ブートアップ

「紘也さん……こりゃ、どういう事です!? 髪と瞳の色以外は、入沙そのものじゃないですか!!」

 つぶらな瞳で涼の顔をジッと見詰めている『イリサ』の頭を優しく撫でながら、紘也が説明を始めた。

「ハハハ。コイツは、俺が高校生の頃からずっと研究を続けて来た、極めて人間に近いロボット、アンドロイドだよ。本当は、もっと別な造形にするつもりだったんだがな。ボディの形成に入る前に、お前がゾンビみたいになっちまったからな」

 そう前置きすると、紘也は指を咥えながら自分の方を観察し始めた『イリサ』に手を振りながら、更に説明を続けた。

「オマエの妹の、入沙ちゃんに似せてボディを形成してみたんだ。慰めになるか怒りを買うか、二つに一つの大博打だったが……満更でもなさそうだなぁ? ん? 怒鳴られた時はヒヤヒヤしたが」

 ポーっとした顔で、思わず『イリサ』の姿に見惚れていた涼の顔を覗き込んで、紘也はニヤリと笑いながら感想を求めた。

「……っ!! ひ、卑怯ですよ!! 姿かたちだけならまだしも、声や仕草までそっくりに造られちゃ、怒れないじゃないですか!!」

「フッ……俺の勝ちだな」

 紘也は訳の分からない優越感に浸っていた。だが、つい先刻、凄まじい剣幕で紘也を怒鳴りつけてしまった涼としては、今、非常にバツが悪かった。これが本当に単なる等身大フィギュアだったら、金輪際、紘也とは縁を切ってやろうと、そこまで考えてしまった為、詫びを入れたいのだが……この勝ち誇ったような彼の態度を見ると、素直に謝れないのだった。

「さっきの説明だと、この子は俺の事を主人として認識する……って事ですよね?」

 先程の態度を誤魔化すかのように、涼は熱心に『イリサ』についての質問を始めた。その言葉を聞いて、エンジニア魂に火がついたのか。待ってました! とばかりに紘也が説明の続きを始めた。

「そう、彼女は今、オマエの事を『主人』として認識しているはずだ。しかし、最初の一声が『イリサぁ~』とはねぇ」

「なっ……俺はそんな、ヤラシイ声じゃありませんよっ!!」

 自分の声色を真似て演技をする紘也に、涼はまたも真っ赤になって抗議した。

「ハハ、冗談だ。さっきの初回起動で、お前の生体認証も同時に完了してな。この子の『マスター』として登録される仕組みになってるんだ」

「この子の……『マスター』? 俺が!?」

 涼は未だに『信じられない』というような表情で、自分の方を監察しているイリサの顔を見詰めた。

「だから、スイッチを切る事は誰にでも出来るが、再起動できるのは、涼。お前しか居ないんだ」

 イリサは涼の手を握って、興味深そうに眺めていた。その姿を見ながら未だに驚きを隠せないでいる涼が、今度は逆にイリサの髪の毛を優しく撫でながら、自分の方に振り向かせた。

「リョウ……?」

「そうだ、リョウだ。お前の兄ちゃんだよ。お前はイリサ……イリサだ!」

「イリサ……イリサ……私の……なまえ? イリサなの?」

「そうだ、イリサだ! 俺の妹だ!!」

 その様子を見て、紘也はウンウンと頷いていた。

「その調子だ涼。その子は、まだ言葉を覚え始めた子供と同じだ。純粋無垢な子供なんだよ。だから、そうやって一つずつ、知識を付けさせて行くんだよ」

「へぇ……あはは、イリサ。痛いよ。あんまり強く指を握っちゃダメだ。もっと優しく……」

「やさしく……?」

 と、次の瞬間、イリサは思い切り涼の手を握り返してきた。

「いてててててて!! い、イリサ! 痛い、痛いよ!」

「いたい……?」

 こりゃヤバイという感じで、慌てて紘也がイリサの手を涼の指から引き剥がした。

「スマン。外見は華奢だが、この子はアンドロイドだからな。基本的な身体能力は、並の人間の3倍近くはあるんだ」

「さ、先に言って下さいよ! 折れるかと思った……ん?」

 痛がる涼を、イリサは不思議そうな目で見ていた。紘也によると、彼女には触覚はあるものの、それを『痛み』として感じるようには出来ていないという。つまり、『痛い』という感覚を理解できないので、こればかりは『禁止事項』として教え込むしかないようだ。

「いいかいイリサ。今のは『やさしい』じゃなくて、『らんぼう』って言うんだよ。やってはいけない事なんだ」

「らんぼう……やっちゃ……ダメ?」

「そう。やさしいって言うのはね、こうやって……ホラ、真似してごらん? そう、そう……」

 そう言って涼は、ポケットティッシュを取り出し、まず自分で柔らかく握って見せたあと、イリサに真似させてみた。握り潰さないように弱めの力を加える。この感覚を覚えさせるには、実際に体感させるしかないと、咄嗟にそう判断したのである。

「ほー、教え方が上手いな涼」

「実際にやってきた事ですからね。入沙が赤ん坊だった頃の事を思い出しますよ」

 歳の離れた兄妹だった為、涼はオムツの取替えからずっと入沙の世話をしてきた。彼は今、その頃の事を思い浮かべながら……目の前にいるイリサに優しい視線を向けていた。が、ふと思い出したように、ある疑問を紘也に投げかけた。

「えーと、アンドロイドですよね? この子。動力と燃料は?」

「ん。動力源はモーターだ。つまり電力で動いている。だが、電源は電池じゃないんだ」

「え?」

 頭に疑問符を浮かべながら、涼はティッシュで遊んでいるイリサをジッと見詰めた。

「この子は、体内に特殊なエネルギーコンバーターを搭載していてな。ぶっちゃけて言うと、口からメシを食うんだ」

「メシ……って、俺達が食ってる、あのメシですか?」

「そう。米の飯だ。それを体内に取り込んで、コンバーターに導入すると……ん~、専門的な説明はやめよう」

「……助かります。俺、文系なんで」

 この段階で既に脂汗を流し始めた涼を見て、紘也は苦笑いしながら説明を中断し、分かりやすい言葉に置き換えて補足した。

「要するに、飯を燃料にして電力を作って、それで動いてるんだ。燃料補給の頻度は……ま、お前と一緒にメシ食ってれば間違いないよ。だが、2~3日程度なら、省電力モードで無補給でも稼動できる」

「妙にリアルですね、ホントに人間みたいだ……ん? ちょっと待って下さいよ? 飯を食うって事は、つまり……」

 食べる事と相反するメカニズムが、涼の頭に思い浮かんだ。が、紘也はカラカラと笑いながら、更に説明を加えた。

「この子がトイレを必要とするのは、排水作業の時だけ。電力を発生させる段階で、どうしても余剰な水が出来ちまうんだ。だからまぁ、ここも人間と一緒だな……って、何赤くなってんだよ?」

「……何でもないです」

 不覚にも涼は、イリサがトイレで『排水』するシーンを思い浮かべてしまった。その事を悟られまいと、必死に表情を作っていたが、紘也にはお見通しだったようだ。

「教えるのが恥ずかしかったら、そこは俺が替わってもいいぞ?」

「結構ですっ!! ったく……この子はもう、俺の妹なんでしょ?」

「アハハハ、正しい反応だよ涼。誰だって、妹の恥ずかしい格好は見せたくないもんな?」

「……っ!!」

 見透かされた恥ずかしさか、はたまた『妹のその姿』を想像したからか。涼の顔は赤いままだった。

「……っと、実際に妹を育ててきたお前には、メカニズム以外の説明は不要だな。ま、困った事があったら、その都度教えるよ」

「助かります……そ、それと……」

「ん?」

「……さっきは、スンマセンした。紘也さん……『妹』を甦らせてくれて、ありがとうございます」

 急に改まった態度になった涼を見て、紘也はボリボリと頭を掻きながら背を向けた。

「いいって事よ。その子はお前にくれてやる。が、その代わり。俺の研究の集大成だ、大事に扱えよ」

 背を向けたままで、紘也はぶっきらぼうに言い放った。恐らく、これが彼なりの照れ方なのだろう。

「……分かりました」

 今度は、ティッシュを一枚ずつ取り出して、フワフワと飛ばしてそれを眺めているイリサを見詰めながら、涼は紘也に礼を言った。

「じゃ、いつまでもその格好じゃあ可哀想だからな。キチンと服を着せてやらないと」

「服、ったって……そんな物が何処に?」

 と、涼が頭に疑問符を浮かべている間に、紘也は既にイリサが纏っていたワイシャツを脱がせに掛かっていた。

「なっ……! いきなり、何すんですか!?」

「あー? コレを脱がさなきゃ着替えが出来ないだろうが」

 まるでマネキンを扱うかのように、アッサリとイリサの着衣を取って行く紘也を見て、涼は思わず赤面しながら呟いていた。

「表情一つ変えず、良くそんな真似が出来ますね?」

「オマエなぁ、幾ら精巧に出来ていたってコイツはアンドロイドなんだぞ。増してや俺はその制作者なんだ、その俺がいちいちメンテの度に照れてたら、話にならんだろうが」

 それはそうだが……と、涼はイリサの裸身を正視できないままその場に立ち尽くしていた。が、そんな彼を見て、紘也が呆れたように言い放った。

「涼、この子は未だ生まれたばかりの赤ん坊だと言った筈だろ? だから、外に出る時は服を着るとか、腹が減ったら飯を食うとか、そんな事もまだ知らないんだぜ。それを教えてやるのは涼、オマエの役目なんだぞ」

「……!! そ、そうですよね。俺がこの子を育てていくんですよね」

 紘也は、グッと握り拳を見詰めている涼に向かって苦笑いを浮かべた。そしてロッカーから女児用の衣服一式を取り出すと、それを涼に手渡し、『最初の仕事だ』と言いながらその肩を叩いた。

「……メチャクチャ精密に出来てますね? まるで本物の肌のようだ」

「当たり前だ、パッと見でアンドロイドだとバレちまったら大騒ぎになるだろうが」

 その造形の美しさに暫し見惚れていた涼がハッと我に返ったのは、5分後の事であった。彼は慌てて下着から何から、全てを自らの手で彼女に着せてやる事になったのだが、作業が終了した時には全身汗だくであったという。

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