第6話 囚われて
知らない天井が見える。
――あれ? ここどこだろう。僕は……。
血に濡れた床、不審者たち、倒れたアーノルド……の記憶が、一気に脳裏を駆け巡る。
がばっと跳ねるように体を起こすと、眼鏡の男が枕元に置かれた椅子に座り、短剣を静かに布で磨き上げていた。
「お目覚めか」
男は立ち上がると、表情を変えずに少年を見下ろす。
「おまえ……!」
「もう先生とは呼んでくれないか。恋人のように、ダグと甘く呼んでくれてもいいのだが」
「誰がそんな」
戸惑いと不信感、不安が声色に出てしまう。
男は短剣を鞘に納め、無表情なままで机の上に置く。
「俺は君を傷つけたりはしないよ。世界で一番大切だからね」
「ここは何処なの」
「さぁね、それを知っても君に出来る事はないだろうし、言うつもりはないよ」
カートはダグラスを睨みつける。可愛らしい女顔で睨みつけても、迫力は皆無。強い視線は逆にこの男を喜ばせたようで、その顔に悦びの気配が漂う。
「これからずっと一緒に暮らすんだ。ずっとね。その反抗的な態度はゆくゆくは改めてもらいたいが、今は焦るつもりはない。ゆっくりと距離を縮めるのも悪くないと思っているからな」
男は嬉し気に卓上の短剣を持つと、そのまま部屋を出て行く。施錠の音はしなかった。
カートはベッドから恐る恐る降り、周囲を見渡す。裸足には床の石畳が冷たい。侍女の服ではなく、大きな男物のシャツと、だぶだぶのズボン。どちらもあの男の物のように思えて脱ぎ捨てたくなるが、他に服がないのでぐっと耐える。
しかし、着替えさせられている事実が少年を羞恥させた。
――なんだか、やだな……。
ベッドの近く、直近の扉を開けると洗面所だった。
ダグラスが出て行った扉に近づこうとして、足が止まる。
ジャラリと重い音を立てる足枷の鎖。
その鎖は、ベッドの下の床に完全に固定されていた。
鎖は洗面所を使う事の出来る長さがあったが、男が出て行った扉までは近づけない。
そして奥にある窓へも、あと数歩が届かない絶妙さだ。
窓にはカーテンがなく、特徴のない山々が遠方に見えるだけ。しかし、高さのある建物というのだけはわかった。
そしてなんだか無骨な感じ。付け焼刃な内装というか。
ベッドとその脇に小さなテーブル、そして椅子が一脚ある以外は家具はない。
小さなテーブルの上には水差しとコップが一つ。木製で、割って武器にする事は出来ないようだ。
部屋の探検はあっという間に終わってしまい、ベッドに座ると足枷を見る。鎖はそれほど太くはないが、素手でどうにかできるものでは到底ない。
「先輩、大丈夫かな……」
最後に見た姿は床に倒れ、身動きできない様子。
怪我もしているようだった。
「こんな事になってしまって、どうしよう」
ピアとフィーネも、きっと心配してくれていると思うと、寂しさからキュッと胸を締め付ける感情が沸いてくる。
「何故、僕をこんなところに連れてきたんだろう」
思いつく事はあり、体を庇うようにぎゅっと抱きしめる。あの男は、自分に関係を迫っている節があるから。
何も知らない頃なら漠然とした不安で済んだのだろうが、今のカートの頭の中には、アーノルド達に詰め込まれたあれやこれやの具体的な知識があるため、怖さが倍増していた。
だが絶対、それだけが理由ではないはずだ。
己の知らない何かに対して、怖さを感じる。
最近ずっと、不安だった。
瞳に、皆か感じてる違和感が何なのか。
ドアが不意に開き、音に驚いてびくりと体が跳ねる。
ダグラスはトレイに食事を乗せていて、少年の膝の上にそれは置かれる。野菜のスープと、パンが一個。チーズがひとかけらに一掴みのナッツ。小ぶりなオレンジが一個というシンプルな構成。
「厨房が整っていないから、簡易なものだが……食べないのか?」
トレイを横に押しのけて、きっと男を睨む。
「なるほど、薬を盛られるとでも思っているのか。そういえば俺は、前科があったな」
ダグラスは笑いながら乱雑に、少年の両腕を掴んだ。細身の医者という見た目から、全く想像がつかない程の強い力。反射的に身を揉んでカートは激しく抗った。
「いやだ、触るな」
「言っただろう、君の事は大切にするってね」
ぱっと投げるように手を離されると、少年はベッドに倒れ込んだ。
「その元気が
「そんな日、来る訳ない!」
「楽しみにしているよ」
反抗的な態度も可愛らしい。虚勢を張っても弱々しいその見た目は、ダグラスを満足させる。
再び男は部屋から出て行った。
脇に避けられた食事を見る。
薬を盛られるのが一番やっかいだ。以前のように意識はあるのに体が動かないような事でもあると。
でも何も食べないわけにもいかない。逃げ出せるチャンスが巡って来た時に、全く体力がなくなっているのは問題だ。
少年はオレンジと、ナッツ類だけを僅かに口にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カートがダグラスに連れ去られ、その行方もわからないまま時間だけが過ぎていく。
宮廷魔導士の部屋に遠方からの来客。
金茶の髪を短く刈り込んだ凛々しい中年貴族が、ピアの前のソファーに座っていた。
ピアが手紙をしたため連絡をしたところ、辺境伯である彼は手紙の返事ではなく、即刻領地を出立しここにきている。彼は先代女王アリグレイドの兄で、現在のフェリス家の当主であった。
「手紙の内容には、大変驚かせていただいた」
「連絡が遅れた事は、お詫びする」
「まさか妹に子供がいたとは。あの子はずっと、侍女の一人に懸想している有様だったから、絶対にあり得ないと思ったのだが」
溜息が漏れる。盲目で大人しい妹を、随分大切に可愛がってきていた。女王に選出された時の別れが、どんなに辛かったか。彼にとって妹とは、守り愛すべき存在であった。
「何かの間違いだろうと思ったが、瞳の件を見るに、フェリス家の血をその子が引いているのは間違いないと思い、今日ここに寄らせていただいたのだ。その子は今、何処に」
「……先日、城内に侵入した者との戦闘後に攫われ、行方不明で」
「なんと……」
「あの瞳は一体何ですか?あんな目は見た事がない」
「一族の内情に関わる事なので」
「秘密は守ります、教えていただけませんか。大切な子なのです」
重く発せられた【大切な子】という言葉に、一時の逡巡の末、フェリス家当主は重い口を開く。
「先祖の残した、罪の
「何代も前からあのような瞳が?」
「我々フェリス家は、元々北方の出身で。ワイバーンを移動手段に使う山岳地帯の国を発祥としている」
「聞いた事はあります」
「そのような場所で培われた、使役の力。動物や魔物を操る事を得意としており。そうだな……感覚のようなもので、動物とまるで会話ができるようだという評価をよくいただく。生憎、私はそのような力には恵まれず、実際はどんなものなのか、わかりかねるのだが」
「カートも……
「そうか。では間違いなく血族だ。アリグレイドがまさにそんな様子であって、動物と共にあるような娘であった」
金茶の髪色はカートと同じだったが、この男性の瞳は緑色で、その目を静かに伏せる。男らしい精悍な顔立ちの彼は、少年とは似ても似つかない。カートが大人になっても、このような見た目にはならないであろう。
だがその目元、優し気な性格は血縁を感じさせた。
「先祖は欲張ったのだ。使役をする事に対して」
「欲?」
「魔力も豊富だったから、魔法を組み合わせてより、使役の能力を高めようとした。編み出された魔法の術により、大きな力を得たが、その代償も大きなものであって……」
苦し気に言い淀む。
彼が再び言葉を紡ぐのを、ピアは辛抱強く待った。
「先祖は、瞳に魔力を集約する事にしたのだ。一点に集中させることにより、力を強く発揮できるように」
「瞳に?」
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