第二章 欠ける月の沈黙

第1話 人形遣い


 久しぶりの三人の夕食。


 カートを心配し早めの帰宅をしたピアであったが、少年の熱は下がっていたし、予想外に二人の仲が改善しており、かすかに今度はフィーネの方がカートと距離を取ろうとしているように感じはしたが、それぐらいが二人にはちょうど良いのかもしれないと安堵する。


 ピア的にはフィーネとカートは年の差こそあれど、それなりにお似合いなのではないかという気もして、このままもっと仲良くなり彼女がピアとの結婚を諦めてくれたらなお良いと、自分の都合の良い方に考えていたりも。


「ピアさん、お仕事の方はどうですか」

「新しい宰相が決まるまでは、このままだろうなあ。その選挙もなかなか前途多難だ」

「選挙自体、反対している貴族たちがいると聞きました」

「まあ、反対するだろうな。実力主義になれば振り落とされるような奴らは特に」


 貴族という安寧の地位に胡坐をかくだけの無能者は多い。しかし精霊の声を捨てると決めたこの国にはもう、無能者を無能なまま養う余裕はないのだ。

 精霊の声を捨てる事自体への反対派も多くて、種を残すならそれを植えるべきだとも、年齢性別身分を問わず精霊の声を聞ける者を探すべきだと。

 疲れきった溜息が漏れる。


 家で仕事の話はしたくはないから、黒髪の青年は話題を大きく転換させることにしたが、ピアが振る話題のバリエーションは少ない。


「ところで、カートはまだ気になるは出来ないのか?」

「なんでいきなり、そんな」


 狼狽するカートの隣で、フィーネは興味がなさそうにシチューのジャガイモをスプーンで潰しているが耳は明らかに反応している様子。


「流石に十五歳にもなって、初恋もまだというのは、なかなかまずいぞ」

「そんな事を言われましても」

「好みのイメージぐらいは、あるだろう?どういう女の子がいいんだ」

「え、急に聞きますか、そういう事を」

「まだ、グリエルマがいいのか?」

「グリエルマって誰?」


 耳ざとくフィーネが反応し、ちょっとだけ嫉妬の香りのする、強めの口調で問うてくるが、カートはそれを気にもせず。


「女王陛下だよ。幼馴染のピアさんはともかく、フィーネは敬称でお呼びした方がいいかな」

「……陛下ってどんな人なの?」

「春の妖精という感じの人かな、ふんわりとした綺麗な人。暖かな日差しのような金髪と、春の若草のような瞳、少し幼い顔立ちで」


 少年が少しうっとりしたように語るので、フィーネは露骨に不機嫌になった。どうせ自分はボサボサ黒髪の猫目ですよ、と。


「ピアさんの初恋って、陛下なんですか?」


 思わぬ反撃が来て黒髪の青年は少し焦った表情を見せたので、フィーネはそれにも軽い嫉妬を覚えた様子。


「どうだろうな。ところで今日のシチューは美味いな」

「誤魔化しましたね?」

「あたしも、お城に行ってみたいな」


 正確に言うと、二人が気に入ってる女王陛下が見てみたい。


「遊びに行くのはダメだよ」

「むぅ……」

「人形でならいいぞ。それでボクの仕事を手伝え」

「え!? いいの?」

「ピアさん!」


 顔を輝かせるフィーネに、とがめる口調のカート。


「人形なら、カートの妹として定着しているし、問題ないだろう」

「えー……、そうでしょうか……?」


 黒い水晶木すいしょうぼくの事件の際の活躍もあり、宮廷魔導士の部屋に連れて行く事もよくあったので城内での認知度は高いし、人形であることは知られていなくて、今もカートの妹とされている。


「姉だったり妹だったりややこしいけど、何でもいいや」

「そもそも、フィーネは人形に入れるんですか? あんな事が出来る魔導士なんて、他に知りませんよ」

「食後に教える」


 何てことはない事だと、ピアは軽く言う。

 食後に彼らは人形を出して何やかんやとはじめたので、カートはその間に入浴を終え髪を拭きながら出て来ると、リビングが大騒ぎであった。


「やーん、えっ、あっ、きゃっ」

「あっ、こら! 壊れる」


 どんがらがっしゃん。


「何をやってるんですか?」

「ふえーん」


 カートの目の前にひっくり返っている少女人形。スカートが捲れ上がり下着が丸見えだったので、少年は赤面してぱっと目を逸らした。


「きゃっ」


 その態度を見て少女人形は無表情に、声だけを焦らせて慌てて飛び起きてスカートを直す。


「人形なんだから、恥ずかしがらなくてもいいだろう」

「恥ずかしい物は恥ずかしいの!」


 少年は目線を二人に戻す。フィーネの本体はソファーに横たわっており、少女人形の中にフィーネは無事に入れたようであるのだが……。


「身長が違うから目線の高さが違和感だし、触った感覚がなくて気持ち悪いのよこれ。床に立ってる気がしない!」

「すぐに慣れるさ」

「まっすぐ歩けないよぅ」


 少女人形は表情を変えないけれど声が泣きだしそうに思え、カートは彼女の両手を取り立たせた。


「僕がこのまま手を引くから、それで歩いてみたら?」

「あ、うん」


 せっかくカートが手を取ってくれているのに、手の触れる感触がなくて少し寂しいが、まっすぐに青い瞳がこちらを見て、微笑んでくれていた。

 そのままよろよろと歩く。でも手の支えがあるので転ばずに歩けるようになり、しばらくリビングを行ったり来たりしているとなんとなく感覚がつかめて来た。


「どう、一人で歩けそう?」


 少年が手を離したが、少女人形はしっかり立っていた。そのまま歩いても大丈夫。


「わかってきた!」

「フィーネは勘がいい」


 感心したようにピアが言うと、少女人形はトコトコと部屋の中を楽し気に歩き回る。時々、ぴょんぴょん飛んでみたりも。

 本を手に取ってめくったりの細かい動作も出来た。


「今夜はもう、これぐらいでいいだろう。元の体に戻りなさい」

「どうやって戻るの?」

「戻りたいと願えば」


 そう言った瞬間人形がくてっと崩れ落ち、カートが慌てて少女人形の体を支えたと同時に、フィーネが体を起こす。

 少年が少女人形をソファーに座らせていると、背後からどんがらがっしゃんと大きな音が……。


「いったぁい……、人形に慣れると、本体に戻った時の感覚が違って」


 少年が振り向くと、ひっくり返ったフィーネのスカートがめくり上がり、細く白い太ももがあらわになっていた。下着は白、細かいフリルのレースと、小さなピンクのリボンが……。

 カートは真っ赤になって固まった。少女も真っ赤になって固まった。


「何をやってるんだ、おまえらは」


 ピアがフィーネの手を取って立たせると、スカートはぱさりと降りた。

 カートは真っ赤になったままどぎまぎとしているし、フィーネも真っ赤なままでおどおどしてる。


 少年はピアと出会った時からすでに我慢強く、微笑んだり困った顔をしたり哀し気な顔をする事は多いが、大きく感情を表現する事は少ない。大声で泣きわめく事もなければ、腹を抱えて笑い転げるような事もなかった。唯一人前で悲しみの涙を見せたのは、父親であるヴィットリオとの別れの時であろうか。

 幼い頃から感情的にならないよう躾けられたのも原因であろうが、そういう感情表現の経験がとにかく乏しい。自分の感情を無意識に抑え込む癖がついていて、初恋がまだというのもそれが要因になっているようにピアには思えた。


 しかし先日、フィーネに対しては感情を爆発させ怒ったという。

 そしてあの夜、ピアに嫌いだと言いながら見せた少年の涙は感情的なものだった。


 落ち着くと元の少年に戻ってはいたが、その後甘えてきたり、フィーネに苛立ちを向けたりと感情が豊かになっているのだ。


 良くも悪くも、フィーネはカートの感情を引き出す。


 そして今、少年はひどく照れてじりじりと移動し、ピアの服の後ろを掴んで背後に隠れている。明らかに少女人形の下着を見てしまった時と態度が違い、フィーネを女の子として意識していた。


 しかしそうなると。


 フィーネは十七歳。来年にはもう結婚できる年齢だが、その育ちの特殊性から社会経験が乏しいし、対人関係も危うい。

 カートはまだ十五歳である。他人と関わる人生経験が豊富で、落着きは大人並みだが、実際の中身はというとかなり幼い気もする。


 この二人を一つ屋根の下、二人きりにし続けるというのは……。


 好奇心やその場の雰囲気だけで、大きな間違いが起こってしまうのではないかという不安がある。もう少し年齢を重ねればその間違いは大歓迎だが、さすがにまだ若すぎる。


 なるべく二人を目の届く場所に置いて、様子の変化に細やかに目を配るのが保護者としての役目だとピアは考えた。


 フィーネと向き合うのは、母と向き合う事でもある。

 ピアの心に複雑な感情はあるが、もう逃げてはいけないと思った。


 いつも簡単に諦めてしまう自分の悪い癖。かつては足の怪我もそのままに、人形を使う方に逃げた。グリエルマの事も、親友の気持ちを知って諦めた。処刑として対峙した黒い水晶木すいしょうぼくの戦いでは、命すら容易に諦めそうになって……。


 カートの責任感と優しい性格に、甘えていた事を自嘲する。


 自分は少年を導く立場のはずだ。忙しさにかまけている場合ではない。彼が立派な大人になるまで、そしてフィーネに本当の幸せを教える事も自分の仕事だと、ピアは決意を新たにした。


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