最終章 マリオネットインテグレーター

第1話 毒牙*


 「君は本当に可愛らしいな」


 カートはベッドの端に腰掛けていたが、慌てて立ち上がりダグラスから距離を取ろうとしたが、ぐっと左腕を掴まれベッドの方に投げ戻される。


 薬を盛られる事を警戒して、作られた食事は一切口にしておらず、添えられたわずかな果物とナッツ類、水だけは洗面所で飲んでいたが、そんなもので力が出るわけがなく。

 長く続く強い緊張感もあって体力を無駄に消費してしまい、乱雑で強引な行為に踏みとどまる事が出来ず、少年の体はベッドの上で軽く跳ねた。


 足枷の鎖が、遅れてジャラリと重い音を立てる。


 間髪を入れずに男の体がその上にし掛かり、完全に動きを封じ込められ、慌てて少年は男の胸に両手を当てて必死に押し返すが。


「あまりにも嫌がるから、君の気持ちを尊重しようと思ったが……流石に御馳走を前にしてのお預けは、やはり難しいな。諦めて、素直に身を任せてくれれば良かったのだが」

「誰がお前なんかに……っ」


 身をよじってなんとか逃れようとするが、男の右手が少年の顎を掴み、顔を背ける事すらできないようにされ、間近でニヤリと笑う男の顔を見る羽目になった。


「君は、偏見のないタイプだと思ったが……?」

「男同士でも女同士でも、そこに愛があるなら……でも、こんな一方的なものは……相手の同意がないのは、ただの暴力じゃないか」


 男は薄く笑って、少し体を離す。


「君がそれを言ってしまうのか。ヴィットリオは浮かばれないな」

「……?」

「君は、君の言う、その暴力で生まれた子だよ?」

「え?」

「ヴィットリオは片思いだった。俺達は元学友でね、たまに酒を飲む仲だったのさ。ひどく酔った日に、一度だけしたな。罪の告白を」

「まさか」


 愛し合っていたかどうかはわからなかった。だが母の恋愛対象が、女性であるという事は知っていた。育ての母エリザがその相手であると気づいていたのに。何故、思い至らなかったのだろう。


 少年の両手から、力が抜けた事をダグラスは感じ、再び笑うと少年の右手を取り、その手のひらに口づけをした。


「可哀相に。君は望まれて生まれた子ではないのだよ」


 かすかに、カートは震えていた。瞳は揺らぐ。


「果たして愛されていたのかな? 君は息子として」


 追い打ちのように、聞きたくない言葉が毒となって耳に染み込む。


 そのような酷い仕打ちの末に出来てしまった子供に、アリグレイドは愛情など本当に持てただろうか?


 ヴィットリオは自分を愛してくれているように見えたが。

 母エリザも、愛してくれているように見えたが……。

 ……そう思えたが……。


 それは自分の持つ、彼らが愛するアリグレイドの面影を、追っていただけのようにも思える。

 カート自身を我が子として、本当に愛してくれていたのだろうか? という疑念が胸に満ち、心に溢れ切ると涙となって頬を伝った。


「俺なら、君を愛してやれる。いろんな意味でね」


 少年の涙を、男は指で優し気に拭うとその顔を寄せる。


 カートは、今ならそれが何の行為のためなのか理解出来ているが、頭の芯が麻痺したようで抗う事ができず、震える唇は静かに奪われた。


 ダグラスが不慣れな少年の反応を堪能し終え、続けて唇が首筋に向かった時カートはやっと声を出すがその声はか細くかすれる。


「あなたは、僕に何を求めてるの。僕にいったい、何があるというの」


 この男が、ただの趣味と欲望のためだけに自分を攫ったとは到底思えなかった。

 その質問に男は満面の笑みで答える。


「君の母親、アリグレイドの生家であるフェリス家には、偉大な力があってね」


 少年が逆らう気力を失っている様子に、後はどうとでもなると思ったのかダグラスはそれ以上の事を進めず、少年の隣に寝転んで抱き寄せて来た。


「あの一族は元々、魔物や動物を使役する事に長けていたのだ。言葉を持たない生き物と、心を通わせる事が出来るという感じだろうか。やがて欲が出たんだろうな。魔物だけではなく、人をも使役したいと。命令すれば何でも言う事を聞くお人形さんを、彼らは自分達の魔力で出来るようにしたのさ」

「どうやって……」


 男は少年の頬を撫で、すっと目を細める。


「瞳だよ。この瞳にすべての魔力を集約したんだ」

「瞳……」

そらの青と言うんだ、その色は。ただの青ではなく、見た人間を魅了して、その自立の意志を吸いつくす。君の瞳はまだ完全にその力に目覚めてはいないようだが、力は漏れ出していたかもね。仲が悪かったのに、急に親しくなった者がいたりしただろう?」


 アーノルドやフィーネの事がぱっと脳裏に浮かんだ。自分は特別何かした記憶はないが、いつしか彼らは自分に好意を持ってくれていたようである。


「俺も、もしかしたら、すでにやられてるのかもな」


 目に熱っぽい光を湛え、笑いながらダグラスは少年の髪を撫でる。


「目覚めたら、どうなるの」

「そりゃあもう、どんな人間も思い通りさ。そしてその力は、目覚めさせた者が使える。そらの解放者と呼ばれているがな。君の瞳は相手の意思を吸いつくし、解放者の命令がその相手の意思となる」

「まさか」

「ああ、俺が目覚めさせてやる。君は俺の物だ。そして……その力があれば、この豊かなラザフォードも、俺の物だな……」


 邪悪な微笑みが閃く。


――嫌だ、そんな事。


 少年は力を振り絞って、抱き寄せられていた体を引き離しにかかる。暴れる少年を手放さないようにする男は、随分楽し気だった。


「おやおや、本当に頑固だな。何処でそんな意思の強さを養ったのやら」

「離せ、触るな、おまえなんて大嫌いだ」

「もう逃げ場なんてないぞ」


 再び男の顔が寄ったタイミングで、扉を叩く音がした。


「旦那様、至急お伝えしたい事が」


 ダグラスは舌打ちをすると、するりとカートから体を離し、襟元を直しながら部屋から出て行った。


 カートはいつの間にかはだけていた自分のシャツの前を閉じるように、ぎゅっと握る。

 起き上がる気力がなく、ひたすら涙がとめどなく溢れて止まらない。


 父母の愛も不確かになった今、更には親友と言ってくれたアーノルド、好きだと言ってくれたフィーネすら、自分が言わせたのだとしたら。


――助けてピアさん、僕を救ってください。この苦しさから助けて。


 あの飄々とした口調と表情で「ボクにはそんなものは関係ない」と言って欲しい。あの日々に、この瞳の力は無関係だと証明してくれたら。


「この力は、関係ないって誰か言って……お願い誰か」


 少年は心の苦しみに喘ぎ続けた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 フェリス家の現当主、アリグレイドの兄は言葉を続ける。


「詰め込んだ魔力が多過ぎて、大抵は胎児のうちに目がやられる。それが我が一族の、青い目の子が失明した状態で生まれる理由だ」

「それで、先代女王陛下は、盲目だったのか」


 フェリス卿は静かに頷く。


「北の地を離れる時、もはや一族はそのような力は欲してはいなかった。しかし古い魔法の技術は解除が出来ず、今に至っているのだが……。実際、魔力に耐えきれない子の方が遥かに多く、失明した子が続けて生まれる事は、まさに呪いののようで。我が家の噂はそうして広まった」

「なるほど……」


 ピアは顎に手をやる、いつもの考える時の仕草を見せる。


「まさか、アリグレイドに子がいたとは」


 同じ台詞をもう一度言い、当主は深い溜息をついた。


 もし青い目の子が、失明せずに生まれていたことを知っていれば、それなりの処置をする事が出来た。魔導士としては生きられないが、解放前であればその魔力を完全に封じ込める事は可能だ。危険過ぎる力で、悪意ある者に利用させては絶対にならず。この力は一族の中で徹底的に秘密とされていたのだが。


「大抵は六歳程度で、力が解放されてしまうのだが、今までよく無事だったと思う。解放された力を封じるには……もうその目を物理的に潰すしかないのだ……。意思が強ければ抑え込めるという話も、先祖の手記にはあったが、その子は意思が強いのかね」

「そうです、頑固と言っても良いぐらい、強い意思を持っていて……」


 彼があそこまで徹底的に、自我を抑え込むように教育された理由が、今になってわかった。エリザはこの事を知っており、なんとかカート自身で、その力を抑え込めるようにしたのだ。それがあの、不自然なまでにも徹底した我を抑え込む教育。あれもまた、母の愛。


 しかしピアと出会い、少年は自分の感情を抑え込まない自由を覚えてしまった。心が解放されると同時に、瞳の魔力も解放の方向に傾いてしまったのだ。


 年相応の少年らしくなるたびに増えた、あの瞳の違和感。


 悪夢も、解放される力の大きさに少年が無意識に怯えた結果であったのであろう。


「何という事だ。ボクがきっかけを作ってしまったのか」

「もっと早く、連絡をいただければ、それだけが」


 フェリス卿は、哀し気に瞳を伏せ、紅茶のカップを手にする。

 ピアもひどく喉が渇いて、手付かずだったカップに手を伸ばすと、一息に飲んだ。

 フェリス卿もそれに習って口に含んだが、目を見開くと、吐き出す。


「いかん、ピア君! 飲んではいけない!」


――しまった、毒か。ボクとしたことが。


 魔導士の手からカップが落ちて、砕けると同時に破片と僅かに残った液体が散り、床を汚す。

 ピアはその金色の瞳を徐々に閉じ、ゆっくりと椅子に体を預けて行った。


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