第4話 鮮血の魔法陣


 カートが家の戸締りを確認していると、窓をコツコツと突く小鳥の姿。それはピアの伝言用の魔法のひとつ。かわいらしいので、ピアの使う魔法の中でも特に少年のお気に入りである。

 白く光る小鳥は窓を開けると小さなメモだけ残して、光の粒になって消えた。


「今夜は帰れない……か」


 ピアの体が心配になる。


 随分と激務続きだ。今は優秀な人程、背負い込む仕事量が多くなっていて、頭ひとつ抜けているピアはおそらく誰よりも多忙を極めている。

 ピアのために用意していた夕食を保存容器に入れ、一階の灯りを消して階段を上がると、フィーネはまだ起きているようで部屋からは光が漏れていた。


――やけに、夜更かし気味な気がするけど、大丈夫なのかな。


 カートは自室に入り寝間着にしているシャツに着替え、机の上のノートを開き立ったまま軽く日記を付ける。

 今日の業務内容、食べ過ぎてしまった事を書き……医師のあの態度を思い出す。


――両親の事……聞いてどうするんだろう?


 光となって散ってしまった母アリグレイド。自分を庇い、息絶えたヴィットリオ。親子として一緒にいられた時間は、本当に僅かだった。だから両親と言われても、ぱっと名前は出てこなくて。


 親子として邂逅したのは一瞬とも言える。知った直後に別れが来てしまったから。


 まじまじと自分の両手を見つめる。自分の体にはあの二人の血が流れているのだ。二人の間に愛情があったかどうかは、カートにはわからないが、二人はカートを息子として愛してくれていたと感じている。


「父さん、母さん……」


 つい、声を出して呼んでしまう。


 寂しい。


 共に過ごしてみたかった。

 もっと抱きしめて欲しかった。

 一緒にご飯を食べて森を散歩したり、遊んでもらって。

 アリグレイドは、どんな風に自分を寝かしつけてくれただろうか。

 ヴィットリオは、何を自分に教えてくれただろうか。


 少年は自分で自分を抱きしめる。ぎゅっと力を込めて。

 静かな夜は、時々こんなふうに寂しさを感じる事がある。


――なんだかこういう所も、僕って子供っぽいかも。


 気を取り直すと灯りを消して、毛布に潜り込む。

 あの医者は何故あんなふうに顔を寄せたのだろう。診察にしては近すぎるのではないかと。眼鏡だし、目が悪いのかな? 等と少年は考える。


 でも、少し。


 いやかなり不安で怖かった。何をされるのかわからなくて。

 そんな精神的な疲れからか、ことんと少年は眠りに落ちる。


 夢すら見ずに寝入ったのだが。


 どたーん! という何かが倒れる大きな音と振動に少年は跳ね起きた。

  

「え、何? 今の音」


 音がした方向は、フィーネの部屋だ。

 少年は慌てて彼女の部屋に向かう。深夜なのに光が漏れていた。


「フィーネ!? 大丈夫? どうしたの」


 返事がない。


「……入るよっ」


 不安になって扉を開けると、床に倒れ込んだ寝間着姿の少女の姿。その手首からは大量の血が出ていた。


「フィーネ!!」


 慌てて駆け寄ってゆする。蒼白な少女は小さく震え続けていて、うっすらと金色の瞳を見せた。


「カート……」


 抱き寄せると氷のように冷たい。全く体温を感じない程に冷え切っていた。慌ててそのまま抱きかかえ、ベッドに横たえる。自身のシャツの端を裂いて血の出ている手首を縛って毛布をかけるが、少女の身体は震え続けている。


 何が起こったのかと、少年は部屋を見渡す。


 点々と散る少女の血痕。

 机の上に広げられた本。

 羊皮紙に、血で描かれた魔方陣。

 そして……エリザの櫛。

 折れていない木の櫛が。


「何をしてたの……」

「……さむい……」

「フィーネ?」


 少女はカタカタと震え、呼吸も浅い。血の気を失った頬、うっすらと浮かぶ脂汗。


「どうしよう、ピアさんは今夜、帰らないのに」


 只事ではないのは明らかで、カートは医師を呼びに行こうとフィーネから離れかけたのだが、彼女はカートの服の裾をしっかりつかんで離さない。


「行かないで……っ」

「すぐに戻るから。お医者さんを呼ぶだけだよ」

「……ダメっ、お医者さんはダメ」

「何言ってるの、こんな事になってるのに」

「……寒い……」

「フィーネ、どうしちゃったの。一体、君は何をしたの」

「カート、助けて……」


 少女は必死に少年にすがる。


 カートは自分が出来うる選択肢を必死に探し、とにかく彼女の冷えた体を何とかしなければと思い立ち、ベッドに潜りこむと抱き寄せて包み込み背中をさする。


「フィーネ、しっかりして」

「カート、カート」


 少女はずっと少年の名を呼び続ける。カートの体温は、どんどん少女に吸い取られていくような感じがした。

 少女の瞳は涙に濡れていて、潤んだ瞳が少年を見つめ続ける。

 

「カート、行かないで、置いていかないで」

「心配しないで、ここにいるよ。置いていかないから」

「絶対だよ、約束だよ、大好きだよ」

「うん、約束する」


 さりげなく入った告白を少年は重く受け止めないよう意識して、あえて軽く流した。


 少女の体温が戻ってくると呼吸は落着き、頬も色を取り戻して少年は安堵する。

 抱き合う二人の体温でカートもポカポカと暖かくなり、恋しかった人肌の温度が心地よくて、そのままフィーネを抱きしめて眠ってしまった。



 翌朝、日が完全に登り切った所ピアは帰宅。出仕の時間になってもカートが城に出ていないという話を騎士団長のヘイグに聞き、慌てて戻って来たのだ。


 家の中は静かで朝食を作った気配もない。階段を上がると少年の部屋の扉は開いたままだったが、その室内には少年の姿は見えなくて。


 フィーネの部屋の扉も、薄く開いている。

 ピアが覗き込むと、ベッドで二人は抱き合って眠っていた。


――まさか、もう間違いが起きてしまったのか?


 こういう場合どういう顔をして叱ればいいのか思案しつつ部屋に入ると、床の血痕。そして机の上に目線をやる。一気に青年の表情が変わる。


 ピアは叫んだ。


「フィーネっ!!」


 少年と少女は跳ねるように飛び起きた。


「あ、あれ!?」


 少年が何が起こったのかわからないという、狼狽うろたえた顔をして、キョロキョロと見回す。そして、日が随分高くなってる事に気付いて、ベッドから転がり出た。


「寝すぎちゃった、どうしよう遅刻……」


 部屋から飛び出そうとするカートの襟首を、ピアが掴む。


「カート!」

「は、はい!」


 ピアがひどく怒ってる事が伝わって来た。恐る恐る顔を見ると、今までかつて見た事がないほどに、怒りの表情で。


「ピア、カートは悪くないの、あたし……」


 力なくそう言うフィーネを一瞥し、ピアは掴んでいた少年のシャツから手を離す。


「ヘイグが心配していた。フィーネにはボクがついてる。行きなさい」

「はい……」


 少年は部屋に戻り、手早く制服に着替えると、フィーネの事が心配で後ろ髪を引かれつつ、出て行った。


 家には、兄と妹の二人が残される。


 ピアは無言で机に向かい、卓上の魔法陣の書かれた羊皮紙をグシャリと握りつぶす。

 そこにある櫛を見て、少女が何をやったのかは一目瞭然。彼女は、修復の魔法を使った。ただそれだけである。


 ベッドの端に力なく、少女は座る。

 ピアはその前に立ち、フィーネを立ち上がらせた。

 そしてパシっと頬を打つ。


 よろめいて、フィーネは再びベッドの端に座り込んだ。涙がじわっと金色の瞳を縁取る。溜息をつきながらピアはその隣に座り、肩に手をかけて引き寄せた。


「ボクが何故怒っているか、わかっているね?」

「うん……」

「どうして、ボクに言わなかったんだ」

「……」


 自分で直さなければ意味がないと思った。それに、忙しくしているピアに迷惑もかけたくなかった。そもそも……。


「……頼れるほど、そばにいてくれないじゃん……」

「フィーネ」

「母様もそう! ピアもそう! 父様も! 誰が、あたしを助けてくれたというの?」


 肩にかけられた手を振り払う。


「どうしてもっと早く、助けてくれなかったの? 知っていたんでしょ、私達がどんな暮らしをしていたかっ! 知らなかったなんて言わせない」


 立ち上がり、ピアに向けて怒りをぶつける。涙があふれて床を濡らしながら、彼女は叫び続けた。


「あたしを助けてくれる人なんて何処にもいない。自分でやるしかないのだもの! 今までずっとそうしてきたのよ。あたしがやったことに、ピアが怒るなんて筋違いもいいところだわ! あなたに、あたしを叱る権利なんてあるものかっ!」


 部屋を飛び出そうとして足がもつれ、少女は豪快に転び、床に転がったまま、彼女はわんわん子供のように泣いた。


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