最終話 たからもの
ピア達は、かつて宮廷魔導士の一家が住んでいた屋敷に戻っている。
あの小さな部屋の思い出が、彼をこの屋敷から遠ざけていたのだが、使用人達の生活もあるので、屋敷は使用人もそのままで維持されていた。
使用人達は主が戻って来た事を喜ぶ。
この日、家の前に馬車が到着する。療養所にいた母を引き取って、今日から彼女もこの家で暮らすのだ。彼女にも辛い思い出の家ではあるが、勇気をもってこれから良い思い出に書き換えようとしている。ピアも同じである。
父が成しえなかった母の心を癒す仕事を、自分がやり遂げてみようと思ったのだ。心を壊す前の、
その時に初めてピア少年は、あの本に埋もれた小部屋から自由になれるのだろうと思う。
その勇気がもてたのは、ひとえに青い瞳の少年のおかげ。
少年は常に目隠しの状態だから今は出仕もできず、体調もやっと回復の方向にむかっている感じで、無理をさせられない。そうなると生活の手助けに人手がいる。
この屋敷に戻るのが、一番良いという事も後押しに。
少年を屋敷に残し、ピアとフィーネは図書室や宮廷魔導士の部屋の書棚を漁って、カートの瞳の力を抑え込む方法を探していた。
ダグラスの眼鏡に使われていたレンズが、特殊な加工で魔力を屈折させ、歪ませる事で影響を防いでいたようなので、そのような眼鏡を少年にかけさせるという案も出てはいた。
だが、不意に外れた時の事故が心配である。
そして少年が眼鏡を見ると精神的に不安定になるというのも、却下の理由の一つだ。逃げ場のない場所で恐怖に傷つけられた心は、一朝一夕で癒える事はなく、最後は愛情をもって優しくされた曖昧な記憶がカートをひどく混乱させていて落ち着くまでに時間が必要だった。
「兄様、なんか出て来た」
「ん?」
本棚の奥に、手紙が二通。開封されてはいない封筒を少女は取り出し、兄に手渡す。表には一言だけ書かれている。
――ピアへ。
父の字と、兄の字だった。
椅子に座り、ナイフでその封筒を開け、短いその中の手紙を読んだ。
処刑の前日に、書かれたもの。
その内容を、ピアは口にはしない。
「父さん、兄さん……」
涙をこらえて絞り出す声は、多数の感情が含まれていて、フィーネの胸を締め付けた。
金色の瞳を上げると、彼は大切そうにその二通を、取り出しやすい一番上の引き出しに入れる。
これからもし、家族の愛への信頼が揺らぐ事があれば、再び目を通す事になるだろうと。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「伯父さんなんですか?」
「そうだよ。おまえの母アリグレイドは、わたしの妹だ」
失われた最愛の妹の、忘れ形見。目隠しをしていてもその姿は妹によく似ていて、彼は幸せそうに目を細める。
ピアの屋敷の庭の東屋に、使用人達がお茶を準備してくれており、二人だけでそこにいた。
「一族の力が君を苦しめてしまった」
「でも得るものもたくさんありました」
「力が解放される前なら、封じる方法もあったのだが……」
「すみません。僕が、僕の存在を知らせないようにして欲しいと願ってしまったんです」
「仕方ないさ。でもこうやって会う事が出来て、満足しているよ。それに我が家の呪いも、どうやらあの優秀な魔導士がどうにかしてくれそうだ。出会わせてくれた君の存在に、感謝しかない」
代々続いてしまったこの力は、古い魔法の術である。それを解く事が出来れば、彼らは
力より、子供が健やかに幸せになってくれることを望みたい。
「君は君のままでいてくれていい。だが伯父として会う事は、これからも許して欲しい。うちの娘達……君の従姉妹にも会ってもらえたら」
「もちろんです」
「君も我が家の宝物だ。困った事があればいつでも頼ってほしい」
大きな手が、その金茶の髪を優しく撫でてくれた。
この家族の愛にまた、カートの中の幼い子供が成長を遂げる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
少年は
人払いがされ、彼は目隠しを外し、その美しい瞳で透明な大樹を見上げている。
少年の耳にも精霊の声は聞こえない。その魔力の瞳を持っても、姿を見る事も叶わない。
だが、精霊はここにいるという事は感じ取っていた。
木にもたれかかる。
「……お願いします」
目を閉じる。
頬に誰かが触れているような感触があるが、目は閉じたまま、静かにそれを受け入れる。
代々受け継がれたその瞳の力の魔法を解除するには、古い時代の文献も漁らなければならず、時間がかかる。その間、少年がずっと人前で目隠しをし続けるのは不憫だと考え抜いた結果。
「魔力が肥料変わりのようだから、
という、雑なアイデアがピアの脳裏に閃いた。
「そんな器用な事が出来るのだろうか」とヘイグ。
「それが原因で、失明何てことにはならないのかしら」とグリエルマ。
グリエルマの少し目立ち始めたお腹を見て、ピアはちょっと思う所があったが、それは思考から追い出す。
「黒いやつだって飢えてなければ、もうちょっと丁寧だったろうさ。それで失明するような事になるなら、精霊はカートの瞳の魔力に手を出さないんじゃないかな。あいつら別に、人を傷つけたいわけじゃないだろ」
という訳で、カートはここにお試しでいるのである。
うまくいけばラッキーだなと。
本当に、適当にやるなあと思う。
でもピアの事を信頼しているから、何も怖くない。
人に影響を及ぼす分の魔力だけを上手に吸い取ってもらえれば、カートの瞳は余計な力を失うし、栄養をもらって
精霊の声に頼る事を辞めるとしても、この木自体、精霊には少しでも長く残って欲しいという思いもあった。
時間が経過すると魔力は体力と同じで回復してしまうから、成功するようなら定期的に吸ってもらわないといけないのが難点ではある。
だがこれが、今できる唯一の事。
少年がもたれた木の根元は、冷たいけれど心地よい感じだった。
――なんだかここ、とても気持ちいい……。
体の力が抜け、くたりとその身を完全に重力に任せる。
しばしの時間を置いて、何かの衝動に突き動かされ目を開けたが、自分では何も変化を感じなかった。
体を起こすと、遠くからゆっくりとピアが歩み寄って来るのが見える。
目が合うと、信頼するその人が優し気に微笑んだので、カートも微笑み返す。そんな少年の瞳は、元の空の青色に戻っていた。
吸い込まれるような天空の色も悪くはないが、カートにはこの万人に愛される親しみの沸く青が、一番ふさわしいとピアは思う。
あの美しい瞳を直接見たのは自分とアーノルドだけ。アーノルドは頭を打って完全に忘れてしまったようなので、実質今は、自分だけの物なのだ。記憶の中に大切にしまっておこうと思った。
「ボクはやはり天才だな。上手くいったぞ」
「ほんとすごいですね」
ピアは涙と共に破顔して答えた少年の脇に手を入れ、小さな子供にするように勢いよく掲げ上げた。
「きゃ」
女の子みたいな悲鳴を反射的にあげたカートを見て、ピアも笑う。
そしてぎゅっと抱きしめた。
――大切にするよ、この青い空を。
少年を導いているつもりだったが、導かれていたのは自分かもしれない。一歩前に進む勇気をくれるのは、いつもこの少年。
窓から見えた青空は、今もここにあって、自分を外の世界に誘ってくれるのだ。
愛もまた、人を縛る「いと」。
わかってはいるが、二人を繋ぐ絆は残したいと願ってしまった。いつかそれが、自分を縛ってしまうかもしれないが、願わずにはいられない。この糸になら縛られても構わないとさえ。
城の方から少年少女の声がして、ピアはカートから体を離す。
駆け寄って来たのはフィーネとアーノルド、そして騎士団の仲間達。
カートはピアの顔を見てニコリと微笑んでから、彼らの元に向けて走って行く。魔導士はその背中に、少年の更なる成長を見る。
駆け寄って来たフィーネと抱き合おうとしたカートに、アーノルドが割り込んで真っ先に抱き着いた。
フィーネは慌ててカートを取り返そうとするが、他の少年騎士達も、こぞってカートに代わる代わる抱き着いて、フィーネはカートに近づけもしないという。
明るく笑う少年達の声が
フィーネが「兄様、なんとかして」と切実に訴えて来るので、ピアはやれやれと言った感じで頭を掻きながら、彼らの元に歩み寄って行く。
その頭上、透明な枝の背景に広がる空は、今日も青く澄み切って、静かに大地を見下ろしていた。
カートは視線を上げ、その空に心を向ける。
様々な事があって。
これからも色々な事があるだろうと思う。
人は簡単に、他人の意図に縛られる。
時に、身動きできないほどに。
常識とされるものだって、他人の意図で出来ている。
気づかず人は、いつも何かに縛られて。
最初は、それを疑うだけでいい。本当に必要な物なのかと。
他人の言葉に盲目的に従うのではなく、考えた末の一歩をこれからも。
絡まる糸を振り解き。
強い意思で断ち切ろう。
心の自由を失わず、目的地に向かって、前を向いて歩く。
苦難も、障害も、乗り越える時は自分の意思で。
絡まり続ける いと を物ともせず。
ぼくたちは絶対に、人形にならない。
(完)
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