第2話 不穏な影に*
カートは町娘の服を着た少女人形の脇に手を入れて、その体を馬の背に向けて持ち上げた。
それ程の高さではないが、あまりにも軽々と持ち上げられた事にフィーネは驚く。十二歳程度の少女の身長と体型で、人形であってもその重量は普通の女の子の重さがあったから。
華奢な少年なのにしっかりと力がある事が男らしく思えて、人形でなければ赤面してしまっているところ。
フィーネの気持ちは加速度的に、カートに向けて転がる。
少女のこんな心中を知る由もないカートは、愛馬を引いて城に向かって歩く。
「お城で、この人形と会話した人はほとんどいないから……あ、名前はピアという事になってるよ」
「あたし、この姿だとピアって呼ばれるの?」
「そうなるね。ピアさんは城内では魔導士閣下と呼ばれてる事が多いから、名前が同じ事を気にしてる人はいないみたい。騎士団長と陛下は人形の事をご存知だけど」
人形であることを知らず、本当に妹だと思っているうちの一人、厩舎の管理人であるバッカスにいつものように愛馬を預けると、少年は少女人形を宮廷魔導士の部屋に連れて行く。
「ここが、ピアさんのいる部屋だよ」
ノックをすると聞き慣れた声がして、扉を開けると先に出仕して奥の机で書類に埋もれた魔導士の姿。少女人形が跳ねるようにその隣に走り寄る。
それを見たカートは、「フィーネは本当にピアさんの事が好きなんだな」と微笑み、そして眩しそうに目を細めた。
「フィーネ、来たか」
「何を手伝ったらいい?」
ピアの声にも優しさが乗っている。兄妹であっても、好き合うなら結婚もありなのではないかと少年は思う。愛の形は色々あって、良いと思うから。
でもなぜか、心臓がきゅっと縮んだ気がした。
「じゃあ僕はこれで」
「「ありがとう、カート」」
ピアとフィーネの声が同時に重なったので、少年はクスリと笑いながら、部屋を後にする。そして少し、切ない気持ち。
――ピアさんと息が合うのは、僕だけと思っていたんだけどな。
そう反射的に考えてしまった自分に、少し驚く。フィーネに今までかつてない怒りを持ってしまったのはもしかして、彼を取られるようで悔しかったからなのでは? という所に考えが向かい、慌てて頭を振る。
でも、保護者役を買って出てくれたピアが、自分だけのものではない事に、少し嫉妬めいた気持ちは沸いていたようには思う。弟か妹が生まれる時の上の子のような、幼児的な感情が恥ずかしい。
――やだな、子供っぽくて。もっと大人にならなきゃ。
いつものようにカートは、何人かの少年騎士と廊下で途中合流し、軽い雑談をしながら団長室に向かう。すっかり仲良くなった細身の少年が、ふと思い出したように言う。
「カート、また寝込んだんだって?」
「恥ずかしながら、また」
「医務室の医者が、おまえの入団の記録が見たいって言ってきたぞ」
「え? なんでだろう」
「医務室を使ったからって、そんな書類の提出を医者に言われた事はないから団長が驚いていたなぁ」
カートは、その時の担当医師の記憶は朧気だ。眼鏡をかけた、優しい男性医師だった事だけを覚えている。いくつか質問をされた事に答えた気はするが、何だったか……。
「もう具合はいいのか?」
「ええ」
「あのさカート、俺が言うのも何だけど……お前、もっと食べた方がいいと思うんだ」
騎士団員は城の食堂で昼食を取っており、カートはアーノルドとその取り巻きに混じって最近はよく一緒に食べていた。
「保護者にも言われるのですが、僕って食べる量が少ないですか?」
「少ないと思う……俺は嫌いで食べられない物が多いけど、カートはそうじゃないだろう? 俺の十歳の妹より少ないのはおかしいと思う」
おかしいとまで言われて、少年は困惑した。
騎士になる以前の普段の食事は、酒場の手伝い中にちょっとした賄いや、余り物を立ったままつまむ程度で、自分がどれくらいの分量を食べているのか把握していなくて。
きちんと座って食べられる時は育ての母エリザが横に立ち、少しでもマナーが悪いとぴしゃりとやられており、正直なところ食べる事より、所作の事ばかり気にしていた。兵士の訓練所では休憩時間が短く、適当にかきこんで。
ピアと暮らすようになってからも、彼とその日の出来事を話す事が食事よりも楽しくて、食べる事は疎かになっていた気がする。
考えこんだカートを、細身の少年は心配そうに見る。
「まだまだ忙しくなるって聞くしさ、体力つけていこうぜ、お互い」
「ええ、そうですね。本当に」
団長室で、この日の仕事の指示を受ける。カートは病み上がりという事で、一人だけ図書室での資料整理を割り振られた。少年はそれがなんとも恥ずかしく感じて。
体力を付けなければと、昼食はいつもより意識して多めに食べる。細身の少年が、自身が嫌いで食べられないブロッコリーを、せっせとカートの皿に運んだこともあり、少年は自分が考えていた以上に食べてしまい。
具合を悪くした。
「うう……」
「大丈夫か、おまえ」
アーノルドが、お前バカか? と言わんばかりの口調で、細い目を更に細めて、それでも心配をしてくれる。
「気持ち悪いです……」
「食べすぎだ。医務室で胃薬をもらおう」
そばかすの金髪巻き毛の少年に支えられるようにして、二人は医務室に向かう。医務室には眼鏡の医師、ダグラスがいた。
「おや、カート君じゃないか。また具合が?」
「このどんくさ野郎は、ただの食べ過ぎです先生」
アーノルドの辛辣な説明に、医師は笑う。
「寝込んでそう日が経ってないから、胃腸が驚いたのだろう。少し休んでいくかい?」
「いえ、お薬だけいただけますか……」
口を押えて、必死に胸やけと戦っている。しかしその顔は蒼白になっていて、アーノルドを心配させた。
「休んだ方がいいぞ、おまえ」
「そうだね、薬が効くまでは大人しくした方が良いし」
「すみません、じゃあ少しお世話になります」
アーノルドは先に戻ると言って医務室から出ていき、部屋にはダグラスとカートの二人だけになった。
もらった苦い薬を少年は飲む。
「苦いだろう? でもよく効くから」
「はい……」
頑張って薬を飲み込む。
苦いが清涼感があり、少し気持ち悪さは収まった。
「服を緩めた方がいい」
「あ、はい」
ダグラスが少年の制服に手をかける。
「自分で、やり……」
「……」
ダグラスは無言で少年の制服を緩めて行く。さすがは医師といったところだろうか、その手際が良く……?
少年は不意にその体を、ベッドに向けて押し倒された。
とさりと、身体が横たわる。
「あ、あれ……?」
手足がしびれたように、動かない。
医師は優し気な微笑を崩さず、少年の頭を挟むようにその両腕を立て、覆いかぶさるように、影を少年に落とした。
「カート君」
「はい……あの? 先生……?」
「君は、自分のご両親を知っているだろうか?」
「え、両親? 父と母ですか?」
何故、両親の事を聞かれるのかわからずカートは混乱した。
医師は少年の顔を覗き込むように、その顔を近づける。吐息すら感じそうな距離で、少年は反射的に顔を背けようとしたが、動かない。意識ははっきりしているのに、その体は麻痺したかのよう。
「美しい……本当に美しい瞳だ……素晴らしい」
少年の、澄んだ青い瞳を見つめ、医師は酔ったような口調で口走る。
「どうしたんだい? 動けないのかな」
「は、はい……」
「薬が、効き過ぎたのかな? ただの胃腸薬と吐き気止めなのだが」
その顔が更に寄る。寄せる意味がわからない。
少年が思わず目を閉じた瞬間。
「おーい、カート!」
医務室の扉がバカッと豪快に開け放たれ、医師はぱっと少年から体を離し振り返る。カートの耳に、一瞬だが舌打ちの音が聞こえた気がした。
ずかずかとアーノルドが三人の取り巻きを連れて入って来た。
「あれ? カートどうしたんだ」
「先輩……っ」
かすれるような細い声で、少年は必死にアーノルドを呼ぶ。
医師はすっとベッドから離れ、再びいつもの微笑を
「胃薬に吐き気止めを足したのだが、どうやら効きすぎてしまったらしくてね」
アーノルドはカートを見たが衣服は緩められているというより、はだけて見えた。しかもカートは意識がはっきりしているのに身体が動かせない様子だ。
――何をやってたんだ、この医者……。
カートの目は必死に、ここにいて欲しいと訴えているように見える。
アーノルドはずかずかといつもの荒っぽい仕草でベッドに寄り、ドカっとその枕元に座り込む。
取り巻き達もそれぞれ、近くの丸椅子を引いて座り込んだ。
そしておもむろに、どうでもいい雑談を開始する。
医師は鼻から溜息をもらし、諦めたような様子を見せた。
「友人達がいてくれるなら安心だな。私は少し席を外さねばならないから、君達、すまないが彼を診ていてくれたまえ。具合が良くなれば帰ってもらって構わないから」
そう言うと、医務室の外、扉の向こうに消えて行った。
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