第6話 親友


 アーノルドは褒めたたえられた。


 エストの大岩からワイバーンは立ち去り、街道は再び平穏を取り戻している。帰還の際、今まで仕方なくアーノルドに声をかけていたような壮年の騎士も、心底誇らしげにその功績をたたえていた。


「驚いた、たった一人で。いない事に気付いた時は肝が冷えたが」

「アーノルド様、すごいです、尊敬します」


 一般兵もがやがやと、その話題の主役にアーノルドの名を連ねる。


「いやあ我儘三昧の貴族のおぼっちゃまっていう話だったが」

「この実力があるなら、あの態度も納得だな」

「有能な虎は爪を隠しているものだと聞くが」

「それを言うなら鷹だろう」


 金髪巻き毛の、生意気そうなそばかすの少年は考える。


 自分は確かに、ワイバーンの攻撃を数度避けた。しかし最後に記憶があるのは、踏みつけられて走馬灯のように過去を思い出していた事だけだ。あの状況でワイバーンを追い払ったなどと、信じられようもない。

 あの場には自分とカートしかいなかった。カートはいつ来たのだろう。珍しく遅刻をして、きっと後を追ってやってきたのだろうというのは想像できたが。


 馬上でその少年と目が合う。目が合うと、彼はニコっと笑った。




「僕が先輩のところに到着したとき、もうワイバーンはいませんでした」


 団長室の報告で、カートはこのように発言した。

 しかし、嘘をつきなれない彼のこと、口調や目線からヘイグはそれを偽りだと感じた。だが少年はそれ以上の報告はしてこない。アーノルドに、花を持たせようと思っているのだろうか。


 アーノルドは負傷している。転んだ時に打った頭には立派なコブが。胴にも痛々しい打撲の痕跡と、鍵づめが食い込んだ出血があって、彼がワイバーンと直接対峙したのは間違いない。今は医務室で治療を受けていて、報告は最年長の隊長騎士と、最後にアーノルドを保護したカートの二名で行われている。


 カートは全くの無傷で衣服に汚れもなく、戦闘の痕跡はない。


 今、何を聞いても正直に答える事はないとヘイグは考えた。何か言いにくい事があり、自分の中でもその整理がついていないのかもしれない。時期が来れば、ちゃんと彼なら正直に告白してくるであろうという信頼の気持ちもあり、報告は以上という事で終了した。


 カートはアーノルドを見舞うために医務室に行く。あの眼鏡の医師がいたら少し嫌だなと思ったが、アーノルドも心配である。


 有難い事に、この日の担当は別の女性医師であった。

 軽傷だったアーノルドは包帯を巻かれはしていたが、服を着始めている。


「ああ、カートか」

「先輩、大丈夫ですか?」

「かすり傷だよ。もう帰っていいってさ」

「良かった」


 カートは歩み寄って、少し腕を上げにくそうにしていたアーノルドの着衣を手伝う。


「カート、ちょっと付き合えよ」

「はい?」


 アーノルドは怪我を一切介さず、いつものような雑な足取りで、カートを連れて行く。二人がたどり着いたのは、神殿に向かう途中のバルコニーだった。

 細い月が中空に上がり、涼し気な夜風がたまに頬を撫でる。


「ワイバーンを追っ払ったの、おまえだろ」

「えっ、違いますよ。だって、行った時にはもういな……」

「嘘はやめろ」

「先輩……」


 細い目だが、鋭い眼光で睨まれていると少年は感じた。

 カートは目を伏せる。泣き出しそうで、何かを恐れているようにも見える。金髪巻き毛の少年は、カートのこの様子をいぶかし気に見た。


「何だよ、言えないのかよ」

「僕にも、よくわからなくて」


 予想外の返答だった。剣技も優秀、頭も良くて戦略にも優れ、勇気もあれば胆力もある。判断力も反射神経も到底自分は叶わないからきっと、いつものその実力で、剣をもって撃退したのだと思っていたのだ。


 今の返答に、嘘は感じなかった。本当にカート自身、何故追い払えたのかわからないといった様子で。


「俺達、親友じゃないか。秘密はなしにしておこうぜ」

「え!?」


 親友でしたっけ!? と一瞬続けそうになったが、そこは口ごもる。


 しかし水晶木すいしょうぼくの事件以来、二人はよく一緒にいた。カート的には自分も、取り巻きに組み込まれたのだと思ったのだが、アーノルドは対等のつもりでいた。

 上から目線で「俺が認めた男」、という形であったが。


 他の取り巻き達も、そんなカートに一目を置いている。


「おまえの父親、ヴィットリオ宰相なんだよな」

「はい、そうだったみたいです」


 あの日あの場所にいた人間なら、カートが彼の子だという事に気付いただろう。父親が不明という立場だったから、父親が誰かという事が判明しただけでもカートの身分は少し安定した。だが公式に認知されているわけではなく、ヴィットリオの家族にもカートの存在は知らされなかった。少年が知らせる事をうなら、あの場にいたアーノルドは、公爵家の権威を利用してでも、カートがヴィットリオの子であった事の証人になっても良いとさえ思っていた。


 でも、この青い瞳の少年は欲がなく、貴族の身分が欲しいとも思わないようで、それを望む事はなかった。


「おまえ、俺に黙ってる事、他にもあるんじゃないのか」

「もしかして、ピアの事ですか?」


 ビクっとして、カートは反射的に、彼女の事を口に出す。アーノルドに対する最大の秘密は、これである。

 今は人形の中身がフィーネであったりととてもややこしい事になっていて、正直なところこれ以上黙っているのはカートも限界であった。


――何故ここに、ピアちゃんの名が? もしやすでに婚約者が?

  カートの事も気になるが、あの子の事はもっと気になる。


「そ、そうだ。もう洗いざらいぶちまけろよ」

「先輩は、誰よりも目端が効きますもんね。他の人には気づかれてないのに、流石です」

「おうよ、俺の目は誤魔化せないぜ」


 溜息混じりの苦笑をしながら微笑む少年に、アーノルドは余裕ぶって答えたが、次の言葉に打ちひしがれた。


「ピアの中身は、宮廷魔導士のピアさんです」

「中身……? 魔導士閣下?」

「人形をあれほどまでに本物のごとく作って動かすなんて、本当にすごいですよね。独立して生きた人間のように動きますし、ピアさんが意識を入れれば会話もできますから、あれは本当に、実際の女の子のようで」

「人形……?」

「先輩?」


――あの可愛い女の子が、人形?

  俺の好みを具現化したような、あの子が?


 彼の細い目が何処を見ているのか、カートにはわからない。

 その目は、今は何処も見てはいなかった。

 彼はショックの余り、立ったまま気絶していたのだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 たっぷり小一時間、アーノルドは意識を飛ばしていた。相当に衝撃的な事実だったようだ。


 バルコニーに置かれた木製のベンチの上に、彼は横たわっていた。

 心配そうに青い瞳がアーノルドを見ている。


「先輩、大丈夫ですか」

「ああ」


 アーノルドが体を起こすと、カートからほっと安堵の息が漏れるのが聞こえた。かなり心配していた様子で、金髪巻き毛の少年はそれがなんだか嬉しかった。自分にも、心配してくれる奴がいる、と。


「よくも騙してくれたな」


 あえて声を低くしながら立ち上がると、同時にカートも立ち上がる。

 青い瞳の少年は騙すつもりなどなかったが、言わずにいた事も騙した事になるであろう。


「すみません……言いにくくて」

「まあいいさ、でも一発殴らせろ」

「……はい」


 少年は目を固く閉じて、素直に歯を食いしばった。


 ぺちっ。


 軽い音がした。


 そっと目を開けると、アーノルドの拳が自分の左頬に当たっている。目の前のそばかすの少年はニンマリと笑う。


「おまえ、俺に殴られるのは、先払い済だったな」


 以前カートは、理不尽な理由でアーノルドに思いっきり殴られていた。あれは、今日この日の先払いだったのかと。その理論がとても面白くて、カートは明るく、声を上げて笑った。アーノルドも笑う。

 少年二人は、バルコニーで笑い転げた。


 カートがこんな風に笑うのは、初めての事。


 中空の欠けた月は、静かにその光景を見守っていた。


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