第3話 暗躍する何か
少女人形に入ったフィーネは、書類を抱えてトコトコと歩く。
通りすがりの兵士に道を聞きながら。
目的の扉の前に到着したが書類で両手が塞がっており、考えあぐねた彼女は、カートに見つかったら叱られるだろうなと思いながら、足でコツコツとノックをした。
聞き慣れない位置から音を立てる扉に、首を傾げながら侍女が扉を開けると、前が見えないほどに書類を抱えた、ストロベリーブロンドの少女。
「まあ、小さい子にこんなに持たせて」
侍女はさっとその書類の半分を受け取り、少女を部屋の中に誘って行く。フィーネはレースとリボンがいっぱいの、乙女趣味満載の部屋に目を丸くしながら、キョロキョロと周囲を見る。
「ピア?」
可愛らしい声がした。
部屋の奥に、光に包まれるような美しい女性。淡い光の中に、少女の儚さを持つ、若草色の瞳の乙女……。
春の妖精がそこにいた。
フィーネは想像以上のその姿に、息を飲んで立ち尽くす。ぼーっとしてると書類を机に置いた侍女が、少女の手から再び残りの書類を受け取って行く。
手元から書類が消えてはっとした少女は、ぺこりとお辞儀をして部屋から飛び出して行った。
侍女とグリエルマは首を傾げながらそれを見送り、書類の山を見て苦笑を浮かべる。
――……すごい綺麗な人だった……。
女であるフィーネですら、目を奪われてしまった。だがあれは女性として魅力的と言う感じではなく、本物の妖精のように人を魅了しているのかも? と。
それに、女王陛下はすでに結婚していると聞いている。
――勝ち負けじゃないと思う、たぶん……。あれは別枠だわきっと。
フィーネは宮廷魔導士の部屋に戻るつもりだったのだが、うっかり道を間違えて神殿の方に出てしまった。
「あれ? ここどこだろ」
見上げると、
「わ、きれい……」
ふらふらとそこに足を向けかけたのだが、男二人が会話しながら近づいてくる気配を感じた。何故か少女は見つかってはいけない気がして、慌てて塀と花壇の狭い隙間に体を滑り込ませて隠れる。
――……?
男達の声は途切れ途切れだが、その会話の中にカートの名前が混じっていたように聞こえた。
そっと隙間から顔を出す。
一人は茶色の髪の眼鏡の男。白衣を着ている。
もう一人は赤毛の長髪でローブの男。魔導士のローブとは違う、聖職者のローブのように見えた。両方とも四十代というところか、その二人がこちらに向けて歩いて来る様子だったので、慌てて再度、隙間に身を潜める。
会話をしながら歩く男達が、フィーネの隠れる花壇の前を横切って行く。その段階でやっと、会話がよく聞こえた。
「では、間違いないんだな」
「ああ。まだ解放されてはいないようだが」
「解放の方法はあるのか?」
「少し面倒ではある。本人の意思を喪失させないといけない」
「そのような事、可能なのか?」
「気の弱そうな少年だ、そう難しい事ではないだろう。多少の時間は必要だろうが」
「おまえ、自分の趣味を優先するなよ」
「そこは役得……だ……だし、……だかね」
「それが……では困る……」
「まぁま……で……だ」
遠ざかり、会話は聞こえなくなる。
何の事かはわからないが、カートの名前が聞こえた気がするし、気の弱そうな少年という事で真っ先に思い出すのもカートだ。
隙間から滑り出し、ピアの元に戻る事にする。
彼女はその後も散々道に迷ってしまい、宮廷魔導士の部屋に戻れたのは随分後になってからだった。
「何処で、何をしてたんだ」
「ごめんなさい、戻る道がわからなくなって」
「心配したぞ、流石に」
「ごめんなさい……」
抱き寄せて頭を撫でてくれるピアに心配を重ねてしまいそうで、一瞬躊躇したが、フィーネは男二人の会話を聞いた出来事を忘れずにピアに報告する。
「解放? 何の話だろうか」
「最初の方の話は聞こえなくて……」
白衣の眼鏡の男は、医務室の医師ダグラスで間違いないだろう。
――そして赤毛の長髪は……神殿の神官カイト……か。
精霊への信仰心が皆無のピアは、名前を知ってる程度で付き合いは全くない。医師と神官が付き合いがあっても、別段おかしくはないが。
先代神官は朴訥な人物だったが、その人は女王選定の儀の際の犠牲者の一人だ。神官は世襲制だったのでその息子が跡を継いだはず。
これといって神官も目立つ職ではなく、歴代女王の墓守と形式的な儀式をつかさどるのみで、名誉職の一種だ。
反対はしているがこれといって何か行動する様子もなく、意見として口に出す程度でいるが……。
――しかしなんだ? あの医者は、カートの出自をやたらと気にしていたようだし……。あいつにまだ、何かあるというのだろうか。
考えても何も思いつかない。
先代女王には兄がいて、あの家に跡継ぎ問題はない。父親のヴィットリオの方はというと、本人が努力であの地位を得たというだけで、その生家は商売に成功して富豪ではあるが下級貴族。そちらも跡継ぎがいたはず。
跡継ぎがいなければ、カートを欲しがるであろうが。
考えに沈み込むピアを、フィーネはじっと見つめていた。
不意にノックの音がして、ピアは思考を中断し返事をすると、その話題のカートが扉から顔をのぞかせる。
「そろそろ帰宅しようと思うんですが」
「ボクは遅くなるから、フィーネだけ連れ帰ってくれ」
「わかりました。フィーネ、帰ろう」
「うん」
カートの横に立つと、少年はすっと手を引いてくれる。
「城の中を随分、ウロウロしていたって聞いたよ。何してたの」
「迷っちゃって」
「もっときちんと案内しておけばよかったね」
「おかげで、だいぶ覚えたよ」
「そう? ならいいけど」
帰りもフィーネだけを馬に乗せ、カートは歩く。
フィーネは男二人の会話をカートに伝える事は出来なかった。ピアですら、解答を出せなかったようであったし。
帰りに屋台ですぐに食べられる物と果物を買って帰る。
二人だけの夕食は、静かにもくもくと食べる。沈黙に最初に耐えかねたのはフィーネだった。
「今夜はたくさん食べるのね」
「え? あ、うん。食べる量が少なすぎるって、同僚にも言われて」
「あたしも少ないって思ってた」
「そっか。普通どれくらい食べるのか、わからなくて」
「お腹がいっぱいになるまで食べるんじゃないの?」
「そうなのかな……?」
食器はフィーネが洗ってくれると言い、食後が少し手持無沙汰になってしまったカートは、結局その食器を拭く事にして、隣合って家事をする。
「なんだか、夫婦みたい」
「ピアさんもやってくれるよ」
少し照れながらフィーネは言うが、カートは何の感慨もなさそうに返事をした。
「あ、そうなの?」
「二人は、結婚式を挙げるの?」
「どうだろ……」
「来年かあ。僕、また住む所を探さなきゃ」
「え!? 出て行くの?」
あまりにもフィーネが驚くので、カートも驚いた。
「当然だよ。新婚夫婦の家になんていられないよ」
「そんな……」
「今だって本当なら、二人きりがいいでしょ? 今年はピアさんが忙しくて家にいられないから、防犯上は僕がいた方がいいと思うけど、流石に来年もこの忙しさという事はないと思うし」
カートは優しく微笑みながらフィーネを見る。
「大丈夫、心配しないで。僕は二人の仲を邪魔しないから」
「カート……」
まるっきり、カートの対象に自分が入っていない事を知り、フィーネは胸がつぶれる思いだった。
表情を暗くする少女を、カートは不安げに見つめる。
「フィーネどうしたの? もっと早く出て行った方がいい?」
「ううん、むしろずっといて欲しいんだけど……」
少女の真意が全く理解できず、少年は首を傾げる。
本当にカートが出て行ってしまいそうで、フィーネは焦る気持ちが抑えられなくなっていた。
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