第8話 アフーム=ザーの覚醒 その三



 館内の音楽がやみ、あたりは異様に静かだ。その静寂のなかに、ときおり叫び声が反響する。

 いつもは明るく楽しいふんいきのショッピングモールが、まるでお化け屋敷である。


 ほんとにただの停電なのだろうか? でも、もしそうなら、従業員が客を誘導しようとしているはずだ。火災などに際して、店員がとる行動は日ごろから訓練されている。


「ヨナタン。ようすが変だ。用心したほうがいい」

「……ヤー」


 ヨナタンは龍郎の背中にひっついてくる。以前はそれが青蘭だった。青蘭の花のような体臭を思いだす。

 別れても、離れていても、龍郎にとって、もっとも大切な存在である青蘭……。


 階段をあがる人影は、龍郎たち以外にはない。ときおり、階下へおりていく人とはすれちがうものの、誰もこの暗闇のなか、上部へ行こうとする酔狂な人間などいないのだ。


「すいません。上はどんな状態ですか? 三階に知りあいがいるんですが」

「知らんよ。とにかく真っ暗で。ここまで、やっと来れたんだ」

「そうですか。ありがとうございます」


 一階から二階へあがるあいだに出会ったのは、その人だけだった。が、二階に到着したとたんだ。ものすごい悲鳴が頭上からわきあがった。少なくとも数十人が、いっせいに叫んだようだ。


「なんだろう?」


 すると、まもなく、階上からかけおりてくる足音がこだました。わあわあ言いながら、よほどあわてている。誰かが階段からすべりおちたらしい。目の前にとつぜん、人間が降ってきた。


「大丈夫ですか! ケガは?」


 かけよると、男は三階を指さしながらつぶやく。

「化け物……化け物が……」


 やはり、そうだった。

 おかしい、おかしいとは思っていたのだ。

 ここは悪魔の結界のなかだ。電気が消えた瞬間から、龍郎たちは何者かの結界にとりこまれている。


「……大丈夫ですか? 立てますか?」


 男は返事もせずに起きあがった。心配することもなく、骨折などの大きなケガはないらしい。あとをも見ずにかけおりていく。


 そうこうするうちにも、龍郎たちの脇を大勢の男女がパニックを起こして通りすぎていく。あの調子では、また誰かがつまずいたり、うしろから押されるなどして落下してしまう。


「皆さん、落ちついてください! ここまで化け物は来ません。安心して、ゆっくりおりてください」


 龍郎の言葉も聞いているのかどうか。

 列の最後に、のろのろと歩いていく老婆がいた。足が悪いようだ。あの年なら、ふだんはエレベーターばかりで階段は使わないだろう。


「ヨナタン、あの人の手助けをして、いっしょにおりてくれるか?」


 翻訳したスマホをかざすと、ヨナタンは迷いつつも、うなずいた。


「ウーリーは必ず、おれが助けるから!」

「ビッテ(お願い)!」


 階段でヨナタンとも別れた。火の精に狙われているのは清美だから、短時間なら問題ないだろうと思ったのだ。

 かけおりてくる人々に逆走して、龍郎は一人、三階へ向かう。


 龍郎たちのいたATMコーナーに近い階段から、ウーリーがいるという百均までは館の両極だ。端と端。三階をまっすぐ、つっきって行かなければ会えない。動かないでと言ったが、悪魔がいるとなれば話は別だ。ウーリーが今もその場所にいるかどうかはわからない。


 三階はまた真っ暗闇だ。非常灯もついていない。これでは、人がいるかどうか確認しようがなかった。


 階段のすぐそばは音楽教室だ。アミューズメント広場もある。そこを通りすぎれば、フードコートだ。青蘭の好きなサーティワンやミスタードーナツ。二人でよく、ここで映画を観て、そのあとアイスやハンバーガー、たこ焼きを食べた。


 しかし、手さぐりで歩いていくのには難がある。スマホを照明がわりに少しずつ進む。

 廊下の両側に、店舗の棚や着物を着たマネキンが浮かびあがる。三階は無人のようだ。誰の姿もない。


 しかし、階段で会った男が言っていた化け物も見あたらなかった。きっと、どこかに隠れているはずだ。どんな姿をして、どんな攻撃をしてくるのか、さっきの男に聞いておけばよかった。


(悪魔なんだろうか? それとも、邪神? それだけでもわかれば……)


 この暗闇のどこかに得体の知れない魔物がひそんでいる。そう思うと、背筋を冷たいものが流れる。


 慎重に歩いていく。ようやく、百均が見えてきた。百均は背の高い棚が並んでいて、まるで迷路だ。


「ウーリー? ウーリー、いるか?」


 ささやきながら、進む。

 どこからか、かすかな物音が聞こえた。それはいつでも戦えるように神経をとぎすませていなければ聞きとれないような、ほんのわずかな息吹だ。近くに誰かがいる。


「ウーリー……?」


 とつぜん、腕をつかまれた。棚のかげに人の形のものが見える。


「ウーリーか?」


 だが、答えはなかった。

 人影がやけに明るく見えたと思うと、とつじょ、冷たい青ざめた炎に、その人は包まれた。


 火の精だ!

 目の前で人間が燃えている。

 叫び声をあげながら、その人は数瞬のうちに人の形をなくしていった。燃えつきて、くずれおちる。


 火の精がこっちに向かってくる。

 龍郎は数百の炎にかこまれた。

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