第8話 アフーム=ザーの覚醒 その五



「やめろォーッ!」


 ウリエルの剣がヨナタンの胸をつらぬいた——かに見えた。


 だが、その瞬間、ヨナタンの体が発光した。目をあけていられないほど、まぶしい。


「な……なんだ?」


 手で覆い、目をかばいつつ、のぞいてみる。違う。ヨナタン自身が光っているわけじゃない。ヨナタンの全身にビッシリと火の精が集まっているのだ。まるでヨナタンを天使の剣から守ろうとするように。


 しかし、

 ヨナタンはであるはずなのに。


「ヨナタン……」


 ウリエルは剣を突きとおそうと力をこめているようだ。が、何かのバリアがその力をよせつけない。


 そのあいだにも数えきれない火の精が、ヨナタンのまわりに集まった。いや、吸いこまれている。百万、二百万……一千万か?

 とうてい少年の体内におさまるはずもないのに、次々に吸いこまれ、消えていく。そのたびに、ヨナタンの発する光が強くなる。


 やがて、ヨナタンの体が弓なりになった。激しくケイレンし、一瞬、全身の骨や臓物が青白く透けて見えた。そのあと、冷たい炎がほとばしる。


(ヨナタン……)


 発火し、燃えつきようとしてるわけではなかった。ヨナタンの体はどこも損傷していない。髪が燃えあがり、風になびく。あれでは、まるで……。


(フサッグァだ。火の精の長……)


 ウリエルが叫んだ。

「やはり、彼がアフーム=ザーだったか!」


 アフーム=ザー?

 ヨナタンが?

 すべての邪神の封印を解く鍵となる火の王。


「ヨナタンがアフーム=ザーって、どういうことなんだ?」

「世界中で火の精たちが、彼らの王を探していることには、我々も気づいていた。アフーム=ザーはヤーラク山に封印されている。そこから魂だけの存在となり、人の体に憑依しているのだ。依代よりしろは古代の力を残す巫女だ」


 依代……そうだ。

 清美も巫女だ。何度か霊に憑依された。自宅のまわりにも火の精が現れた。だから、てっきり、清美が狙われているのだと思っていた。


 だが、そうではなかったのだ。狙われていたのは、ヨナタン。ヨナタンも巫女の力を有しているから。


(そうだ。なんで気がつかなかったんだ。強力な巫女の力を持っているからこそ、ヨナタンは苦痛の玉のカケラを宿す器として、クトゥルフに見出されたんだ)


 その強い力が、アフーム=ザーを呼びよせたのか?

 それとも、もっと別の理由があるのか……。


「龍郎」と、ウリエルは言った。

「今ならば、まだ完全に覚醒していない。わたしに力を貸してくれないか?」

「イヤだ!」

「なぜ? アフーム=ザーが覚醒すれば、封印されしすべての邪神が目をさます。人類は滅ぶぞ?」

「わかってる。でも……」


 マスを釣りあげて笑っていたヨナタンが、ありがとうと涙を浮かべてつぶやいたヨナタンが、脳裏をよぎる。


 ためらう龍郎を、ウリエルが叱咤する。

「龍郎! 今しかないのだぞ。アフーム=ザーが完全に覚醒してからでは遅い。最後の審判が始まる!」


 わかっている。

 クトゥルフ一柱ですら、あれほどに大苦戦した。そんな邪神がゴロゴロ出現したら、人間世界なんて、あっけなく崩壊する。人類は誰一人として生きのびることはできないだろう。


 それでも、迷う。

 ヨナタンは憑依されている。

 だとしたら、まだ救う方法があるのではないかと。


「ヨナタン。目をさませ! アフーム=ザーの意思なんて、ふりはらえ!」

「ムチャを言うな。そんなこと人間にできるわけがないだろう?」


 ウリエルの言うとおりかもしれない。もうヨナタンのなかに、ヨナタンの心など残っていないのかも……。


「ヨナタン——!」


 龍郎は力のかぎり叫んだ。


 ウリエルは龍郎を見かぎったらしい。剣をかまえなおし、ヨナタンをつらぬこうとする。


 しかし、すでに遅かった。

 ヨナタンの目がひらく。瞳の色がわからない。青ざめた炎が両眼から吹きだしている。皮膚も白蝋のそれだ。血の色が見えない。


 輝きながら両手を広げ、ヨナタンはウリエルの拘束をふりはらう。


「ヨナタン!」


 龍郎の呼びかけなど聞こえているのかどうか。


 ヨナタンはあきらかに自らの力で空中に浮き、そのまま、天井をやぶって、まっすぐ上昇していく。みるみるうちに遠くなる。

 舌打ちをついて、ウリエルが追う。

 龍郎には、どうすることもできない。ただ見送ることしか。


 やがて、天空高く、一点の光となったヨナタンは、虚空のかなたへ飛んでいった。


 その夜、世界中で流星が見えた。ものすごい数の星が流れ、空を覆った。

 まるで何かの合図のように。

 それは人が一生涯のうちに見ることのできる、およそ最上に美しい光景だ。今後、千年も語りつがれるであろうほどの。


 龍郎のいるM市の夜空にも、青蘭のいるプラハにも、バリ島にも、ベルサイユにも、ニューヨークやベルリンにも。

 ありとあらゆる場所で、青く巨大な流星が、花火よりも華々しく尾をひいた。


 それは呼び声だ。

 目覚めよと告げる笛の音。


 どこか宇宙の深遠で、邪悪なものどもが目をひらく。

 そのときが、来る——




 了

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