第3話 諍い


 カートは手早く制服に着替え、剣をいて階段を降りてきた。


 フィーネは、今度は本から顔を上げて少年を見る。


 か細くて貧弱そうな少年だったのに、騎士団員のカチッと型が出来ている制服を纏うととてつもなく凛々しく見えて、少女は驚いてしまった。金茶の髪に緑の制服という色の対比もとても合っているのだ。


 女の子と見まごうばかりの綺麗な顔の男の子だったから、儚いぐらい弱々しく見えて彼女は思いっきり蔑んでいたのだが、騎士姿の彼は年下とは思えない落着きがあり、美しいほどの仕草が格好良く彼女は思わず息を飲んで見とれる。

 そんな呆けるような彼女を、怪訝な顔で少年は見た。


「僕、これから仕事なんです。フィーネさんはどうされますか」

「家で本を読んでる」

「お昼に戻るのは難しいので、昼食は朝の残りを食べてもらえます?」

「わかった」

「じゃあ行ってきますね」


 家を出て、玄関扉を閉めるとほっと息がつけた。

 気を使ってずっと緊張していたのだ。

 まだ朝なのにすごく疲れている。


 何故こんなにも彼女に気を使ってしまうのかわからないが、とにかくピアの期待には応えたいから頑張るつもり。

 騎士としての仕事も忙しいが、家にいるより気楽に思える。再び溜息をついて家の裏手にまわり、愛馬の手綱を取った。



 少年が門扉を潜るのを窓から少女は見送りながら、彼女は自分の母親の事を思い出していた。

 窓際に座りずっと外を見て、二度と来る事のない父が迎えに来るのを待っていた母。「わたくしはこんなに頑張っているのに、どうして?」が彼女の口癖。

 時々思い出したようにフィーネを呼び、これまた口癖のように繰り返す。「あなたがピアと結婚すれば、みんなが幸せになれるのよ」と。

 近所の人が差し入れてくれる僅かな食事を、彼女は自分は食べずに母に与えていた。そうしないと母が死んでしまうと思ったから。


 ピアが宮廷魔導士の地位に就いたという情報が彼女の街に届き、同時に綺麗な男の子と同居しているという噂も近所の人から聞いた。母が顔色を変えて、急いで手紙をしたためていた。その内容をフィーネは知らない。


 だがすぐに、彼女の王都行きが手配され、母は気候の良い高原の療養所に入所する事になった。


 療養所に向かう母は、見送るフィーネを一度も見なかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 それから毎日、カートは緊張しつつも彼女との生活を無難に送っていたのだが、ピアは多忙を極め、滅多に家に戻る事がなくなってしまい、城で出会えば彼女の事を報告はするものの、フィーネの日常の問題はすべてカートが抱える事になってしまった。

 

 休みの日に彼女を商店街に連れ出し、下着や服を補充して、道順を教え、町中でやってはいけない事等、彼が教えられる範囲の事は教える。そんなカートを無視したり、言う事を聞かなかったりで、とにかく苦労は絶えないが、それでも何とかこなす。これは絶対、自分のやる事ではないと思いながらも、とにかくピアのために必死に。


 努力の成果は少しずつ出始め、彼女は食事のマナーについては見られるようになってきた。


 だが。


 彼女の少年への態度は粗雑で乱暴そのもの、益々悪化してるようにも思われた。カートはフィーネに気を使うが、フィーネはカートに気を使わない。時々彼がカチンと来るような物言いをする事もあれば、嫌味を言い、煽って来る事すらあった。


「フィーネさん、それはダメです。ちゃんとしてください」

「あなたチビだけど、声も小さいのね」

「そんな事、今は関係ないでしょう!」

「あーあ、ピアならもっと上手に教えてくれるのになあ」


 それでも彼は辛抱強く、彼女に付き合い続ける。そんな毎日をなんとかやり過ごしていたのだが、フィーネがこの家に来て三週間目に事件は起こった。


 

 フィーネの髪のボサボサ具合がずっと気になっていたのだが、彼女は髪を全くかしていなかったようだ。この国に少ないせっかくの黒髪だったし、今は亡き育ての母と同じ色である。このままでは勿体ないと、少年は思った。女性用の櫛は……カートの手元に、そのエリザの物がある。


 今まで私物を貸した事はない。でも良い関係とは言えないものの、この生活に慣れて来た事もあって、新しい物を買うまでの一時しのぎにと、彼は引き出しからそれを取り出すと、彼女の部屋に向かい、軽くノックをして返事を待ってから扉を開ける。


「なあに?」

「次の休みの買い物まで、この櫛を使っていてください。黒髪はくと、艶が出てすごく綺麗になりますよ」


 彼女はその櫛を無言で受け取り、しばしそれを見ていた。

 とりあえず用件は終わったと彼が扉に体を向けた瞬間、その背後からバキッという音が。

 振り返ると、彼女がその櫛を二つに折って床に投げ捨てる所だった。


 少年の頭が真っ白になる。


 と同時に。


 心が折れた。


「どうしてなんだよ……! 何で、こんな事をするんだよ!!」


 敬語は吹き飛んで、今までかつて出した事がないほどの大声で、カートは叫んで、彼女の元に駆け寄るとフィーネの胸倉をつかんだ。


「こんなものいらないし、押し付けないでよ!」

「じゃあ普通に返せばいい! 壊す必要なんて、どこにあるんだっ」

「気に入らないからよ」

「貸しただけだ、あげたわけじゃない」

 

 フィーネはカートに胸倉をつかまれているのが気に食わなくて、カートの頬をパシッと音が鳴る程度に強く打った。


「やったな、こいつ」


 少年がこんなふうに、怒りに我を忘れたのは初めての事だった。同年齢の友人とさえもこんなケンカをした事がないのに、あろうことか女の子と、取っ組み合いを始めてしまったのだ。

 それでも彼には自制心が残っていて、彼女に手を上げる事はない。暴れる彼女を抑え込もうとするだけだ。だが遠慮の欠片もない相手は、ひっかく、再び平手打ちをし、蹴って、殴る、あげくは噛みついて来た。


 なんとか彼女をベッドの上に組み伏せた時、カートは傷まみれで、お互い、息が上がっていた。

 傍目には、少年が少女を襲って、激しい抵抗にあったような見た目だが、加害者は少女で、少年は被害者側である。


 カートの心中はぐちゃぐちゃだった。

 ピアの期待に応えたかった。

 そのために出来る事は、精一杯頑張ったつもりだ。

 少しは仲良くできるかもと思った矢先に、この出来事である。


「何なんだよ……! 本当に、どうしたら良かったっていうんだよ!」


 とにかく辛く、苦しい。なぜだか哀しみの涙がこみ上げて来るが、こいつの前で泣いてたまるかと、気力とプライドで押し返す。


 少女が抵抗をやめたので、少年は抑え込んでいた手を離し、肩でしばし息をしていたが、きゅっと唇を噛むと、部屋から飛び出して行く。


 そして階段を駆け下りた所で家主が遅い帰宅をして来て、家に入って来たピアに少年は立ち止まり損ねて勢いよくぶつかった。


「カート!?」


 ぶつかってきた傷まみれの少年の姿に、金色の瞳が見開かれる。


「どうしたんだその怪我は、こっちに来なさい治すから」

「嫌ですっ!」


「カート?」

「もう何もかも嫌です、何で僕がこんな目に合うんですか? 全部、ピアさんのせいじゃないですか! ピアさんなんて、大嫌いです!」


 彼の顔を見た瞬間に、我慢していた涙が噴き出して。

 少年はピアを突き飛ばすと玄関の外に駆けだして行く。


「カート!」


 その声に振り向かないまま、少年の後ろ姿は闇夜に消え、茫然とそれを見ているとコトンと階段から音がし、振り返るとフィーネがそこにいた。


「何があったんだ」


 少女は、折れた櫛をピアに差し出す。


「これを折ったら、いきなりあいつが怒った」

「これは、カートの母親の形見じゃないか」

「形見?」


 ピアは大きく溜息をつく。


「どうしてフィーネは、カートが嫌がることばかり言ったりやったりするんだ?」

「……あいつが……」


 フィーネの顔もくしゃっと崩れて、涙が溢れだした。


「……どこまで許してくれるのか……知りたくて」


 カートにとってフィーネが初めて会うタイプだったのと同様に、フィーネにとっても、カートは初めて会うタイプ。優しくされて、我儘も聞いてくれる。構ってくれるのが嬉しくて、反応を返してくれるのが楽しくて、どこまで付き合ってくれるのか、興味が沸いて。


 それと理由はもうひとつ……。


「あたしは、ピアのお嫁さんになるのに、あいつが、時々、かっこいいから、好きになったら、困るから、それで」


 えぐえぐと泣きながら、途切れ途切れにこのような事を口走る物だから、ピアは最大の失敗に気付く。姉と弟のようにとは言ったものの、年頃の多感な少年少女である。


 だが今はとにかく、外に飛び出したカートの事。少年があんな態度をピアに向けるのも初めてだった事も気がかりであるし、日は落ちて真っ暗だ。男の子で騎士と言っても、丸腰での夜の街は安全とは限らない。


 落ち着けば戻ってくるかもしれないが、もしや帰ってこないのではないかという不安も、ピアの胸中に満ちた。


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