第10話 供物 その二
翼ある狼の姿に戻ったマルコシアスの背中にまたがり、龍郎は出立した。
自宅の前で手をふり見送る清美や穂村、ガマ仙人の姿がグニャグニャとゆがんで見えなくなる。
現実を離れ、異空間へ飛翔するときの感覚。
暗闇が周囲を覆う。
波状に何かが輪になり通りすぎる。その瞬間だけ、遠くのほうに宇宙の星くずが見えた。
「龍郎」
吠えるように、マルコシアスが話しかけてくる。
「うん。なんだ?」
「ルリム=シャイコースは強いぞ。あらゆる魔術を使いこなすと言われる」
「そうか」
「おまえにできるとしたら、色仕掛けだな。ルリム=シャイコースはおまえに気があるようだから。油断させて寝首をかくんだ」
「いや、それは……」
龍郎が困っていると、マルコシアスはガウガウと狼の声で笑った。
「できないか?」
「うん。たぶん」
「できないだろうな。おまえは、アイツと同じ匂いがする」
「アイツ?」
たずねたが、マルコシアスはそれには答えなかった。
かわりに、昔語りを始める。
「私が座天使だったころ、神の密命を帯びたアスモデウスを、私はつれていった。私は神の戦車だったから」
龍郎はハッとした。
それについてはずっと気になっていた。アスモデウスが堕天したことにも影響があるのではないかと思う。いや、むしろ、すべてはそこから始まっている。
「教えてくれないか? その密命で何が起こったんだ? アスモデウスの身に何かがあったんだろ? アスモデウスはミカエルにもナイショにしていたけど」
「それは……私の口からは言えない。ただ、言えるのは、おまえでなければ彼女を救えないということだ」
「おれが?」
「そう。あの邪神の呪縛を解けるのは、真に彼女を愛する者だけだ」
マルコシアスはこうも言った。
「アスモデウスは神から、あの邪神へ供物として捧げられたのだと思う」と。
「供物?」
「そう」
「誰に捧げられた?」
「それは言葉にできぬ神だ」
「なんのために?」
「万物のありかたを変えるため。でなくば、すべての宇宙はやがて消滅する」
「なぜ?」
「さあ。なぜかな」
それきり、マルコシアスは沈黙する。
龍郎は思いきって、聞いてみた。
「マルコシアス。おまえも、アスモデウスを愛しているんだろう?」
「もちろん」
「おまえでは救えないのか?」
「残念ながら、私の言葉では届かない」
じゃあ、誰の言葉なら届くんだと聞きたかった。が、それを問いただす時間はもうなかった。前方が赤く染まっている。宇宙にひろがるガス雲だ。
「龍郎。ルリム=シャイコースの世界へ入るぞ」
「うん。行ってくれ」
しっかりマルコシアスの獣毛をつかみ、姿勢を低くする。マルコシアスはまっすぐ、ガス雲の中心へつっこんでいった。ガラスのくだけるような衝撃とともに、世界をつきやぶる。
気がつくと、目の前にルリムがいた。
先日、フサッグァと話していたあの場所によく似た、だが、それよりもっと広い空間だ。玉座とおぼしき黄金の椅子に、足を組んで座している。とつぜん現れた龍郎を見て、ルリムは驚愕した。
「龍郎!」
「約束どおり、戻ってきた」
龍郎はマルコシアスの背中からとびおり、玉座のルリムに歩みよった。その龍郎を、ルリムは何やら上から下までながめまわす。
「……苦痛の玉を譲ったのね」
「ああ。そのつもりで出ていったんだ。あれはおれの所有物じゃない」
「…………」
さて、ルリムはどう出るだろう?
脱走して、苦痛の玉を失った龍郎を、反逆者として罰するだろうか? それとも、苦痛の玉のないあなたなんて、もういらないと興味を失うだろうか?
見つめていると、ルリムは口をひらいた。
「よく、わたしの前に戻ってこれたわね。あなた、自分の立場、わかってる?」
「もちろん、理解してる」
「フサッグァを殺したでしょ?」
「ああ。襲われたから、やらないと、おれが殺されてた」
ルリムはじっと龍郎の双眸を凝視してくる。やがて、ため息をついた。
「やっぱり、わかってない。それって、あなたがただの人間じゃないってことよ?」
それは龍郎も思わないではなかった。これまでは苦痛の玉を宿していたから悪魔を退治できたのだ。なのに、苦痛の玉がなくなってからも、それができる。あまつさえ、悪魔を浄化して、その魔力を吸収する。どれほど異常なことか、自覚はあった。
「……そうかな。まだ体内に苦痛の玉の力が残ってるせいだ。今だけだよ」と、龍郎はごまかした。
しかし、龍郎を見るルリムの目つきは、納得していないことを告げている。
「……あなたが苦痛の玉をなくしたら、ルリム=シャイコースの王である資格はないと思っていたの。だから、どこへでも好きに行けばいいと考えたんだけど、そうもいかなくなった」
「じゃあ、どうするんだ? おれを殺す?」
「いいえ。あなたは約束どおり、ルリム=シャイコースの王になるの。そしたら、勝手に出ていったことはゆるすわ」
「それって、つまり、君の夫になるってこと?」
ルリムと子ども……それは青蘭が悲しむだろうな。なんとかして、その役目を免除してもらえないだろうか——と思案していた龍郎は、ルリムの続く言葉に息を呑む。
「そう。わたしとのあいだにたくさん子どもを作る。それだけじゃない。あなたはその力で、わたしたち側の戦士になるの」
「戦士? 君たちのって……それは、誰と戦えって意味だ?」
「もちろん、天使や地の神よ。場合によっては人間と」
天使と戦う。
それは、いずれアスモデウスとして蘇る青蘭と、敵になるということだ。
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