第三章 過去の足跡、未来の残像

第1話 少女魔導士


 遅刻した分をきっちり残業。アーノルドといた時間は真面目に差し引いて。という事で、カートは深夜の帰宅になった。

 

 家に近づくとフィーネへの心配と、あのピアの怒りを思い出し、憂鬱な気分になっている。重い足取りで門扉を潜って家を見ると、一階にはまだ灯りの気配。

 

 玄関を開け小さな声で帰宅を伝えると、リビングの扉を開けてフィーネが出て来た。泣きはらした目は真っ赤で、一日中泣き続けていたようにさえ見える。


「おかえりなさい、カート」

「ただいま、フィーネ。まだ起きてたの?」


 扉の奥に、腕を組んでソファーに座るピアが見えた。未だ怒っているように見える。


「とりあえず、着替えてくるね」


 何故だか声が小さくなってしまう。こそっとフィーネにだけ聞こえるよう、耳打ちする形になってしまった。フィーネはうなずいた。


 着替えてリビングに向かうと、ピアは目を開けてカートを見た。無言で対面のソファーを指さし、座れ、という指示をする。

 少年はそれに従って座った。フィーネは、立ったままである。


 何を叱られるのか、不安でいっぱいだった。婚約者であるフィーネのベッドに潜り込んで、眠ってしまった事だろうか。大事な妹、そして自分の婚約者でもある娘と、何かしたと思われているのかもしれない。それなら弁明したい、何もしていないと。そもそも、何をどうすればいいのかも知らないのに、出来るはずもなく。


「カート、フィーネの事をどう思う?」


 フィーネがびくりと体を震わせた。


「え? ピアさんの婚約者だと思っていますが……」

「それだけか?」

「は、はい。だからあの、僕、何もしてませんっ」


 ピアは溜息をつき、フィーネはうつむいた。


「という事だ、フィーネ。これでもういいな」

「うん……」


 少女はとぼとぼリビングから出て行き、階段をゆっくりと登る音がして、やがて部屋の扉を力なく閉めた音が聞こえた。その音の方を、カートはずっと目で追っていたけど、ピアの大きな溜息に保護者である黒髪の青年の方を向く。


「ピアさんあの……」

「フィーネを家に帰そうと思う」

「え!? どうしてですか」

「あいつが、何をしたのかカートはわかるだろうか」

「いえ……でも何か、危ない事をしたのではと」


 ピアは懐から木の櫛を取り出し、テーブルに置いて、カートの方にすっと差し出した。


「あれは、これを直すために?」

「そうだ」


 櫛を手に取ると、折れた痕跡は全くなかったが、あの時折られた育ての母の櫛で間違いない。


「フィーネは、魔法を使うには、魔力が少ないのだ」

「え!?」


 彼女はピアとのかけ合わせで、更なる魔力を持つ魔導士を産みだす目的のため作られてしまった子のはずである。しかし魔力が少ないなら、例え無理やり結婚させたとしても、その目的は果たせない。


「子供がどのように生まれるなんて、親が狙ってできるものか。狙って、選んで決められるなら、世の中は天才だらけだ。魔力の多い子供を望んで得られるなら、そもそも兄のフォルの悲劇があるわけない」

「それは、そうですね」

「まあ、よく女の子を産んだとは思うけどな」


 吐き捨てるように言う。ピアが母親を嫌っている様子が見て取れた。


「魔力が少ないフィーネが、修繕の魔法でこれを直すには、足りない魔力を補うものがいる。あいつは、自らを傷つけ、魔力の代わりの代償に血を使ったのだ。絶対にやってはいけない禁忌の術だ。ボクは魔導士として、これを絶対に許す事は出来ない」

「そんな……」


 直っている事は嬉しいが、身体を傷つけ、あんな状態になるなら、折れたままでも構わなかった。泣き顔なんて見たくない、自分はフィーネの笑顔が見たいのだ。苦しんでいる姿なんて、もってのほかだった。


「なんでそこまでして、直そうと」


 ピアは、少年を見て脱力したような顔をした。


「あの後フィーネは、カートが好きでたまらないと叫んで泣いた。ボクの事なんて大嫌いとも。だからボクに頼らずに自分の手で直したかったようだ」

「そんな……」

「その気持ちがただの依存心であるという事を、一日がかりで諭して教えた。優しく構ってくれる少年に、愛に飢えて依存しているだけなのだと。本当に恋や愛なのかを落ち着いて考えて欲しいのだ。それには時間が必要であろう。一度距離を、取るべきだ」


 もし、カートもフィーネの事が好きだというのなら、ピアは二人の関係を応援するし、祝福してもよいと思っていたが、肝心のカートは、少女の気持ちに欠片も気づいていなかった。


 おそらく、あえて気づかないようにしていたのだろうが。


「フィーネは、帰る事を承知してるんですか?」

「さっきまで、泣いて嫌がっていた」

「……そんなの当然ですよっ」

「カート?」

「何で、何でピアさんは、そんな飄々としていられるんですかっ! フィーネの気持ちなんて、これっぽっちも理解してないし、しようともしないのはどうしてなんですか! 距離を取らせるだけなら、僕を追い出したっていいはずだ」


 急に声を荒げる少年に、ピアは怯んだ。


「あんなに寂しがっているのに、構ってもやらず、一方的過ぎます。無理して、魔法を使うのもそうだし、そもそも僕にあんな態度を取っていたのも、元はと言えばピアさんのせいじゃないですか。それなのに彼女が嫌がる事を、更にしようっていうんですか! また一人ぼっちにさせるんですか!」


 カートのあまりに大きな声に、部屋でベッドに突っ伏していたフィーネが顔を上げ、呟く。


「カート……?」


 部屋の扉を開けるだけで、リビングの会話が聞こえる。


「ピアさんはいつもそうだ。自分だけ何でもわかってる顔をして、肝心な事は誤魔化して。そして結果だけ見て、結論付ける。その過程にどんな苦しみがあっても、結果だけで判断するんだ」

「ボクはそれを間違っている事だとは思わない。何事も結果がすべてだ」

「人の気持ちは、そんな単純なものじゃないでしょう?」


 ぜぇぜぇと、少年は肩で息をする。


「じゃあおまえなら、どうする? あの愛に飢えた野良猫を」

「彼女が僕を好きになってくれていて、ピアさんの事を嫌いだというなら、僕が……」


 言いかけて、はっとする。


「僕が……」


 声が小さくなる。叫ぶ時に無意識に立ち上がっていたが、その体を力なくソファーに沈めて。


――僕が?


 彼女が、ピアとの結婚をもう望まないなら。

 瞳に、涙が一気に溜まっているそんな少年の言葉の続きを、ピアは静かに待つ。


「僕が、フィーネの事を、好きになっても、いいですか……?」


 笑顔が見たい。

 愛を求めて苦しんでいる彼女の、その求める愛になりたい。

 あの太陽のような瞳に見つめられ、心を温められたい。


 子供過ぎる自分だけども。

 早く大人になって、彼女を癒してあげられたら。

 もっと強くなって、守ってあげられたら。


 夫婦みたいと言ってはにかんだ彼女の、あの言葉に頷きたい。


「うっ……あ……ひっく」


 少年はポロポロと涙を落とし、苦し気な嗚咽と共に泣き始めた。何故こんなふうに泣いてしまうのかわからない。


 抑え込んでいた感情が、揺らぎに揺らいで、防波堤を乗り越える。


 彼女は、ピアの事が好きなのだと思っていた。そんな彼女の邪魔をしてはいけないと感じて。好きになっては絶対にいけないと思って。


 自分の心を押し殺し、我慢して、気持ちに蓋をして、エリザが求めた良い子をずっと目指していた。空気を読んで取り繕って、その場の雰囲気をよくする模範的な姿。でも、そんなものはもう、クソくらえだ。


 育ての母が求めた、アリグレイドの子として相応しい理想の息子じゃなくてもいい。ピアだって言ったではないか。自分の意思で決めろと。

 心の激情のままに、自分の思いを貫き通したい。恩人でもあるピアに、逆らう事となったとしても。


「フィーネに、ピアさんとの結婚以外の幸せを、教えるのは僕でありたいです!」

 

 フィーネの気持ちが自分に向いているとしても、ピアの本当の気持ちはわからない。これは横恋慕かもしれない。だけど我慢などするものか。


 カートはこの宣言を口にする事で、誇り高い女王の息子に相応しく、感情を押さえ、常に紳士であれと縛った、育ての母エリザの糸を断ち切った。


 まっすぐ純真な青い瞳は、苦しみながらも、前に進む。

 そんな少年をピアはずっと見つめていた。


――ボクには一体いくつ、おまえを見習うべき部分があるのだろうか。


「ならば、お手並み拝見といこう」


 ピアはそう言って、少し疲れたように笑った。

 そして立ち上がろうとし、よろめいて、そのまま倒れた。


「ピアさん!?」


 魔導士の耳に届く少年の声は、ひどく遠くに感じた。

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