第四章 危機と苦難
第1話 死者への誓い
兵士達がざわめく。
「侍女にあんな美少女、いたっけ?」
「新しい子かな……」
「陛下付きの侍女は粒ぞろいだが、あれはまた格別な」
噂の的の侍女は、予想にもれずカートである。明るめの茶色のストレートヘアのかつらを目深にかぶり、瞳の色を隠しがちであるがその整った顔立ちは隠しきれず。
名前はカチュア、という事になっている。
家で試着したらあまりにも違和感なく似合ってしまって、ピアは失礼にも爆笑し、フィーネは神妙な顔つきになっていた。
騎士団員の制服で出仕して、宮廷魔導士の部屋で着替える。フィーネも人形には入らず、新人の侍女としてカートと行動を共にする。
「なんだか、逆に目立ってませんか……先輩なんて、僕を見かけるたびに笑い転げているんですよ……ピアさんもですけど」
「いやあ、だってな」
「ピアさんの発案だって聞いてますよ!」
「一石二鳥だと思ったんだ。アーノルドから、おまえが医務室の医者に襲われかけたと聞いたし」
「あ……ああ、そんな事もありましたね」
アーノルド達に知識を詰め込まれたせいで、思い至ったのだ。間違いなくあれは、口づけられそうだったのだと。
あの医師には近づきたくはない。……なんだか怖いのだ。
様々な知識をアーノルドは教えてくれたが、それは男女間の話であって、男同士の話は含まれない。男に襲われるというのがどういう事なのか、想像できないのだ。だからとにかく、未知なるものへの恐怖がある。
わかったらわかったで、それも怖いから、聞いたり調べようという気にもなれない。
「少年ならボクの意図を汲んで、承知してくれると思ってた」
「意図は理解できますが」
「それにフィーネの
「失礼ねっ」
「確かに、陛下の前で失礼があると」
「むぅ……」
侍女の制服ではさすがに、いつもの剣を持つ事は出来ない。スカートの下に短剣を隠す程度だ。
グリエルマに付き従い不審者に気を配り、食事も調理の段階から立ち会うという事でカートは一日中立ちっぱなし。慣れないスカートでの仕草にも苦戦しており、帰宅して夕食もそこそこに入浴を終えると疲労困憊してすぐに眠ってしまっている。
そして、夜にうなされる日が出て来た。
この日はあまりに苦し気な声に、フィーネがカートの寝室にやってきて彼をゆすって起こす。
「カート、大丈夫?」
「フィーネ……?」
「汗だくじゃない、怖い夢だった?」
「覚えてなくて」
「とりあえず着替えて。風邪ひいちゃうよ」
「……うん」
着替えていると、ピアも心配して起きて来る。
「どうしたんだカート、昨日もうなされていたようだったぞ」
「何が何だか」
「慣れない仕事が負担になっているのかな」
「ピアさん、あの」
「どうした」
「一緒に寝て貰ってもいいですか?」
「寂しいのか?」
「なんだか、怖いんです。何が怖いというのはわからなくて、漠然と」
「怖い?」
ピアが隣にいると安心するのか、カートは毛布をかけられてすぐに、すやすやと眠り始める。
翌朝、カートはピアに腕枕をしてもらい、その胸元にしがみつくようにして眠っていたことを知る。ピアはすでに起きていて、カートが目覚めるのを待っていたようだった。
「すみません、ピアさんが眠れなかったですよね」
「いやそれは大丈夫なんだが、ちょっと目を見せてみろ」
「目、ですか?」
最近やたらと、みんなが自分の目を気にするから、少年は不安になってきた。ピアは至近距離で、少年の瞳を覗き込む。不思議と、ピアには顔を寄せられても怖くないし、不快感もない。信頼しているせいだろうか。
しばしの時間、その瞳を観察していたピアが、眉を寄せる。
「うーん?」
相変わらずの、澄んだ空の色ではある。吸い込まれそうな青空がそこにあるのだが。何かを感じるのだ。出会った頃には、この違和感はなかったはず。
「団長も、僕の目に違和感があったみたいです」
「今見た感じでは、変な所はない。とりあえず起きようか」
「はい」
朝食後、出仕の準備を整えた所に、フィーネが寄って来る。
「目がどうかしたの?」
「僕はなんともないんだけど、何か見た目の違和感があるみたいで」
「見せて?」
フィーネが、カートの瞳を覗き込む。彼女の顔が寄ると、ちょっとドキドキしてしまうが。
「……?」
「フィーネも変だと思う?」
「全然わからない」
フィーネも眉を寄せたが、その表情がピアと全く同じだったので、カートは思わず顔をほころばせる。やっぱり兄妹なんだなと。
その日もいつも通り、城で着替え女王の部屋へ。
「神殿への供を」
「はい」
歴代女王の棺への挨拶巡回である。
カートは久々に
何故だか、足が止まる。
――声……?
言葉ではなかった。感覚が伝わって来るという感じであろうか。愛馬のカルディアと一緒にいるときにも、よく感じる。
例えば、「お腹がすいた」という言葉が直接聞こえて来るわけではないが、感覚として空腹感が伝わって来るという類。
それと同じ肌感覚ともいえる形で、気持ちが流れ込んで来るのだ。
その感覚にずっと浸っていたくなるような、安らぎ。何か、暖かなものが注がれるようだ。思い出すのは、アリグレイドの微笑み。あの微笑みと共に、自分に注がれた……愛の感覚そのものを感じた。
見惚れるように、木を見つめて足を止めた侍女に、グリエルマが振り返って名前を呼ぶ。
「カー……カチュア?」
「あ、申し訳ございません」
「ふふ、本当に美しい木ですものね」
「はい」
歩みを再開したが、一度、振り返る。
その時、カートの脳裏に映像が見えた。
――鍵……?
何処かで見覚えのある鍵だった。同時に、焼けた鉄の匂いを感じ、不安が一気に胸中に満ちる。理解できない初めての感覚だった。
焦燥感にも襲われるが、どうしたらいいのかわからず、とりあえず今は先を行くグリエルマの後ろに付き従う事に専念した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
百合の花を一本だけ花屋で買い、包むという店員の申し出を断ると、それをぶらぶらと振り回しながら男は歩く。
――この道は懐かしい。
今は医師として勤務しているダグラスだが、長く国外にいた。ラザフォード国にいた時間より、気づけば国外にいる年月の方が遥かに長くなっている。
つまらない国だと思っていた。
何もかもが精霊の言葉で決められる。
もっと学びたいと思っても何かを始めようと思っても、精霊様がそれを指示していないからという理由で、その芽は摘まれる。
やりたくもない事を精霊様の命令でやる事になったりと、もううんざりだった。
優秀な者も無能な者も、精霊の下では皆等しく。
努力しても報われる事なく、苦労しても評価される事もなく、頑張れば頑張る程むなしかった。苦しんだ者も、苦しまなかった者も、享受できる結果は同じ。無能なものほど平等を喜んだ。
子供のかけっこすら手をつなぎ、同時にゴールするのが由とされ、眩暈がしそうだ。
報われなければ人は努力を諦める。諦めて、楽な方に流れる。あっという間に
――何が精霊様だ。
精霊自体は便利であると思う。人が知りえない事を知っていたり、わかっていたりするのだから。それを利用する周囲の人間の愚かさが、気に食わないのだ。
精霊の言葉に、はいそうですかと付き従うだけ。
自分の頭で考えもせず、疑念も抱かず、更なる高みも望まない。
応用するとか、活用するとか、もっといろいろあるだろうと思う。
考える事を放棄し、与えられるのをただ待っているだけ。
その言葉に毒を染み込ませても、何の抵抗もなく飲み下すであろう。
銀縁眼鏡の奥の瞳が、鋭さを増す。
この国は、そんな単純な思考の人間ばかり。
精霊の言葉という大義名分さえあれば、愚直に人々はそれに付き従う。
簡単に掌握出来てしまうのだ。
作物の生育も良い豊かな大地。清涼で快適な気候、様々な鉱物や宝石を産出する鉱山、豊かな森。近隣諸国を巡ったダグラスは、この国の魅力を痛感している。いつだって狙われているのに、精霊さえいればずっとこのままでいられると思っているのだ、この国民達は。
男は墓地にたどり着いていた。
この国は精霊から離れた方がもっと豊かになる。もっと高見を目指したいと夢を語った親友が眠る。夢物語だと自分は他国に逃げたが、親友は国に留まって変えようとあがいた。
墓石に向かって、手に持った花を投げ落とす。
彼が死んでから、この国は動き出した。精霊のいない未来に向けて。
「おまえがこの国を動かすのか」
死んでしまっては意味がないとは思うが、彼がこの変化のきっかけであったのは間違いない。今、この国の新しい流れを作っている宮廷魔導士は墓石の下で眠る男が教育を施したという。男の意志を継いで、芽吹いた若葉。
チリっと胸に、嫉妬心が沸く。
「変化したこの国は、俺がもらってやろう」
手向けの言葉としては物騒なそれを、男はヴィットリオの墓に向け花に続いて投げ落とした。
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