第5話 遅れた救世主


 息が上がる程に、カートは走って団長室にたどり着いた。しばし扉の前で呼吸が落ち着くまで待ち、最後に深呼吸をしてノックをする。

 入室の許可に恐る恐る、中へ。


 椅子に座り机の前で腕を組む、騎士団長のヘイグがその褐色の瞳を少し細めた。


「大遅刻だな、カート」

「申し訳ありません、寝過ごしてしまいました……」


 騎士団長は溜息混じりに立ち上がると、カートにそばに寄るように指示をし、少年はとぼとぼと近くに寄った。


 他の少年騎士も遅刻する者は多い。彼らは聞きもしないのに遅刻の言い訳を一生懸命行うのだが、目の前の少年はしょんぼりとうつむきがちになるだけで、言い訳をしなかった。遅刻は遅刻。理由が何であろうとも。そういう考えを持っている事が見て取れた。


 真面目な彼の事、寝過ごした事にも避けがたい事由があるだろうに、何も言わずに申し渡される叱りの言葉を大人しく待っている様子。


「遅刻した分は、今日の残業になるからな」

「はい」


 素直な青い瞳がすっとヘイグを見上げる。その瞳を見て、騎士団長は違和感を感じた。


――ん?


 ヘイグは思わず少年の頬に手を添え、その瞳を覗き込む。


「団長?」


 先日の医師の行動を思い出し、カートは思わず身を固くした。

 ぱっと、その手が離れる。


「気のせいだろうか」

「何かおかしいところが、ありましたでしょうか」


 自分の瞳は、ありきたりな青である。良く見えはしないが、アーノルドも青だった気がする。むしろフィーネやピアのような、金色の瞳の方が珍しい。何かおかしいところがあるのだろうかと不安になって来るが、視力には特に問題を感じていないし、痛みもない。


 あの医師はカートの瞳を美しいと言ったが、少年はグリエルマの若草色の瞳こそ美しいと感じていたし、自分の目に何か特徴があるようには全く思えなかった。


「いや、気のせいだ、すまない」

「はい。では本日の指示をお願いします」


 姿勢を正し騎士としての矜持を見せた少年に、ヘイグも団長としての威厳を取り戻す。


「南の街道沿い、エストの大岩付近にワイバーンが巣をかけたという報告があり、アーノルド達が追い払うために出ている。カートもその援護に向かってくれ」

「ワイバーンが巣を、人通りの多い街道沿いに?」

「ああ、珍しい事だが、あの大岩は確かに、巣に向いてはいそうだ」

「わかりました、すぐに向かいます」


 ワイバーンは翼を持つ空が飛べる竜の一種で、竜だけあって人語も理解する賢さを持つが、巣に近づくものを執拗に追いかけまわし、殺すまで止めないほどの執着をする事があり、通常なら人の方が巣を避けるべきなのだが、今回は困った事にワイバーンの方が人の多い所に来てしまったようだった。これでは街道を安全には使えない。討伐とまではいかなくとも、追い払う必要があった。


 厩舎に向かい、バッカスに鞍の準備をしてもらっている間に、少年は自分の装備を確認する。

 ワイバーンのように飛翔する魔物には、剣はあまり役に立たないが、少年が頼るべき武器は、やはり剣しかない。弓も時間を作って練習しておくべきだったと後悔する。


 わずかな思案の合間に馬の準備が整って、バッカスが手綱を引いて歩み寄って来た。


「気を付けていけよ」

「はい、ありがとうございます。行ってきます」


 黒馬はやる気をみなぎらせて駆けて行く。その後ろ姿を、バッカスは誇らしげに見つめた。


「本当に、動物と会話ができているようだ。……まさか、本当にできているという事はないだろうが……」


 厩舎の主の脳裏に、かつて仕えた屋敷の、幼い盲目の少女の姿が蘇って来る。その屋敷の、家族の秘密も同時に思い出す。あの魔導士の家系に受け継がれているという、呪いの噂。


 少年が見えなくなっても、老人はその方向に目を向けたまま暫く動けなくなった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 街道沿い、エストの大岩はその名に恥じぬ巨石である。かつて巨人が使っていた槍を置いて行った等という逸話が残るが、地殻変動で隆起した岩盤の風化せずに残った部分である。

 高く突きあがり、槍の先のように先端は尖る。

 街道の目印にもなっていて、この道を使わない隊商はいないほどだ。


 岩の周囲は開けていて、水はけがよすぎるのか植物はあまり育たず、ごつごつの岩場の隙間わずかに低木が茂る。


 十人程の騎士団員の制服の中に、アーノルドの姿はあった。

 大人に混じり、いつもの細身の少年と太目の少年が付き従う。

 二十人程の一般兵は矢をつがえ、滞空するワイバーンに間髪を入れずに矢を放つ。


 目的は追い払う事であったが余程この場所が気に入ったのか、多数の人間の敵意を受けても、むしろそれを排除してしまおうという姿勢を見せている。殺意を持っている様子があり、地上の人間は焦っていた。

 矢を放ち続けるのは今はもう、自分達に近づけさせないためだ。


「これは一旦、引いた方がいいかもしれない」


 壮年の年長の騎士が、状況をそう判断する。


「森の方に引きますか?」

「あそこで立ち往生している隊商にも連絡を。我々が引いたら、彼らが襲われるかもしれん」


 アーノルドの取り巻きの二人が、伝令として走る。


「退却、南の森まで!」


 年長の騎士の指示が飛ぶ。隊商たちの背後を守るように、騎士と兵士達はついていく。矢を射かけ、牽制をし続けた。

 岩場から一定の距離を離れると、ワイバーンは追ってこなかった。ある程度離れれば問題ないのかもしれない。追い払うつもりが、人間の方が追い払われてしまった形だが。


 森にたどり着き、点呼と怪我人の確認を行う。


「隊長、大変です、アーノルド様がいません」

「え!? なんだと、何処にいったんだ」


 岩場に向かってワイバーンが戻って行くのが見える。それなりの距離があり、アーノルドの姿は見えない。



 その頃、アーノルドは巨石の真下の岩陰にハマりこんでいた。


 上ばかり見ていたので、彼は小石に足を取られ、ひっくり返って隙間に転がり落ちていたのだ。その時に頭を打って、今の今まで気絶していた。

 変な所でドジを踏む貴族の少年は、たった一人でワイバーンのいる岩場に取り残されていたのだ。


「いてて」


 なんとか隙間から体を起こし、周囲を見る。


「あれ? みんなどこだ」


 風を感じた。頭上から吹きつける風。足元の砂塵が渦を巻いて、視界を白く煙らせた。その風の前に聞こえたのは、翼音。


 アーノルドがこわごわと見上げると、彼に影を落とすような真上にワイバーンの巨体。

 腕から脇にかけて張られた皮膜の翼は、大きく空気をはらみ、その上下のたびに風を起こす。


 アーノルドはゆっくりと剣を抜く。無意識の、防衛本能で。頭で考えたわけではなく自然に体が動いた。

 カートとの日々の剣の稽古が今生きる。


 かつての彼なら腰を抜かしてそのままワイバーンの昼食になっていただろうが、今の彼には体に染み付いた戦い方があった。無意識に体が動かせる程に、腕は磨かれていたのだ。


 降りて来たワイバーンの鍵爪を、剣で弾く。その鋭さに、ワイバーンは体勢を僅かに崩しかけ、「ギャゥ」という鋭い鳴き声を上げた。

 再び翼が巨体を持ち上げる。風が巻き上がり、再度の攻撃の構え。


 アーノルドは視界を奪う砂塵から逃れるように、数歩下がる。

 再びの攻撃、重ねる斬撃。ガツンという反動は、アーノルドの剣を押し返す。取り落とさないように、両手で強く握る。


 また数歩下がったところで、三度目の攻撃。

 速い。剣では間に合わない。

 咄嗟の判断で体を投げ出して避け、乾いた地面を転がった。

 彼が体を起こす前にワイバーンは降り立つ。アーノルドの踏みつけて。

 

「ぐっぁっ」


 胸を大きな足で抑え込まれ、目を閉じて苦悶の声を上げる。手から剣が落ちて握り直す事もできず、圧迫されて息もできない。

 一気に意識が遠のく。


――あ、これ、もうダメかも。


 彼は公爵家の三男坊。

 女の子ならよかったのにと言われながら育った。

 長男は跡継ぎ。次男はその予備。三人目は他家とのつながりを作るために、嫁に出せる女の子がいい。


 でも生まれた自分は男子だった。

 そして次の四人目は待望の女の子。


「長男は領地経営の英才教育をせねばな。次男もその補佐に」

「アーノルドはどうしましょうね」

「騎士団なら外聞もいいし、騎士団に入れよう」

「そうですわねぇ」

「危険もあるが、長男と次男がいれば家は安泰だし」


――怖い。剣を持って戦うなんて怖い。魔物や盗賊と戦うなんて無理だよ。もし戦争になったら、騎士も行くんだよね? 父上は、母上は、俺が死んでもいいの!?


 でも、嫌だとは言えなかった。

 

 騎士団に入団してみたら、他の奴らも同じような状況だった。家に残しても用途のない子供たち。


――なんでだよ。生まれた順番だけで、なんで。


 家では必要とされなかったけど、騎士団員の中では公爵家の自分が最も貴族としての位が高かった。大人の騎士も、アーノルドの家に睨まれると生きづらい立場だから気を使う。気を使わないのは団長ぐらいだ。

 何をやっても許された。我儘放題できるのが気持ちよかった。調子に乗ってしまっていた。


 調子に乗って……。


 脳裏をよぎるのは、弱々しい女の子のような顔の庶民の少年。


――あんな可愛い顔をして、男だなんてずるいだろ?

  可愛いといえば、ピアちゃん……最後にもう一度会いたかったな。

  カートとの勝負に、まだ勝ててないや……。


「……カート」


 最後のつもりで絞り出して呼んだ名は、父でも母でもピアでもなく、あの少年の名前。


「はい」


――!?


 アーノルドが細い目を見開く。眼前には高く広がる青空と、その空と同じ色の瞳の少年が自分を覗き込んでいた。



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