第4話 過労


「とりあえず、カートを連れ戻すから、フィーネは先に寝なさい」

「でも」


「今日はもう顔を合わせない方がいい。明日の朝、謝るように」

「わかった……」


 ピアは少女がうつむいて、落ち込みながら階段を登って行くのを見送ってから、家の裏の厩に向かう。


「何処まで行ってしまっただろう。カルディアなら、カートの居場所がわかるだろうか?」


 少年の友人ともいえる黒い馬は、犬にするような期待をされて少し困った感じで鼻を鳴らしたが、手綱を引くと素直について来た。鞍はおかずに引いて行くにする。


 二階の窓からその様子を見ていたフィーネは、自分が折ってしまった櫛を机の上に置く。作りの良い、透かし彫りが綺麗な木の櫛。

 ピアから借りた本を数冊取り出し、壊れた物の修復の魔法を探し始める。


 ピアはカルディアと共に少年の姿を探し求める。人通りはなく静かな月の夜で、目が慣れるとうっすらと明るい。

 街の方へは、行っていない気がした。あの傷まみれの様子を考えると人目は避けている気がして。


 公園に入るとカルディアが方向を変えてピアをグイっと引いたので、魔導士は馬の指示に従ってその方向に歩み出す。


 暗い公園のベンチで、少年が地面を見つめるように座っているのが見えたから、簡単に見つかった事に安堵する。


「カート、家に帰ろう」


 少年はすっと顔を上げたが、その青い瞳には涙がたくさん溜まっており、瞬き一つで溢れだしそうになっていた。


「ピアさん、ごめんなさい」

「どうした、何を謝る」


 ピアもベンチの横に座って少年の肩に手を置き、引き寄せる。


「仕事で疲れてるのに、こんな」

「おまえが言った通り、ボクが悪いからな」

「ごめんなさい……」


 少年がピアの肩に額をつけるようにしたので、肩を抱く手に少し力を込めると、カートはすりすりと甘えるそぶりを見せる。これも少年にしては珍しい行動だ。


「フィーネはもう、あんなことはしないと約束したから。明日の朝、謝りに来ると思う」

「……はい」


 謝られても許せる自信はなかったが、ピアにこれ以上心配させないようそう返事するしかなく、そしてカートがそういう気持ちで返事をした事をピアも感じ取った。


「随分冷え込んで来てる。そんな薄着では風邪をひくから、もう帰ろう。傷も治さないとな」

「はい」


 ピアとカートが同時に立ち上がると、黒馬がカートに心配そうに顔を寄せて来た。


「ごめんね、おまえも心配してくれたんだ」




 帰宅した黒髪の魔導士はカートをソファーに座らせると、その顔についたひっかき傷から治癒魔法をかける。少年はそれを素直に受け入れて、治療が済むまで大人しく目を閉じている。


「随分ひどくやられたな」

「野良猫みたいでした」

「野良猫か、それはいい」

 

 ピアが笑ったので、カートもつられて少し笑う。

 その後自室に戻る少年を見送ったピアだったが、嫌な予感がした。



 翌朝、その悪い予感は的中しカートは熱を出していた。心の限界まで我慢してしまう辛抱強さに、いつも体の方がついてこれず肉体が悲鳴を上げた結果の発熱。

 頑張った様子で起きては来たが、ピアに促されると素直にソファーに横たわり毛布をかけられて大人しくしている。


 ピアは城に出なければいけないし、少年の精神疲労の原因であるフィーネに看病をさせると、更に悪化しそうだしで。


「カート、城まで行けそうか?」

「はい」

「おまえは、こういう発熱をする事が多いから、ちゃんとした医者に一度診てもらおう」

「……はい」


 少年は身を起こすと、なんとか自室に戻って騎士の制服に着替え、再びリビングまで降りて来たが、辛そうに再度ソファーに崩れ落ちてしまい、続けて珍しくフィーネが自分で起床し階段を降りて来たのだが、ぐったりとしているカートを見て驚いた表情をして駆け寄って来た。


「カートどうしたの、しんどいの?」

「……うん」


 もう少年は彼女と目を合わせないし、敬語も使わないと決めたようだった。


「昨日はごめんね、あんなことをして。絶対なお……」

「もういいよ、だからあっち行って」


 彼女の言葉を遮ると目を閉じ、毛布を頭から被ってしまった。あんなに優しかった少年に露骨に拒絶された事で少女はぎゅっと胸がつぶれる感覚を受けるが、ピアに手を引かれ大人しく台所に向かうしかなく。


 いつも食事の準備をしているカートがあの様子なので、食卓の皿には適当にカットされたパンがドカっと置かれているだけの簡素なもの。


「フィーネ」

「なあに、ピア」


「しばらく、家の事をやってもらえるか?」

「家の事?」


「掃除とか洗濯とか料理とか」

「できるよ」


 チラっとカートの方の様子を見る。一応、彼がやっていたことは一通り後ろで見てはいた。手伝おうか? と言いかけて、何度もやめてしまっていたのだが。

 実家では自己流だがフィーネが全ての家事をやっていたから、大抵の事はこなせる自信はある。


「騎士団の仕事も忙しくなっているし、カートを休ませてやりたい。だから、家の事はフィーネに頼む」

「うん! やるよ。これも花嫁修業ってやつよね」

「ま、……まあそうだな」


 それがカートへの贖罪になるとも思ったのか、今までになく彼女は素直だ。


 出かける準備を終えたピアが、ソファーでまどろんでいた少年を起こすと、肩を貸して支えるように手配して置いた馬車に乗り込み、共に城に向かった。



 城に到着して即、少年は医務室に連れて行かれる。


 医務室には専属の医師が数人いて、この日の担当はこげ茶の肩までの髪を後ろで小さく結んだダグラスという名の男性医師で、知的に見える銀縁の眼鏡をかけている。瞳も髪と同じ色をしていた。年齢は四十を過ぎたところで、治癒魔法の心得もある優秀で気さくな人物だ。国外での留学経験もある、貴重な人材でもあった。


「おや、どうしました」

「この子なんだが、今朝から熱があって」


「こんな状態で、城まで出て来たんですか」

「家に置いておけない理由がね」


「なるほど。わかりました、お預かりしますね」

「よろしく頼む、あとで様子を見に来るよ」


 ピアが医務室から出て行くのを見送ると、ダグラスはカートの手を取り、医務室の奥に数台あるベッドの一つに少年を誘うと、寝るのには不向きな制服を脱がせる。


 少年は随分と辛そうで、ここまで来るという無理をした事もあり、熱は更に悪化して高くなっていた。もう喋るのも難しいようで、ダグラスの呼びかけに目を閉じたまま頷くか首を振るかの応答しかできない。


 熱さましの薬と水を飲ませてもらい、ベッドで横になったがとにかく倦怠感がひどく、まどろむと悪夢を見てうなされた。

 医師はそんな少年の様子を何度も見に来ていたが、少年の顔立ちに思う所があるようで、カートの騎士団員としての登録時の書類を取り寄せ、いぶかし気にそれを見る。



 夕方になりピアがカートの様子を見に来たので、ダグラスは書いていたカルテから目線を上げる。


「どうだろう」

「まだ下がってませんね。移動が負担になりますし、今夜はこちらで預かりましょう」


「今は……眠ってるのかな」

「随分うなされて、可哀相なほどですよ。ひどく疲労してるようですし、頑丈な方ではないようですね。特別どこか悪いという所見は、見当たりませんが」

「そうか」


「彼……家族はいないのですか」

「両親共に亡くなっている」

「もしかして、カート君はフェリス家にゆかりがあったりは?」

「何故、そのように?」


「いえ、何でもありません。少し気になったものですから」

「騎士という身分だが、あいにく彼は庶民出身だな」


 医師の口から先代女王の家の名前が出た事に驚きつつも、涼しい顔で何事もないように反応するピアに「ではそういうことで」と言いながら、医師は微笑みを向ける。思わせぶりな態度に魔導士は鼻白んだ。


――先代女王の顔を知っているのか、この男もしかして。


 カートが先代女王の遺児であることがわかっても、それほど問題があるわけではなかったが、少年はこれからもカート・サージアントとして生きていきたいと言っていたのだ。その気持ちを汲んでやりたいピアは、沈黙を守る事にしている。



 ピアが一人で帰宅すると、玄関まで飛び出すようにフィーネが出迎えて来る。


「あれ? カートは」

「熱が下がらなくてどうしようもないから、医務室で今夜は休ませる事になった」


「そんなにひどいの?」

「過労だそうだ」


「あたしの、せいだよね」

「まあ、そうだろうな」


 しょんぼりとしたフィーネを見るのも辛いが、反省して態度を改めてもらわないとピアも困るから、やさしい言葉をかけたりはしなかった。


「フィーネ。カートを好きになってもいいんだぞ?」

「えっ、あたしはピアの婚約者だよ!」


「それは母が決めた事だ。母の意思や意図なんて無視してしまえ。好きな人を作って、好きな人と結婚するのが一番いい。フィーネは母の人形じゃないだろう? 自分の意思で決めるんだ」

「ピアの事、大好きだよ!」


 必死の表情で訴えてくる少女に、ピアは困ったような顔をして、フィーネの頭を撫でる。殊更ことさらの子ども扱いをする事で、彼女にわかってもらいたかった。

 母親の支配の糸から、逃れて欲しいのだ。


「兄としての好きだったら、嬉しいよ」


 それだけ言うと、書庫の方に向かって行った。


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