俺はここまでだ。大人しく自分のアパートに帰れ」
「ちぇっ、マジで出掛けんのかよ。あーあ、仕方ねぇ。他を当たるか」
「いい加減、人様に迷惑掛けてる事に気付けよな。じゃあな」
そう言って涼は、地下鉄の駅入口を駆け下りて身を隠した。そして、戸塚の姿がそこから消えたのを確認した後、やれやれ……といった感じで自宅に向かい始めた。
(ああまであからさまに文句を言われて、それで凹まない奴も珍しいな)
そんな事を考えながら、自宅付近まで歩いて来た涼は、コンビニに立ち寄ってビールとつまみを買い、やがてアパートの前に差し掛かった。しかしその時、彼の目は、ありえないものを捉えていた。
(……ん? ドアの前に誰か居る……まさか!?)
その『まさか』だった。涼のアパートのドアの前でウロウロする人影……それは戸塚だった。片手に酎ハイの缶を持ち、その足元にも既に2~3本分の空き缶が転がっていた。
(何て奴だ! あの空き缶、片付けるの誰だと……いや、そうじゃない! あンの、馬鹿!!)
すっかり頭に血が上った涼は、自分が今まで身を隠していた事も忘れ、フラフラとドアの前をうろつく戸塚の脳天に自らの拳骨をぶつけていた。
「このバカヤロウ!! 人んちの前で何酔いどれてんだ!!」
「いつつ……あぁ? ほれ見ろ、やっぱ帰ってきたじゃねぇか」
「……!! 忘れ物を取りに来ただけさ! それより戸塚、どうしてお前は俺に付きまとうんだよ!!」
すっかり虚ろな目になっていた戸塚を、涼は正面から怒鳴りつけた。だが、近所の家の明かりが一つ、また一つ灯り、自分達の発する喧騒が迷惑になっている事に気付いた彼は、慌てて戸塚を連れて自宅のドアの奥に引っ込んだ。
「……ったく。どこまで俺に迷惑かけりゃ気が済むんだよ、お前は!!」
「迷惑? そんなもん掛けた覚えはねぇよ。俺はただ、友達の家に遊びに来てるだけだぜ」
「相手の都合を無視すりゃ、充分迷惑になるんだ!! いい齢こいて、そんな事も分かんねぇのか!!」
隣室に声が洩れるのを恐れ、涼は小声で怒鳴った。しかし、ただでさえ常識が欠如した戸塚に酔いがプラスされ、更に手が付けられない状況になっていたので、もはや説教するだけ無駄だった。とにかく居つかれては迷惑と、涼は身支度を整える演技をして、今度こそ戸塚を外に放り出そうとした。だが……
「……ん? おい烏丸、あすこに寝てんの、誰だぁ?」
「……!!」
まずい!! と、気付いた時にはもう遅かった。戸塚は、ドアの向こうにある布団に寝かされているイリサの姿を見つけ、ずかずかとそちらに向かって歩き出していた。
「おい、いい加減にしろよ!! なに勝手に上がってんだ!! 通報すんぞ、この野郎!!」
「あれぇ? こ、コレ……お前の妹じゃねぇか? けど……髪の色が違うし、息してねぇ?」
涼の怒鳴り声などすっかり無視して、戸塚はイリサの顔を覗き込んだ。その顔を見た瞬間、何故か彼は驚いた……というか、怯えたような表情を見せたが、彼女が『人間で無い』事を見破ると、すぐにまたニヤケた表情に戻っていた。そして、あろう事か戸塚は、イリサの存在を嘲笑するかのように高笑いしていた。
「プッ……ははははは!! お前、妹ソックリな人形作ったのかよ!! シスコンのお前にゃ似合いだぜ、あははははは!!」
「……!!」
彼の口から出た台詞で、涼の頭の中で何かが切れた。そして次の瞬間、戸塚の横面に涼の渾身の右ストレートが炸裂した。よろけた処で今度は胸ぐらを掴まれ、彼はドアの外へと放り出された。
「な、何すんだよ、この暴力野郎!!」
「ウルセェ……顔の形をこれ以上変えられたくなかったら、そのまま失せろ!! そして二度とここに来るな!! じゃねぇと、マジで警察呼ぶぞ!!」
「……チッ」
予想を遥かに越える剣幕に、流石の戸塚もまずいと思ったのか。スゴスゴと逃げるように去って行った。だが、涼の心中は穏やかではなかった。
「シスコンだ!? この手で育ててきた妹が、可愛くない訳ないだろうが!! ロリコンのテメェとは違うんだよ、馬鹿野郎!!」
戸塚を殴り倒した右拳を見詰めながら、涼は肩を震わせた。そしてドアの奥に姿を消し、ゆっくりとイリサを目覚めさせた。
「……リョウ……お兄ちゃん?」
「ただいま、イリサ」
「……? お兄ちゃん、どうしたの? 目からお水がこぼれてるよ?」
「ン……何でもない。何でもないんだよ、イリサ」
不思議そうに涼の頬を伝う涙を指で拭い、イリサは円らな瞳で彼を見詰めていた。その姿に生前の妹の姿を重ねて見てしまったのか、彼は暫く彼女の身体を抱き寄せながら、嗚咽を漏らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます