第8話 アフーム=ザーの覚醒 その四
さけようがないほど、とつぜんだった。気がつけば、すでにまわりじゅうが火の精だ。青い炎の海に包囲されている。退魔の剣を呼びだすヒマもない。
(やられる!)
龍郎は覚悟した。
一瞬、目をとじる。
だが、いつまでたっても体が発火するような気配がない。目をあけると、たしかに全身が炎に包まれている。火の精がウンカのように鈴なりにたかっている。
それなのに、燃えていない。
(なん……だ? おれ、火の精にふれても、なんともない?)
試しにまといついてくる火の精を手ではらいおとすと、そのまま、ポロリととれて、床に落ちるまでに消えた。浄化されている。
(まさか……?)
なんとなく予感があった。
龍郎はドキドキしながら、右手をあげてみる。そして意思をこめる。暗闇をまぶしく白光が切りさいた。
(できた!)
浄化の光だ。
以前、右手に苦痛の玉があったときには自然にできていたこと。一度は失われたと思っていた力がよみがえった。
(なんで、こんなことが? だって、苦痛の玉があの力を発現させてたはず……)
なんだかわからないが、火の精にふれても燃えない。そうとわかれば、恐れる必要はない。むしろ、いい照明がわりだ。龍郎は明るくなった視界のなか、ウーリーを探して百均売り場を走りまわる。
「ウーリー!」
しかし、棚と棚のあいだをすべて確認しても、ウーリーはいなかった。やはり、火の精に追われて逃げだしたらしい。
龍郎はウーリーに電話をかけようと、スマホを操作する。その途中で、急に三階全体をゆるがすような轟音が響きわたる。これじゃ、電話どころじゃない。
龍郎は音のするほうへ走っていった。あたりはいつのまにか火の精だらけだ。視界には困らない。
「ウーリー! いないのか? ウーリー!」
走りながら叫ぶが、きっと、この声もかきけされて、ウーリーの耳には届いていない。いや、そもそも、もう三階にはいないのかもしれない。百均に近いがわの階段から階下へ逃げだしたのではないだろうか。
(でも、ここは結界のなかだ。悪魔を倒さないと現実世界には戻れない)
誰の作った結界か知らないが、おそらく、あの音源のさきには悪魔がいる。それを退治しなければ、ここに閉じこめられた人たちは誰も助からない。
さっき龍郎の眼前で燃えつきた人を思いだした。あれがウーリーでないことを願う。いや、ウーリーではなくても、あと一瞬早く自分が火の精を祓っていれば、あの人は死ななくてすんだと思うと、腹の底が怒りで焦げつきそうだ。
近づくにつれて、その轟音は、まるで壁のように圧力を感じた。ふつうなら、とっくに鼓膜がやぶれていたかもしれない。
音の源がわかった。映画館だ。防音をものともせず、突き刺さるような大音量をフロアに響かせている。
骨がふるえるほどの音の波に抗い、龍郎は映画館のドアをひらいた。
スクリーンに黒いシルエットが写しだされている。巨大な影。翼をひろげ、剣をかかげている。
龍郎はその手前を見渡した。どこかにシルエットを作るものがいるはずだ。
それは、たしかにいた。
中央あたりの座席の上に浮いている。周囲には火の精が群れ、とびかっていた。そのせいで、館内は
龍郎はその姿を見て、衝撃を受けた。三メートル以上はある身長。黒い両翼。天使だ。
だが、そのおもては……。
「ウーリー!」
少し幼く見える西洋風のおもざし。大きな黒い瞳。とび色の髪。月桂冠のような金色の冠をつけている。まちがいなく、ウーリーだ。
だが、その表情は冷淡で、昨日までいっしょに旅行していた女の子とは思えない。
「ウーリー? これは……どういうことだ?」
問いかけてから、龍郎はさらに驚愕した。
彼女の片手には剣がにぎられている。その剣の切先が狙っているのは、ヨナタンの心臓だ。
「何をするんだ!」
龍郎はあわてて走りよった。
すると、さえぎるように、ウーリーの剣先が龍郎につきつけられる。
「よるな。見ているがいい」
「ウーリー?」
「わが名はウリエル。おまえの知るわたしは仮りの姿だ」
信じがたいが、そう思えば、ウーリーにはいくつかの不審な点があった。火の精にかこまれていたのに無傷だったこと。一般人にしては、霊や悪魔に遭遇しても冷静だったこと。考古学に興味があるふりをしていたのも、龍郎たちに自然に近づく手段だったのか。
「だからって、ヨナタンに何をするつもりだ!」
「今にわかる」
龍郎に向いていた切先が、またヨナタンの上に戻る。
わずかのあいだだが、血をわけた弟のようにさえ思ったヨナタン。いっしょに釣りをして、獲物のマスを食べ、たどたどしい日本語で「ありがとう」と言われた。これから、あの家でずっといっしょに暮らすはずだった……。
「——やめろォーッ!」
剣を手に切りかかっていった。相手は天使だが、人を殺そうとしている。止めなければ。絶対に、ヨナタンは殺させない。
大きくふりかぶると、ウリエルはとびすさる。素早い。天井近くまで、いっきに浮上した。こうなると、龍郎には手の出しようがない。
「やめろ! ヨナタンを返せ!」
ヨナタンは気を失っているのか、まったく抵抗しない。片手でつかまれたまま、手足も力なくたらしている。
ウリエルは無情に剣をふりおろす——
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