第5話 隣国ドアナ

 

 ラザフォード国は平地と山岳地帯を領土としていて、その南にはドアナと言う国がある。そしてさらに南は海。

 ラザフォード国が海洋交易を行うならこのドアナを介さなければならず、そのため関係は切りにくく、付き合いの難しい国の一つであった。


 気候はそれほど悪くもなく、平坦な大地、良好な港を持ってはいたが、ラザフォード国のように鉱山があるわけでもなく、漁業と農業、そして街道の使用料、海洋交通の通行料等を主な収入源にしている。


 この海洋交通の通行料と漁業権という海にからむ収入源を争い、ドアナ国は海の民といわれる部族集団と、長い戦闘状態が続いている。

 海路の利用が困難になり海洋交易のルートも断たれ、負けはしないが勝てもしない。いい加減この戦いを終わらせてしまいたいというのが、彼らの本音であった。


 だが海の民との講和は選択外。歴史あるドアナ国は、海賊のごとく現れた海の民を軽蔑し蔑んでいる。この戦いは、勝って終わりたいのだ。

 そうなるとやはり援軍がいる。


 国力があり物資も豊か、海上交易権をちらつかせれば優位に立てる相手、それがこのラザフォード国であった。

 何度も援軍、援助を申し出た。物資の供給も願い出た。高く買うという話しもしたのに拒否されて。


 理由は「精霊様がお認めにならない」である。


 ドアナ国王リドリー三世は、苛立ちに壁際の花瓶を叩き落とした。だらしなく太る中年の男は似合わない煌びやかな服を纏っていて、その見た目から” 豪奢な豚 ”と呼ばれているが、それを彼は知らない。


「またなのか!」

「はい……斥候も間者も」

「くそ、また” 精霊様 ”か」


 国を挙げてスパイや暗殺者アサシンを幾人となく送り込んでも、発見され捕らえられる。精霊は、ラザフォード国に害なすものに容赦しないのだ。

 そのようにして、長い年月が経過していた。


 ついには暗殺を生業とし、諜報活動でも高名を馳せる傭兵部隊を雇い入れ、対ラザフォード国の有利な情報を得ようとしていた。金がかかるだけあって今までになく情報を得られ、王は満足気味である。


「お耳に入れたい事が」

「聞こう」

「ラザフォード国から、精霊の声が聞ける者が失われたらしいと」

「何?」

「三か月ほど前、城内で何かの魔物が暴れる、という事件が起こったらしく、死者も出る惨事だったとのことですが……」


 ひざまずいて報告する男は顔を上げる。


「その時に、声を聞ける者を失ったのではないかと」

「ほう。だが精霊の声を聞くのは女王であろう? 女王が死んだ等とという話は聞こえておらぬが」

「今潜入している者は我々の中でも一番の手練れ。現在の女王は、精霊の声を聞けず、別人がその役目を担っていたと調べあげたようです。更に詳しい事を調べるためにも、個人の判断で行動する事をお許し願いたいと」

「何か、わが国に利する計画でも、思いついているというのか」

「ラザフォード国には、もうひとつ、精霊の宿る木の種子があります。それをこの国で育ててみるというのは、いかがでしょうか」


 敵にすると面倒な精霊を、わが国に。

 精霊は木を守る人間のために知恵を授けるという。


「精霊からすれば、守られる国はラザフォードでなくとも良いはず」

「その種子は本当に存在するのか?」

「はい。密かに存在したもう一本が枯れる時、種子を残したと。そしてそれを封印したことを、突き止めてございます。その封印場所も、間もなく判明するかと」

「面白い、許可する。自由にやるがよい」

「はっ、ありがとうございます」


 退出する男を見送り王は満足げに髭を撫でていると、なんとなく良さそうな案が頭に浮かぶ。

 邪魔な精霊の言葉があの国から失われたとしたら。


 部下も呆れる愚鈍な国王は、愚かすぎて自分の能力がわからない。自分は優秀であり、賢いと思い込んでいた。部下が苦労して出しかけた成果をこの王が適当な采配で台無しにした事は、一度や二度ではない。


 長く続く海の民との戦いも、この王の無能さによるものであったが、世襲制のこの国にあって、王の威光に逆らえるものはいない。そして後先を考えずに気軽に気に入らない者を処刑したりもする。

 優秀な人材は王の無能さを明らかにしてしまうため、逆鱗に触れる事が多く、まともな人材はもはやこの王の傍にいなかった。彼の元にはもう、王の命令を愚直に聞く傀儡くぐつのような者のみ。


「あの金で雇った傭兵どもは、評判は聞き及んでるが信用にならん。どんな計画を思いついているのか知らんが、あれだけをアテにしているようでは賢王の誉れに傷がつくな」


 誰も彼をそんな風に呼んだ事はないが、自分ではそう呼ばれていると思っていた。豪奢な豚と揶揄やゆされているなど欠片も思考に引っかからない。


「奴らを頼らずとも、精霊の言葉という人知を超えた力がもうないのなら、儂の采配があれば十分にラザフォード国を掌握できるだろう。そう、この儂の知性があれば」


 精霊には勝てないが、人間に対してなら優秀な自分なら勝てるという根拠のない自信が王の思考を後押しする。すでに精霊の言葉を失っているなら、あのような金のかかる傭兵など不要ではないかとも。

 長い独り言を堪能したあと王は部下を呼び、先程思いついたばかりの計画を実行するように命令した。


 その計画を伝え終わると、またアイデアが沸いてくる。


「次々と思いつく、さすが儂だ」

 

 続けてされた「兵を集めよ」という命令に、部下は首を傾げた。海の民との戦いで、ついに全面攻勢に出るとでもいうのだろうかと思った。


「船団でよろしいので?」

「陸上の軍を編成せよ」

「はい?」


 一体何処と戦うと? と言わんばかりのその返事が気に入らなかったようで、王はその男の処刑もついでに命じた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 神殿、水晶木すいしょうぼくの根元に赤毛の長髪の男が立ち、その透明な木を見上げる。

 そっと触れるとまさに水晶といった感じの、硬質な手触りだ。

 

 見た事もないが精霊は美しい少女の姿をしているという。

 その声は、澄んだ鈴の音のようだとも。


 神官のカイトは、精霊の姿を見た事もなければもちろんその声を聞いた事もない。魔力は多少あって、簡単な治癒の魔法を使う程度は出来るが、それだけだ。


 代々、この木のそばにいる家系であって、この木にまつわる秘密も伝えられてきていた。

 だが女王選定の儀で突如命を失う事になった父親は、そんなに早く死ぬつもりがなかったからであろう、跡継ぎである自分にすべてを伝えてはいなかったようだ。


 本来ならあるはずの引き継ぎもなく、カイトは父親の残した日誌をたよりに日々の業務をこなしている。単調でつまらない仕事だ。


――俺にも精霊の声が聞こえたら。


 精霊は一人しか選ばない。


 そして現女王のグリエルマには、聞こえていないのが明らかだった。あの事件の日から、目に見えて政策・施策が変化した。何かあると調査団も頻繁に出ている。今までならどんな遠方の出来事も精霊が教えてくれ、わざわざ現地に赴く必要はなかったからだ。


 今はもう声を聞ける者がいないのなら自分を選んではもらえないだろうかと、毎夜ここに来ては見上げるが、声を聞く事は未だ成らず。


「神官殿、このような夜に、どうされたかな」

「おやこれは、デルトモント公爵」


 デルトモント公爵は、アーノルドの父親だ。アーノルドは兄妹の中で最も父親似なので、この公爵も細い目に金髪巻き毛である。


「長く精霊と共にあったのに、なぜ今別れる事が必要なのかと。それを考えると自然とここに、足が向いてしまいましてね」

「全くだ。今のままで問題ないのに、変える必要など、どこにあるというのか。あの宮廷魔導士の若造め」

「公爵閣下も、あの男は苦手としておりますか」

「天才だか何だか知らないが、この社会のことわりも理解せずに、全くもって……庶民を国の要職に付けよう等と妄言を吐きおって」

「ははは、全く」


 そう笑ってはみたものの、民衆はやはり貴族と庶民の隔たりに対し反感があったようで、庶民の一人が騎士に叙任された際も兵の士気は上がったし、今回の宰相の選挙についても、この判断は大歓迎され盛り上がりを見せている。初めての選挙運動はお祭り騒ぎで、実際に地域を挙げての楽し気な祭りに発展している村や町すらあるのだ。

 これに反対すれば、民衆の苛立ちは反対派に向くであろう。


 なので反対派の筆頭であるデルトモント公爵も、こんな所で愚痴をこぼすに留まっている。

 何を理由に反対しても、自分達の既得権益が阻害されるから反対しているのだろうと言われて終わるのがオチであるし。


 それに今まで貴族であるからという理由だけで地位を保ってきた彼らに、政策案を持って反論する事も、国を統べる能力もあるはずがなく。


 カイトもこの国の国民だ。ラザフォードには今のまま、平和で安寧でいてもらいたい。

 そもそも精霊の声を捨てなければ、貴族であろうと庶民であろうと誰が宰相になっても構いはしないのだ。


 精霊ある限り、宰相は精霊の声を国民に交付する伝書鳩でしかないのだから。


 なのでカイト自身は、選挙自体は反対派ではない。

 だが、精霊の声を捨てる事には大きな抵抗を感じている。

 枯れるなら仕方がないと思いもするが、種子を残すなら植えるべきだとも思うのだ。


「まあ何にせよ、良い案があれば教えていただきたい。それでは」

「はい、お疲れ様です」


 デルトモント公爵は、持病の腰痛が辛いのか腰をさすりながら立ち去って行く。

 

――自分の頭で考えず、自分の希望を叶えるのすら、他人任せか。


 「精霊の声が聞こえれば、良い対処法を精霊が教えてくれるだろうに」と、考えが及んでハッとする。


――なるほど、自分も人任せか……。だが精霊は別格だ。


 この国が、精霊の声を捨てるなら。

 自分もこの国を捨てるべきなのかもしれない。


 今知っている事をうまく利用すれば、別の国であっても新しい精霊の下で神官を務める事が出来る。この国以外なら、神官と言う職種は信者の尊敬と畏敬を受けるものだ。


 カイトの脳裏にひれ伏す信者たちの幻影が見えた。


 そうなるよう、動くのも悪くない……。


 精霊の存在という糸に完全にからめとられている神官は、それを解くとも断ち切るともせず、更に多く巻かれようとしていた。


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