アンドロイド

 月日は流れ、蒸し暑い風が肌に纏わり付く季節、6月のある日。涼の背後から、普段より数段キツめの異臭が漂ってきた。

「この匂い……紘也さん!?」

「おいおい、匂いで判断すんなよな。まぁ、正解だが」

 涼が振り向くと、そこには見事に伸びた髪と髭で不潔感を増した紘也が、既に茶色く変色した白衣に身を包んで立っていた。

「……ごうやざん……ぢょっどその匂い、ぎづずぎばずよ」

「あ? あぁ。オマエに、見せたいものがあってな。それを見せたら風呂浴びてくるよ」

 鼻をつまみながら、涼はやっとの事で紘也と会話をした。それほどまでに、紘也の放つ異臭は凄まじかったのだ。

「……でぎれば、ぞどばえに風呂に行っでぐだざい……吐き気すらしてきばずよ」

「あー? ちぇっ、しょうがねぇな……分かったよ。じゃ、2号棟4階の、第3ラボで待ってな」

 そう言ってクルリと振り向き、ボリボリと頭を掻いてフケを落としながら、紘也はグラウンド脇にある運動部のクラブハウスへと向かった。そこでシャワーを借りるつもりなのだろう。その後姿を目で追いながら、涼は紘也の台詞を反芻していた。

「2号棟4階……第3ラボ? 確かあそこは……」

 その研究室は、ほぼ紘也の専用研究室と言っていいほど、彼の好き勝手になっている部屋であった。元は研究員が沢山居たのだが、紘也の熱心すぎる研究の内容に誰もついていく事が出来ず、一人、二人と出入りする者が居なくなり、ついには彼一人になってしまったのである。だが、研究に没頭すると周りが見えなくなる紘也にはそんな事は一切関係なく……むしろ彼にとっては好都合な状況となっていたのだ。

「そうだ、あそこは確か、ロボット工学の研究所だったよな。紘也さん、何を見せてくれるつもりなんだろう?」

 首を傾げながらも、涼は紘也の指示通りの場所へと足を運んだ。しかし、鍵が掛かっている為に中に入る事はできない。彼は仕方なくドアの前にしゃがみ込んで、紘也が帰ってくるのを待つ事にした。

「おー、わりぃわりぃ」

 20分ほど待たされただろうか。涼が退屈を覚えてきた頃になって、漸く紘也が姿を現した。ボサボサに伸びた髪はそのままであったが、流石に髭は鬱陶しかったのか、キレイに剃られていた。

「紘也さん、せっかく髭剃ったんだから髪も何とかしましょうよ」

「あ? ……ったく、注文が多いな。ホレ、これでいいか?」

 と、彼はポケットに入っていた輪ゴムで、無造作に掴んだ髪を首の後ろで縛った。そして、身体がキレイになった分、衣服の匂いが気になるようになったのか。研究室に持ち込んでいた替えの衣服に着替え、白衣も洗濯済みの予備に取り替えた。

「待たせたな。じゃ、この2ヶ月の成果を見せてやるよ」

「……その成果とやらに、俺が関係あるんですか?」

 妹との死別をまだ引き摺っているのか、涼の態度は非常にトゲトゲしていた。が、そんな態度も何処吹く風という感じで、紘也はマイペースを保っていた。そして涼を隣室に招き入れると、白いシートの掛けられたベッドを指差しながら、涼にそのシートをはがすように促した。

「まぁ、見てみろよ。かなりの自信作だぜ」

「……? 何なんです? 一体」

 そう言いながら、涼はベッドの上に掛けられたシートをパッと剥ぎ取った。そして、次の瞬間。彼の目線はベッドの上に横たわる『それ』を見て……シートを握る手に力が篭り、ワナワナと震え始めた。

「どうだ? 見事な造形だろう。寸分の狂いもなく再現したつもりだぞ? これでも観察眼には自信があってな」

 誇らしげに胸を張り、紘也は『それ』の出来栄えを自慢した。だが涼は喜ぶどころか、逆にその目に怒りを湛えて『それ』を凝視していた。

「……紘也さん。これは一体、何の冗談です?」

「冗談? 友人としての、心を込めたプレゼントだぞ?」

「ふざけるな!! 悪ふざけにも程がある……これは俺と、入沙に対する侮辱じゃないか!!」

 涼は、怒りに満ちたその目を今度は紘也に向け、ベッドに横たえられた『それ』を指差し、激高した。それもそのはず。『それ』は、髪の色こそ銀色に変わっていたが、その姿はまさに、彼の妹――入沙そのものだったのだから。

「あーあ、『凶』と出たかぁ。良かれと思ってやった事なんだがなぁ」

「何!? じゃ、アンタは俺をからかう為にだけ、2ヶ月もここに篭って……この人形をこさえてたってのか!?」

 すっかり興奮しきってしまった涼を宥めながら、紘也は台詞を続けた。

「落ち着けよ。良かれと思って、って言っただろ? 少なくとも悪意は無いんだ……よっ、と」

 紘也は、入沙そっくりのその体を抱き起こすようにして姿勢を変え、ベッドに座らせた。

「じゃあ、一体なんだって言うんです!? こんな人形を俺に見せて!」

「涼、俺の専門は何だったか知ってるだろ?」

「え? そこに並んでるフィギュアの数々が、そうじゃないんですか?」

 流石の紘也も、その台詞にはガックリきたようだ。彼はトホホと笑って、机の方に目をやりながら答えた。

「アレはただの趣味さ。なんで俺がわざと単位を落としてまで、大学に居続けてると思ってる? こういう研究を続けていたいからさ。大学院じゃ、勝手気ままにこんな事は出来ないからな」

「研究? それ、等身大フィギュアじゃないんですか!?」

 その台詞を聞いて、紘也はニヤッと笑い、涼を自分の隣に来るよう手招きした。そして……

「いいか涼、コイツは最初に起動させた者を、主人として認識するように造ってある。専門的に言うと生体認証システムだ。ホレ、銀行のキャッシュカードなんかに使われてんだろ? 平たく言うとアレの発展形さ」

「……!?」

 紘也は誇らしげに説明をした。だが涼は、ワケがわからんという感じで首を傾げながら『入沙フィギュア』をシゲシゲと眺めていた。然もありなん、裸体にシャツを羽織っただけの『それ』は、まさに紘也の趣味の集大成にしか見えなかったからだ。

「俺が操作しちまっちゃ、意味がねぇんだ。いいか? 両肩の後ろに、一箇所だけ柔らかく、指が押し込める場所がある。そこを探ってみな? シャツの上からじゃないぞ、直にだぞ……あぁ、まだ指は押し込むなよ」

「え……肩の後ろ? あぁ、ここだけ柔らかいな」

 と、涼は『入沙フィギュア』の両肩に正面から手を置く姿勢になった。その姿を見て、紘也が思わずプッと吹き出した。

「その格好、セクハラ兄ちゃんみたいだな」

「なっ、アンタの指示でしょうが!!」

 真っ赤になりながら、涼は笑いを堪えている紘也に食って掛かった。

「プクク……悪い悪い。じゃ、その場所を、両方一編に強く押しながら、そいつに向かって何か声を掛けてみな?」

「え? 押しながら……声を?」

 何が何だか分からなかったが、涼は紘也の指示通りに『彼女』の顔をじっと見詰めながら、優しく呼び掛けた。

「入沙……イリサ!!」

 ……と、その瞬間。彼女の目がゆっくりと開き、その眼で涼の瞳を見詰め返してきた。

「……なっ!?」

「指紋・声紋・網膜パターン登録完了……貴方は誰ですか? 名前を教えてください……」

 『彼女』に話し掛けられ、涼は驚いた。だが、生前の入沙にソックリなその声を聞いて、彼はほぼ無意識に答えていた。

「からすま りょう」

「カラスマ・リョウ……パスワード登録・認証完了、ブートアップ」

 『彼女』はその第一声を発すると、それまで人形のようだった目に、まるで人間の瞳のような輝きが宿った。その様子を見て、紘也は『よしっ!』とガッツポーズをして喜んだ。だが、涼はまだ、狐に摘まれたような顔をしていた。

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