第2話 姉と弟
重量級の話を聞かされて、短い金茶の髪の明るさがくすむ程、少年は憔悴した顔をしたが、ピアはそれ以上に疲れ切っている様子である。
母親や親族の事はもう諦めていて、彼らの命令を聞くつもりはないが、このように育てられてしまったフィーネは被害者であるという意識があり、無下には出来ないといった所であろうか。
痩せて、手入れのされていない髪を見るに、彼女は大切に育てられたとは言い難い様子でもあった。
むしろ放置される虐待……とも思える。
「彼女、もしかしてこれから、この家に住むのですか?」
「母と引き離すには、良い機会だと思ったんだ。もっと早く、そうすべきだったのかもしれない。カートにはすまないが、姉とでも思って接して欲しい」
カートは、ふぅと大きく息を吐く。こんな偉そうな姉は欲しくないが、ピアのためだと思えば仕方ないという気持ちで諦める。
「とりあえず、フィーネさんの部屋を準備してきますね」
「すまない、相談もなく」
眠ってる彼女に毛布をかけてから少年は二階に上がり、どの部屋を整えるか考える。四部屋あるうちの一番手前の部屋はカートが、その向かいを今はピアが使っている。そうなると奥の部屋であるが、自分の隣はなんだか嫌だなと思って、ピアの隣にした。
簡単に掃除をし、ベッドを整える。
最後に小さな硝子瓶に、庭で摘んだ花を生けた。
彼女は移動の疲れもあったのか魔法が効きすぎる体質なのか、随分長く眠っていて。
目覚めたのはカートの作る夕食の美味しそうな香りに惹かれて。
「あ、起きましたね。晩ご飯ができてますよ」
少女は少年に促されて椅子に腰かけ目の前の食事を見ると、間髪を入れずに、まるで動物のような仕草で食べ始めピアとカート驚かせた。マナーどころか、人としての食べ方からも遠い。スプーンを持たず、直接顔を皿に突っ込むような食べ方だ。
しかも今まで何も食べていなかったのかと言わんばかりに、ひたすらむさぼる。
病んだ母親が娘をどのように育てたのか。いや育てたと言えるのだろうか。貴族ではあるが今は没落し、使用人も雇えないような貧しい家だと聞いてはいた。近所の人や元使用人に支えられて、辛うじて幼い娘は死なずに済んだようだが。
母とはもう関わりたくはないと、幼い妹がいると知っていながら疎遠にしたのはピア自身ではあるが、面倒な事を後回しにするその性格が彼女をこんなふうにしてしまったという自責の念。
知ろうと思えば知る事が出来、助けようと思えば助ける事が出来たはずなのに。
徹底的にマナーを叩きこまれて育ったカートは、フィーネのその姿に蒼白になっている。まるで別の生き物を見るかのよう。
「あの、フィーネさん。その食べ方はちょっと、ダメだと思います」
そう声をかけただけなのに、野生動物が獲物を奪われまいとするかのように、彼女は食事を腕で引き寄せ隠し少年を睨んだ。これまで一体、どういう生活をしていたのか。
「カート、すまないが、妹に色々と教えてやってくれないか」
「僕が、ですか?」
少年は目を見開いて驚いた。
できるなら、ピアが責任を持って対処すべき家族の問題である。しかし今のピアは多忙を極めていた。後任の宰相を民間から募り選挙で決める、という骨子が決まってはいるものの、選挙というものがどういうものかをやっと周知したところで地方の選挙すらこれからだ。
新しい宰相が選出されるまでの期間、宰相の仕事は宮廷魔導士のピアが行う事になっている。今まで精霊に聞けば済んだ事がすべて、調査からはじめなければならない事も多数あり、まさに目が回る忙しさ。家に帰れない日もちらちらとあった。
カートはしばし逡巡したが、一緒に暮らすようになって初めて、ピアが自分を頼ってくれたのだ。その信頼に応えたいとも思う。
「わかりました」
食後にカートはお風呂の使い方をフィーネに教え、入浴をしてもらっている間に洗い物をこなし、お風呂から出た彼女を部屋に案内する。
彼女は着替えを何も持っていなかったので、とりあえずはピアのシャツを寝間着用に渡していた。サイズ的には自分の物が合うのだろうが、彼女に貸すのは何となく嫌で。
昼間は散々な態度だった彼女もお腹がいっぱいになったせいか、最初の攻撃的な態度は少し緩んでいる気がした。
「カートだっけ?」
「はい」
「ピアの好きな人ってあなた?」
「違います」
即答した。さすがに恋敵として扱われてはたまらない。
「あなたはピアが好きなの?」
「恋愛感情はないですよ。でも好きですね。尊敬しています」
「ふぅん」
「明日は、朝ごはんが出来たら起こしに来ますから、ゆっくり休んでくださいね」
少年は彼女の返事を待たず、逃げるようにその部屋を後にした。
少女はごろんとベッドに転がる。
清潔なシーツ。石鹸の香りがする自分。
枕元の机に、小瓶に生けられた可愛い花。
食事はとてもおいしかった。
――ああ、これが母様が言ってた”しあわせ”なんだ。
幼い頃から思い描いていた幸せの具現化した姿が、今ここに在るという実感を得て、彼女は幸福感を噛みしめるように枕に顔をうずめると、枕からも、心地良いハーブの香りがして、その気持ちよさから、昼間あんなに寝たはずなのに、簡単に安堵の眠りに落ちて行った。
フィーネに対して、カートはどういう態度で挑むべきなのか、掴みあぐねている。今まで彼の周囲にいた事のないタイプ。
とりあえず教えるべきは、食事のマナーからだというのは感じ取っていたが。
翌朝ピアは魔導士の会合が地方の町であるという事で早くに出かけてしまい、家にはカートとフィーネの二人が残っている。
「フィーネさん、朝ごはんが出来ました」
ノックをしてかけた声に返事はないが、ゴソゴソという物音がしたので、少年は一階に降りて行く。ややあって、彼女は欠伸をしながら階段を降りて来た。
そして食卓に向かって座ると同時に、彼女は夕べと同様わしわしと手づかみで食べ始めカートが止める間もない。
「フィ、フィーネさん、あの」
返事もせずにがつがつと食べ続ける。
「フィーネさんってば!」
「ひゃにほ?」
「もう少し、落ち着いて食べませんか。誰も取りませんよ」
少女は手を止め、自分の前の皿を見る。フワフワのバター入りのスクランブルエッグ、新鮮な緑と赤い野菜、ソーセージは香ばしく焼かれ、添えられたふっくらした柔らかいパン。煮込まれた野菜が溶け込んだスープ。彩りも良く量もたくさん盛られていた。
「よく噛んで食べないと、身体に悪いです。おかわりもありますし、今日は特に美味しくできてるから味わって欲しいです」
マナー以前の問題で、まずは彼女の食べ物への執着心から対応しなければならない気がした。
カートが兵士の訓練所で出会った同世代にも、提供される昼食の時間にやたらと必死に食べる子はいた。それらはみんな貧しい家の子か、孤児院の子である。豊かで平和なこの国にも貧富の差はあって、どうしても家で食事が満足に取れない子供達が出てしまうのだ。
騎士団が貴族の跡取りになれない子弟の受け皿になったように、民間からの一般兵というのは、貧しい家庭の子らの受け皿的な要素もあったので、訓練所に通えばそういう子を見かける事は多くある。
それでも彼女レベルの子はいなかったように思うが。
フィーネはその金色の瞳を上目遣いに、少年を見た。
「おまえ、口うるさい」
「僕は、あなたのために」
「あたしのためって、何よ」
「……っ、ピアさんの妻になるというなら、花嫁修業とでも思ってくださいっ。お嬢様やお姫様は、ゆっくり食べますから」
「むぅ……」
カートは溜息をついた。これは中々しんどいな、と。
やっと少年は自分の食事を始める。スープは少し冷めてしまった。
フィーネはじっと、少年のその所作を眺めた。
そして、その真似をしはじめたので、カートは「おや?」と思う。
ぎこちないが、きちんとスプーンを持って、ゆっくりとスープを飲みはじめたのだ。
――本当に、知らないだけ。わからないだけなのか。
食後、カートが食器を洗い終えリビングに行くと、彼女はピアが卓上に置きっぱなしにしていた本を開いていた。
目線は本に落としたまま、彼女は口を開く。
「あたし、あなたの事、どう扱えばいいの」
「ピアさんに、あなたの事を姉と思うようにと言われています。なのでフィーネさんは僕を弟と思ってください」
「……弟。うん、わかった」
兄を結婚する対象として見ている彼女にとって、弟がどういう存在なのかはわからないが、使用人と扱われても癪だし、ピアの恋人と思われても困るし。とりあえずは、姉と弟という形で、関係を築いていこうと思ったのだ。
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