第3話 不安定な足元

 

「何故、魔力がないんだ」


 同じ言葉を繰り返すピアに、カートは困惑の表情を浮かべた。


「あの、とりあえず冷める前に夕食を」

「……そうだな」


 ピアが本を置いて台所に向かうその後ろを、カートとフィーネはついていく。


 ピアが夕食を食べ始めると、少年少女は二人で作ったという焼き菓子を出してきて、共に食卓へ。フィーネのために、家族で食卓を囲む時間を大切にしていこうと少年が考えているのだと、ピアは感じた。


「このお菓子、美味しくできたね、カート」

「ボクにもくれ」

「夕食を先に食べてください。そうしないとピアさん、お菓子ばかり食べるじゃないですか」

「むぅ」


 その返事がフィーネと同じなので、カートはまた笑った。


「ほんと、そっくりですね」

「遺伝とはそういうものだ」


 そう言いながら、表情を改めたピアは、スプーンを置いた。


「カートに、魔力がないのはおかしい」

「え?」


 カートは混乱しているし、フィーネは何が何やらという顔だ。


「おまえの母親はアリグレイドだぞ。宮廷魔導士に匹敵するといわれる魔力を持つフェリス家の娘だ。彼女自身、盲目でなければ魔導士として名を馳せたと言われている。ヴィットリオ宰相の方も、彼自身がどうだったかはわからないが、親族から幾人かの魔導士を輩出していたはずだ」

「それが……?」

「どちらに似たとしても、魔力が皆無と言うのはありえない。魔力量は遺伝するんだぞ。フィーネぐらいの量は最低でもあるはずだ」

「あ……」

「え? じゃあカートの魔力は何処に行っちゃったの?」

「わからん、だから不思議なんだ」


 腕を組んで憮然と言い放つが、同時に不安も増す。

 自分達が知らない何かが、どうやらあるらしい事に気付いて。


――あの医者が、カートの出自を気にしていたのは、これが関わってる?


 この夜もカートはピアのベッドで眠る。ピアから離れて眠ると、悪夢に苛まれて眠れないからだ。この悪夢の理由も気になる。起きている間はあんなにも楽し気にしているのに。


 年頃の少年らしい様子を見せた日ほど、悪夢がひどいようにも。


 スヤスヤと眠る少年の髪を撫でて、様子を確認するピアの背面側ではフィーネがむにゃむにゃとしている。彼女はただの甘えん坊でここにいるのだが。


 不意に少年が、寝惚けて瞼を上げた。

 青い瞳。

 その中に。


「なんだこれは」


 天球儀のような球体の魔法陣が、その中で揺らめいて見えた。

 ピアが思わず上げた声に少年が目を覚まし、同時に瞳の中の魔法陣は消えて見えなくなる。


「……ピアさん?」

「何でもない、眠りなさい」

「は……い……」


 目を閉じて、少年は再び寝息を立て始めた。

 魔導士は考えに沈み、眠れぬ夜を過ごす。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ピアは執務机の上に積み上げられた書類を脇に押しやり、手紙を書き始めた。宛先はフェリス家。

 あの瞳の謎の魔法陣は家系的なものではないかと感じたのだ。カートの存在を知られてしまう事になるが、こうなってしまうと疑問を解くにはあの家の人間に問う以外ない。


 ペンを走らせているとノックがあり、返事をすると大量の書類を抱えたアーノルドが入室して来た。


――そういえばこいつ、公爵家のお坊ちゃまだったな。


「魔導士閣下、サイン済の書類がありましたら引き取りますが」

「ああ、こちらの山がそうだ」

「はい、預かります」

「アーノルド」


 書類に手をかけた少年騎士に、ピアは声をかけた。アーノルドは書類から手を離し、ピアに向き直る。

 以前なら適当な態度であったろう彼も、今はかなり騎士に相応しい礼儀正しさになっている。

 カートの影響であった。傍に居すぎて、その振る舞い方が知らず知らずに身についてしまったのだ。


「はい」

「おまえ、なかなか耳ざといと聞くが、それぞれの貴族の家について詳しいだろうか?」

「名の知れた家なら。どちらの家です?」


 思わぬ質問に、ぱちくりとしているようだが、糸のような眼はあまり瞼の上下がわからない。


「フェリス家」

「ああ、呪われた一族の話は聞いた事がありますよ」

「呪われた一族?」

「ええ。あの家の青い目の子供は、失明した状態で生まれる事があるんだとか。そういえば先代女王陛下もそうでしたね」

「失明……?」

「魔力は魅力だが、盲目の子が生まれる事を恐れて、婚姻となると中々相手が見つからないとか。先代陛下もそれが原因で、独身だったのかなと貴族間では言われてますよ」

「そうなのか」

「あくまで噂ですけどね。あの一族に今のところは盲目の人がいるという話は聞かないし、頻繁にある事ではないのかなあと。そもそもそれほど、青い目が生まれる一族という訳でもないようです。でもそういう呪いがあるって言う話になると、うちの母上なんてものすごく食いつきますから、貴族間では話のネタ程度にはなってるみたいですよ」

「なるほど、ありがとう」

「はい」


 金髪巻き毛の少年は、ぱっと書類を抱えると退出していった。わずかの時間を置いて、何かに躓いて転倒した音が聞こえ、取り巻きらしき少年達の騒ぐ声が続き、ピアは思わず苦笑した。


「ドジっ子か」


 再び手元の手紙に視線を落とすと、封筒に入れて封印をする。

 郵便で出すつもりだったそれを、彼は窓辺に立ち伝書の魔法で送った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 侍女姿のカートは、グリエルマの傍に控えている。

 女王は毒の影響もなく、いつものように凛とした姿を見せていた。

 

 グリエルマの部屋の窓際には、時々餌をねだって小鳥が来る。

 いつも近づけば飛び立ってしまうその小鳥が、侍女姿のカートがパンくずをもって窓際に寄っても逃げ出さない。

 

 微笑みながら手を差し出す侍女のその手のひらから直接食べるのが、少女趣味の女王の目に羨ましく映った。


「カー……カチュアは、本当に動物と仲良しなのね」

「この子達、人懐っこいですよ、ふふ、可愛いなあ」


 指に触れる小さな鳥の足の感触が、気持ちいい。


「陛下も直接、餌をやってみては」

「いつも逃げてしまうのよ。……あら?」


 小鳥が、グリエルマの差し出した指にとまる。


「まぁ」


 嬉しそうに微笑む女王の指から、小鳥は再び飛んで、カートの肩に行ってしまう。


「カチュアの方が好きみたい。あなたは本当に、動物とお話が出来てるみたいだわ」

「話なんて……」


 その瞳に、不意に影が落ちる。


「カチュア?」

「僕、何か変なのかもしれません」

「どうしたというの? わたくしに話してみる?」


 胸に燻る不安。その不安が押し寄せて苦しくなり、少年は女王の春の木洩れ日のような温かさに頼りたいと思い、重く口を開いた。


「先日の、エストの大岩のことです」

「ワイバーンを追い払ったという報告は聞きましてよ」

「あの時、ワイバーンは先輩を踏みつけていたんです。僕が思わず、やめて! と叫んだら……」


 声が消え入りそうに小さくなる。


「……ワイバーンがやめてくれたんです……」

「え?」

「ワイバーンは先輩を踏むのをやめて、こちらを向きました。そして僕の言葉を待ってるみたいでした。だから僕……ここは人通りの多い所だから、巣を作っても落ち着かないって。だからやめたほうがいいよって」


 目は完全に伏せられる。


「それを聞き終えると、ワイバーンは去って行きました」


 あれが一体何だったのか、今も心の中で整理がつかない。ワイバーンが、自分の言う事を聞いたその現実に、心がついていかないのだ。魔物と会話できるなんて尋常じゃない。ワイバーンは賢く、人の言葉を理解するとは聞くけれど、それは小さい頃から人が飼っていた場合だ。


「僕、何者なんだろうって」


 父母との直接のふれあいがなく、少年の原点はいつも不安定だ。彼らの子として足が地についていないのに、頭だけを吊り上げられて、ふわふわと血にある何かに翻弄されているような。


「最近ずっと、不安なんです。大きな力が近づいているような。眠ると自分がその力に飲み込まれるような、漠然とした恐怖が、闇が、毎晩」


 震える侍女の体をグリエルマはそっと抱きしめ、その背中を撫でた。

 グリエルマからはかぐわしい春の花の香りがして、カートはその不安な気持ちを落ち着かせつつあった。その刹那。


 ガタリッ。


 部屋の何処かから不自然な音がして、女王と侍女はびくりとした。



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