第5話 裏切りの刃


 アーノルドは、たった一人で四人を相手に善戦している。


 ワイバーンを相手にしたときは、完全にはその成長した実力を出し切れなかったが、今は鍛錬の主力であった対人戦だ。

 目前の四人は情報収集をメインに活動していた人員のようで、元々戦闘要員ではない様子。その剣技はカートの足元にも及ばない。


「こざかしい!」

「……っ!」


 それでも余計な無駄口を叩く余裕は一切なく、敵の一挙手一投足を集中して見極める。彼の細すぎる目は、相手には糸のようにしか見えず、その視線が何処に向けられているのかがわからないから、アーノルドの次の斬撃の位置が読めないというのも利している。


 通路は狭く四人同時には襲い掛かれない事も、少年に有利。体の小さい彼の方が小回りが効き、相手は時折、壁に剣をぶつけて火花を散らす事がある感じだ。

 だが長引けば体力的には不利。早く誰かに気付いて欲しいが、息があがりきっており、大声を上げる余裕はない。


――くそ、カート……! 気づいてくれ!!


 彼が最も信頼する相手に向けて、心の中で叫んだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 グリエルマにお茶を淹れていた、カートの手が止まる。


「……先輩?」


 声が聞こえた訳ではない。だが、何かを感じた。


「カチュア、どうしました?」

「あの、申し訳ありません、少し席を外してもよろしいでしょうか」

「ええ、構わないわよ」

「すぐに戻ります。フィーネ、お願いね」

「うん、わかった」


 お茶汲みの続きをフィーネに頼み、扉の外の兵士に警護の強化を依頼する。通路ですれ違った大人の騎士にも、自分が戻るまで陛下の傍にいてもらうように依頼し、少年は侍女姿のまま嫌な予感がする場所に向けて走った。


 人通りの少ない倉庫へ向かう通路。用がなければ使う者もおらず、たまに警備兵の巡回がある程度だ。なまじ通路に距離と別れ道があるため、警備が手薄になりがち。


 近づくにつれ、予感が当たったと思った。


「剣の音!?」


 スカートの裾をめくりあげ、短剣を取り出す。


――短剣だと、心もとないけど……。


 剣戟の音はすぐ傍。角を曲がった瞬間に、その場面に行き当たった。


「カート……!」

「先輩っ」


 アーノルドの前にいた四人が、驚いてカートの方を一斉に向く。


「もらった!」


 その隙をついてアーノルドは目前の一人を倒した。限界まで疲れきっていたので、まさにカートの到着はギリギリ。

 賊からすると、新たに現れた人物が短剣を構えているものの、侍女姿であることで脅威が増えたとは思わなかったようだ。


 小娘なぞ軽くひねってやろうという感じで一人が一歩踏み出し、鋭い斬撃を浴びせて来た。カートはそれを短剣で鋭くはじき返す。その反応と動きが予想外で、男は驚きの表情をした。続けて二閃目が繰り出されるが、それもいなす。だが、短剣は不利。相手は大人で長剣、カートは小柄で短剣。リーチに差がありすぎる。スカートである事も動きを制限されてしまっていて。


 動くたびに、服が大きく空気を孕み、バッという大きな音を立て、少年の武器である素早さを奪うのだ。


「くっ」


 剣がかする、ぎりぎりで避けたが服の一部が裂けた。

 

「はっ、小娘ぇ!」


 石畳で長靴の裏の鋲が硬い音を立て、剣戟の音に混じる。

 何度も荒々しく繰り出される剣を避けながら、カートは勇気をもって更に一歩踏み込み、懐に飛び込んで短剣を胸に向けて突き立てる。その手に伝わる感触は気持ちのいいものではない。


「がっ……!」


――あと二人!


 アーノルドは限界に達し、握力が保てず、ついに剣を弾き飛ばされ、続け様に胸を蹴り飛ばされて壁に背中を激しくぶつけた。


「かはっ」


 肺の空気が押し出され、苦悶の声を上げる。そして斜めに斬撃をくらい、アーノルドは声さえ立てる事ができないまま、地面に重い音を立てて伏してしまった。


「先輩!」


 改めてカートの前には男が二人。じりじりと寄って来る。


 他国に侵入する役目を担っている割には、随分と質の悪すぎる男達は思った。このまま殺してしまうには惜しい美少女だと。

 成果なしでこのまま帰るのも癪だ。

 仲間の仇も討ってやろうじゃないかと。自分達も満たされる方法で。


 殺意とは違う感情を向けられて、カートは怯んだ。

 ぞわっと肌が粟立つ。


 「ぼ、僕、男です」


 相手の興味を失わせるために必死に声を出したが、男達はグフッとおかしな空気を漏らして笑っただけだ。


「もっとマシな言い訳を考えるんだな、お嬢ちゃん」


 交互に打ち込まれる長剣の閃きを、反射神経だけで避け続けるが、相手の懐に入らなければならない短剣では、どうにもならない。


 大人二人を相手に随分と健闘したが、相手が苛立ち紛れに雑な動きをしたので、その動作をカートはついに読み切れなかった。


「あっ」


 カートの武器も力負けしてしまって弾き飛ばされ、短剣は高く回転しながら宙を舞い、十歩向こうに落ちて跳ねる。


 その音が通路に木霊して消えた時、男二人はニヤリと笑う。

 丸腰になってしまった少年に、男達がじりじりと歩みよった。

 

 この騒ぎを聞きつけられた様子もない。逃げるまで時間がありそうだと踏んだ。倉庫のその辺りの部屋に引き込めば、一時楽しむ事は出来るのではないかと。小柄な少女だ、持ち帰ってもいいかもしれない。


 カートが後ずさる、男達は前に進む。

 ついに背中に壁の冷たい感触。


 体術は自信がない。


――怖い……!


 詰め寄る二人から放たれる不快な感情に、少年は恐怖する。殴られたり言葉の暴力なら耐える自信があるが、どうにもカートはこちらの方面を苦手としていた。

 手が届くその瞬間には、思わずぎゅっと目を閉じる。


「がっ」


 突然の男の苦悶の声に、恐る恐る目を開けると、男は白目をむいて膝から崩れ落ちるところであった。その背に、少年の弾き飛ばされたはずの短剣が刺さっている。


「貴様!? 我が国を裏切るのか!」


 残る一人の男が、その短剣を投げ放った人物に剣を向け殺到したが、一合となく鮮血の尾を引いて倒れて行った。カートですら、その太刀筋が見えない程の素早さ。


 非情なまでに冷たい目で、倒れる男達を踏み越え、カートに向けて歩を進めて来るその男は、胸元から眼鏡を取り出し、かけた。


――こいつ……!


 カートは目の前に倒れる男から短剣を抜き取り、構える。


「逃がさないぞ、おまえが何かをしようとしているのは知ってるんだ」

「おやおや、助けてあげたのにその言い草か」

「他国と通じている者になんて、恩を感じるものか」

「ふ……」


 ダグラスは立ち止まると、賊を屠った血濡れの剣を床に倒れるアーノルドに突き付けた。


「このお坊ちゃまは、なかなか頑丈なようだな」

「……カート……!」

「先輩!」


 アーノルドは体を起こそうとしたが、僅かに体を浮かせかけて、力尽きて床につく。強く体を打ち付けたせいか、まともに動かない。

 最後に受けた斬撃は制服の下のプレートで防ぐ事が出来たらしく、出血は認められなかったが。


「くっ……」

「その武器を、捨てるがいい」

「……」


 カートは躊躇したが、アーノルドの事を思う。


「……先輩に手を出さないと約束するなら」

「約束しよう」


 一呼吸おいて、侍女姿の少年は短剣を床に捨てた。


 金属の音が再び通路に木霊する。


 男はアーノルドに剣を突き付けたまま、手招きをした。


「カート、だめだ、逃げろ、人を呼べっ」


 男は面倒くさそうに足元を見ると、剣の切っ先をついっと喘ぐアーノルドの首筋に近づけたので、カートは静かに歩みを進め男の前に立つ。


 薄く笑った男は、素早い動きで少年のみぞおちを打った。


「あぅっ」


 崩れ落ちる体は、優しく受け止められる。


「最近姿を見かけないと思ったら、まさか侍女姿でいたとはね」


――この姿も、中々愛らしいではないか。


 ぐったりとしたその体を抱き上げると、ダグラスは仲間とも言える同じ国の指示下にある男達の死体も、うめき声をあげるアーノルドも放置して、通路の暗闇に消えて行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「アーノルド様、しっかり」

「ぐ……っ」


 目の前には細身の少年。垂目がちのせいか、泣き出しそうにすら見える。アーノルドはあの後、再び気を失っていた。


 周囲には兵が数人、大人の騎士の姿もある。

 アーノルドが目を開けた事に、取り巻きの少年はほっとした表情を向けた。


「アーノルド様が通路の奥に向かったと聞いて。カートも戻らないという事で探しに来たんです、そしたら」

「はっ、カートは!? ……いてっ」


 起き上がろうとして、痛みに顔をゆがめる。

 大人の騎士が、アーノルドが気が付いた事を知り、歩み寄って来た。


「いったい何があったんだ」

「不審者を追跡したら戦闘になってしまい。途中でカートが来てくれたんだけど……」


 唇を噛む。

 自分が、自分が動けたら。人質になったりしなければ。

 悔し涙が、やっと起き上がった自分の膝に落ちる。


「カートが、連れていかれた、あの医者に。俺をかばって」

「カートが?」


 周辺の兵も騎士も目を合わせる。


 何故、彼を? という疑問が先だったが、続けてアーノルドがその医者が暗殺に使われたのと同じ毒を持っている事を伝え、ここに倒れる賊二人はその男の手にかかっている事を話すと、困惑が更に広がる。


「賊共の仲間ではないのか?」

「こいつらよりも、明らかにあの医者の方が腕が上でした」


 アーノルドの報告は、その場の人間に新たな緊張感をもたらした。


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