第4話 この手で護ると
「ピアの読み通りだったな」
「あと一日、編成が遅れていれば危なかったですね」
ヘイグの隣に壮年の騎士が立つ。他国滞在時に傭兵経験もある、数少ない実戦経験者だ。兵士の中にも元傭兵がいて、彼らに即席ではあるが他の兵に実戦についての教育を施してもらった。
国境の丘、その向こうに隣国の色でもある赤い旗が連なって見える。
対するこちらは緑の旗。
南の国境に揃えた数は二万、あちらも同数を揃えているように見える。圧倒的に短い準備期間を思えば、こちらの数は脅威のはず。
しかしまともに訓練を積んだ兵士の数でいうと三千程度で、彼らに前線を支えてもらわなければならない。
民兵に、難しい作戦を実行するのは無理だ。
やる気だけは随分とみなぎっているように思う。だが一度崩れれば一気に瓦解する危険をはらむのが、こういう付け焼刃の軍隊の弱点。
これから小さな小競り合いは起こるかもしれない。ここは絶対に負けてはいけない。初戦で敗れれば、ドアナ以外の国も野心を持つ。
緊張はしていない。広く、視野を持てている実感があった。
戦局を、自分が見誤らなければいける。そう思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ピアはアーノルドの馬に一緒に乗っている。カルディアはフィーネが連れて行ってるからだ。今も彼女は、母親の元に留まっていた。
遠目に、足場が組まれたままの作りかけの塔の姿。
カートと初めて出会った場所に差し掛かり、少女人形は目を細める。
初めての戦いで、随分と動ける子だと思い。
そして優しい子だとも。大人しいだけかと思えば、頑固だったり、変に照れ屋だったりと随分とピアを楽しませてくれた。
あの少年を失う事など、考えたくもない。
無事でいて欲しい。あの瞳の秘密がある限り、無為に殺されるような事がないのが救いだが、少年の体は少し弱い。早く救い出してやらねば。
少し離れた所に馬を置き、徒歩で見つからないように気を付けながら近づく。
たどり着いた塔の外に一人の男が見える。薪を準備している様子だ。
「使用人かな?」
「元兵士だろうか、戦える動きをしてる」
ピアが可愛らしい声で分析をする。
カート救出のために借りた騎士はアーノルドと、そのおなじみの二人の取り巻き。細身の少年と太目の少年。精鋭とはいえない救助部隊である。実力ある騎士は南に向かわせた。初めての戦いだ、おそらく苦戦するであろう。一人でも多く向かわせる必要があった。
ピアが背面の短剣を抜く。
「とりあえずあいつから、情報を引き出そう」
「敵の人数は最低限、知りたいですね。部屋数は少ないし、内装工事はこれからだとしたら、使える部屋は限られているはず。カートのいる部屋を見つけるのは難しくないかと」
ピアが感心したようにアーノルドに頷く。少年の細い目はまっすぐに塔を見据えている。囚われの姫君の救出に向かう騎士、といった目。
「気づかれないよう、慎重にいこう」
ピアは軽やかに隠れていた茂みから抜け出し、物陰に隠れながら使用人の男の背後をつく。アーノルドの指示で太目の少年が前方にまわりこみ、わざと物音を立てて注意を引くと、同時にピアはぱっと物陰から飛び出して、「声を出すな」と言いながら男の首に短剣をつきつけた。
アーノルドと細身の少年が飛び出し、二人がかりで、その男を茂みに引き込み、あっという間に縄で縛ってみせた。とてもアブノーマルな方面の縛り方で、どう見ても興味本位で覚えたやつ。
「おまえら、カートに変な事を教えたらしいが、まさかこんな縄のかけ方まで教えてないだろうな」
少年騎士達は明後日の方向を向いて、白々しい表情をした。
――教えたなこいつら……。
「さてと、尋問タイムだ。こいつらの好奇心の実験台になりたくなければ、素直に答えるんだな」
短剣を鼻先に突き付けて、無表情に少女人形は使用人の男に質問をぶつけていく。
男は芋虫のように縛り直され、猿ぐつわの後、茂みの奥に放置される。
「人数は多くない、一人ずつ仕留めよう。だがダグラスには手を出すな、おまえらの手には負えない」
「でも」
「カートの保護を優先してくれ、頼んだぞ」
彼らは、使用人を一人ずつおびき出し、連携して縛り上げ、その数を順調に減らす。
カートのベッドの
熱に浮かされ苦し気に喘ぐ少年を前にすると、目を離す事も出来ず。
目を閉じると幼く見えるその顔立ちは、一見すると母親似。
だが耳の形や口元に、親友の特徴が受け継がれており、改めて彼の忘れ形見であることに気付いてしまうと、その苦しむ姿を見て眠れるはずもなかった。
これからは苦しめたりはしない、大切にするからと、その寝顔に何度も許しを乞う。
今朝になってやっと熱が引き始め、呼吸が落ち着いたのを確認し、その安堵から今は睡魔に負けている所であったが、数々の修羅場の経験からか、異質な空気を感じて目を開ける。
「なんだ……?」
部屋から出て、窓からそっと外を見る。
緑の制服の騎士団員二人が、ぐるぐる巻きにされた使用人を運んでるのが見えた。
咄嗟に窓から離れる。
「何故ここがわかったんだ……!」
部屋に戻るとカートの足につけられた枷を外し、壊れ物のように毛布で少年を大切に包みこんで抱き上げると即、部屋から飛び出す。
取り返される訳にはいかない。
この少年を、絶対に手放したくないのだ。
ダグラスには、騎士団員が何人来ているのか判断がつかず、まさか少年騎士三人だけとは想像できず、階段と通常の出口を使う事は躊躇した。
まだ工事途中の塔である。外には足場が組まれたままだったので、そこから逃げ出す事にし、少年を抱えたまま窓から外に。
その姿をピアが見咎めた。
後ろについて来ていた三人に「来るな」と言いつけ、一人で追いかける。
だがアーノルドが、その後について行ってしまった。
「アーノルド様、危ないですよ!」
「黙ってろ! 俺はいくぞ」
ピアは身軽にするすると足場を使い、ダグラスを追いかける。追跡に気付いたダグラスは舌打ちをし、足を止めて振り向いた。
男の腕に抱かれるカートが、うっすらとその瞳を開く。吸い込まれるような深い青。
「これが
人形であるピアは全く平気だったが、物音に思わず振り向くとアーノルドがその瞳の魔力に囚われていた。
虚ろにただ、命令を待つだけの
「ついてくるなと言ったのに、おまえっ」
「ははっ、もうその少年は我が手の内だ。その小娘を殺せ!」
男の指示にアーノルドは、腰の煌びやかな剣を抜いた。
「アーノルド、やめないか!」
間髪を入れずピアにその剣が振り下ろされ、慌てて短剣でかわす。
アーノルドに気を取られている隙に、ダグラスは再び逃走を開始する。
「くそ、アーノルドを殺す訳には……」
そして意外と、アーノルドの攻撃が重い。腕を上げたなと、感心している場合ではないのだが。
このままカートを連れて逃げられると厄介だ。瞳の力が解放された今、ダグラスはある意味無敵。少年には全く意思があるようには見えなかった。心を失い、まるで人形のようで。
どんなひどい目に合わされたのか。心を失う程に辛い思いをしたのだと思うと、ピアも苦しい。
「アーノルド! 許せ!」
ピアは覚悟を決めた。ダグラスを野放しにすれば犠牲者が増える。今、ここで足止めされるわけにはいかない。例えアーノルドをこの手にかける事となっても。
ピアは一歩踏み出した。
アーノルドはそれに合わせて一歩下がったが、足場に置いてあった丸い棒を踏んで後ろにひっくり返ると、ゴンっという大きな音を立てて、頭を強打した彼は気絶した。
「ドジっ子は操られても健在か……おっと、こうしてる場合ではない」
ピアは非情にもアーノルドを放置して、追跡を再開。
少年を抱えたまま足場を降りるのは相当に難しかったらしく、ダグラスが地面に到達したとき、ピアも追いつく事ができた。
ピアにカートの瞳の力が効いてない事に気付いたダグラスは、少年の額に軽くキスをしてから、身体をそっと地面に横たえさせる。
その行為に、ピアは心の中で思わず顔をしかめた。
「すぐに終わらせるから、待っていてくれカート君」
男は二本の短剣を抜く。
少女人形も二刀流。ダグラスも同じく二刀流。
熟練の
緊張感をもって対峙した。
男が先手、大きな跳躍を伴う素早い動きで二本の短剣はまるで異国の剣舞のように繰り出される。少女人形は数本の髪を犠牲にしながら、それを反転しながら軽やかに避けてみせた。
「小娘、やるな」
ピアは身をかがめ、刃を避けながら懐に入りこもうとしたが、素早い短剣の閃きに阻まれたうえ、続けざまの蹴り。
ダグラスとしてはみぞおちを蹴り上げた感触に、少女の動きが鈍ると思ったのに、少女はくるっと回転して地面にスタッと華麗に降り立つという何のダメージも感じさせない動きをした。
「なんだ? こいつ」
「そんなもの効くものかっ」
反撃に出たピアの動きはダグラスに匹敵するぐらい素早い。防戦一方に追い込まれたダグラスだが、少女の剣に重さがない事に気付く。
「ふ、随分と非力だな」
「む」
ダグラスの回し蹴りがピアに向かう。両腕を前に組み防御したが、大きく弾かれた。
「はは、その力の弱さで俺に勝とうなどと」
「舐めてかかると、痛い目見るぞ」
こっちには利点があるのだ。
それはどんなに激しく動いても、息が切れる事はない。痛みも感じないからダメージも気にしない。
捨て身だっていけるのだ!
防御を無視した少女人形の繰り出す攻撃は激しさを増し、ダグラスは、舌打ちをした。
長く付き合うのは面倒だと蹴りをするふりをして、フェイント。ピアはそれに簡単に引っかかってしまった。これは実践経験の差だったかもしれない。
男は笑って短剣を振り、少女の左腕を切り落とした。
「なっ」
血が出ない。
断面はつるっとした平面である。
驚愕し、怯んだ隙をついて振り上げられた少女人形の短剣が男の顔をかすめ、眼鏡を弾き飛ばした。
そして、見てしまう。
少年の澄み尽くした青い瞳を。
――しまった!?
意思は喪失しなかったが動けない。体が固まったと思った瞬間、少女の短剣はダグラスの心臓を的確に貫いた。
「ばかな……」
ダグラスの学生時代の記憶が、死の間際に見えるという景色として選ばれる。
朝の挨拶に肩を叩くと振り返る少年の姿。親友、金髪、アイスブルーの瞳。その笑顔が愛おしくて。
――俺は……、そうか……そうだったのか。
自分がその腕に
押し殺した感情、気づかないふりをした。彼の友で居続けるために。
本当に欲しかったのは……。
重い音を立て、男は体を地面に横たえる。まるで最後の景色を見逃したくなかったように目を見開いたまま、二度と動く事はない。
少女人形は切り落とされた腕を拾いあげると、適当に縛って固定した。
「帰ったら接着剤でちゃんとくっつけよう」
地面から体を起こしたカートは、ピアを見ていた。
「ピアさ……ん……?」
「おう、迎えにきたぞ」
飄々とした口調で、なんてことないという感じで軽く言う。
少年は微笑み、そして再び意識を失った。
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