第4話 誰がための支え
ピアが眠っているかも知れないからと、帰宅した少年は静かに階段を上がる。
家の中は無音で、着替える自分の衣擦れの音がやたらと耳につく。フィーネがいるはずなのにこんなに無音なのは何故だろうと思いつつ、ピアの様子を見るために、そっと彼の部屋の扉を開けた。
扉がキィっと小さく軋む音を立てたので、ベッドの上の男女が同時に扉の方に顔を向ける。
それを見て、カートは茫然と立ち尽くす。
「カート?」
ピアが声をかけると少年は跳ねるように驚いて、慌てて扉の向こうに引き返し扉を閉めた。
「し、失礼しましたっ」
「まてまてまてまて! カート、こっちに来い」
扉の向こうで心臓をばっくんばっくんさせて息を止めてしまっているカートは、自分の心が落ち着くのをしばし待った。
――ピアさんとフィーネが、ベッドで睦まじく……?
一気に顔に血が登る。カーーっと熱くなるのがわかった。
今日の昼食の時。
「そういえば、カートって彼女いるの?」
太目の少年が、好奇心だけで聞いて来た。失恋したともいえるアーノルドは、この話題が気に入らないようで助け船を出してはくれない。
「いえ、まだ」
「好きな子は?」
そう問われ、フィーネの顔を思い出して真っ赤になってしまった。
「いるんだ? 誰? 何処の子? 可愛いの」
「……一緒に住んでる、二歳年上の」
「ひょーーー! すげえ」
「もしかして、カートが一番進むか? 最年少の癖に」
「進むって……?」
少年のこの返答に、アーノルドを含めた全員が顔を見合わせた。
そして全員がニマニマと笑い始めて、少年は困惑する。
「そりゃ、ベッドでする事だよ……」
「一緒に寝たりは、しましたけど」
「ヒャーーーー!」
「ヒューーーー!」
謎の感嘆の声が次々と上がり、その背中をバンバンと叩かれ、そして小声で聞かれる。
「どうだった?」
「どうって、温かかったです」
その場にいた全員が真っ赤になった。やべえよ、こいつすげえよ、という言葉が次々と繰り出されるが、狼狽するだけのカートに気付いたアーノルドが突如冷静な声を上げた。
「こいつ、まさか知らないんじゃないのか。男女間のこと」
盛り上がっていた空気が、一瞬で冷えた。
「まじか」
「え? じゃあ一緒に、本当に寝ただけ? 好きな子と?」
「信じられない」
先ほどまでの尊敬の目は軽蔑に変わった。カートとしては、もう何が何やらである。
「何処までならわかるんだ?」
アーノルドは、カートの近くに父親がいなかった事を思い出した。この国では父親が、息子に男女間の事を教える感じだ。庶民で面倒くさがりの父親だと、息子がそちらの方面に興味を持ち始めると、適当にその辺の妓館に放り込んで終わりというパターンがあったりなかったり。
貴族の場合はきっちりと教師が説明する事もあれば、そういう事が得意な侍女が手解きを、という事もある。何も知らないままというのが一番危ないから、何らかの方法で教育されるのが常だ。
後はもう、こういう男同士の会話で知識を培う。
アーノルドは、カートに自分が教えられる事があると気付いたのだ。
ニヤリと笑う。
「人生の先輩でもある俺達が、おまえがいざという時に恥をかかないよう、しっかりと教えてやろうじゃないか」
昼休みの間カートはアーノルド達に保健体育の知識を徹底的に叩きこまれる事になってしまい、彼の頭の中には通常は必要のない知識と情報までもが詰め込まれ、完全な飽和状態である。
――ピアさんと、フィーネが、あんなことやこんなことを?
想像してしまうといろいろヤバイ。嫉妬や悲しみより恥ずかしさの方が上回って、扉の向こうに戻る勇気が持てず立ち尽くしていたので、ピアが扉を開けて少年を迎えに来た。
「何やってるんだ、おまえは」
ピアの顔を見て更に照れて恥ずかしがるその仕草が、まさに女の子と言った感じでピアを困惑させた。
「どうしたというのだ」
「だって、二人でベッドに」
「おまえだって、フィーネといたじゃないか」
ピアは呆れ顔だが少年はその日を思い出し、自分が何という事をやっていたのかと改めて思い返し、照れまくる。
「どうした、本当に」
カートは両手で顔を隠し、もじもじとアーノルド達に教えられた事の概略を恥ずかしがりながらピアに伝える。
ピアはドアの前に立ったまま、腕を組んでそれを聞いていた。
その内容には歪んだ性癖のものがちらちら混じっていて、少年達がそれを耳にできるという貴族社会の奔放さに呆れたが、目の前の少年がそれを実行するとは到底思えなかったので、訂正もせずにそのまま放置する事にした。
「まぁ、知らないよりは知ってる方がいいか」
「僕もう、いっぱいいっぱいです」
少年の頭をポンポンと叩く。
「これで何個かは抜けただろ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ピアは疲れがすっかり取れた様子で、夜の食事は台所で三人揃って。ピアはその場で簡単に、カートにも自分の過去を教えた。
壮絶な幼少期。
カートはピアが結果だけ見て判断する事を、罵ってしまった事が恥ずかしくなる。彼の経験に基づき最終的に導き出された考えだったからだ。自分はろくに経験もないのに、あのように偉そうな事を。
だがそれをピアは気にもとめていなくて、大きい人だなと少年は尊敬を深める。
「母は魔導士の家系ではなかったが、占い師としては優秀だったんだ」
「占い師?」
「星を読むんだ。運命は星に定められているから、それを読む事で未来がわかる」
「未来って決まっているんですか?」
「未来は、揺らぐ。星はいくつもの未来の選択肢を指し示す。占い師はその中で一番濃い未来を選び取る」
「じゃあ、未来は確実には決まっていないの?」
「人には意思があるからな。星が右に曲がる運命を濃く見せても、我々はその場の勢いで左に曲がってしまう事があるのさ」
ピアは笑う。
「母はなまじ、能力の高い占い師だったからね。禁忌とされているのに、自分自身を占ってしまった。そこで見えた未来は、家族の不幸だ。しかもそれを自分が引き起こすとね」
「実際そうなったじゃん」
「そう。彼女は自分の占いの結果に縛られたんだ。薄くとも、いくつもの幸せの道があったはずなのに、彼女はその不幸になる未来しか見えなくなって、あがこうとしてより深みにはまってしまった」
「星が教えてくれる事に頼りすぎて、他の人の言葉が耳に入らない、といった所でしょうか?」
「少年は聡いな。そういう事だ。父の言葉よりも彼女は、占いの結果に重きを置いてしまった。不幸になるために不幸になってしまった。星の見せた未来を自分で選んでしまったという形だ」
人はいろんなことに簡単に縛られてしまうのだ。そして一度縛られると、視野が狭まり抜け出すのは難しくなる。
縛られる事なく自由に広い視野を持ち続けるのは、相当に厳しい道。
少年も少女もその道の険しさは痛感しているが、その道を歩む見本が目の前にいる。
カートは自分が、良い人生の師匠を得てる事を知った。
その夜はピアのベッドで、彼を中央にして少年少女がそれぞれ左右の脇に寄り添って眠っている。
先ほどまで他愛もない話をして、じゃれあって、二人はきゃっきゃと楽し気に笑い転げていた。恋人同士になりそうにない、仲の良い姉と弟といった感じだったが。
ピアは二人の寝顔を愛おし気に眺める。
フィーネはたくさん食べて少しふっくらとしてきたこともあり、随分と綺麗になってきた。お風呂あがりに髪を丁寧に梳いていて、女の子らしさは各段に上がった気がする。
少年は余計な知識を随分と詰め込まれたようで、思い出しては照れて大変だったが、他の同じ年頃の子と、そんな会話ができるぐらい仲良くなってる事に安堵した。だが父親役として、自分が教えてやりたかったような気もする。
少年がもぞもぞと、体温を求めてピアにすり寄って来た。
長い睫毛、整った顔立ち。眠っていると幼さが増すせいか、益々女の子のように見える。フィーネの事を思うと、早く男らしくなってもらいたいものだが。
まじまじと眺めても、ヴィットリオの要素が何処にあるのか見つからない。男の子は若いうちは母親に似ている事が多いから、仕方ない事ではあるが、髪も瞳も顔立ちも母親譲りのようである。どちらに似ても美形の家系だから、フィーネはこれからライバルが多くて大変だろうと思った。
少年が寝惚けてうっすらと目を開ける。
とろんとした表情が、小さな子供のようで可愛い。
暗がりでもわかるほど鮮やかな心奪われる綺麗な色。澄み切った、高い空の青が見える。
――ん? 何だ今の。
一瞬、少年の瞳に何かが見えた気がした。だがカートはむにゃむにゃしながらすぐに目を閉じてしまったので、それが何だったのかピアは確認する事ができなかった。
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