第6話 一つになるとき その三



 すると、一陣の風が広場にまきおこる。黒と赤がしまもようになって渦巻いた。


「おひさしぶりね。アンドロマリウス。何万年ぶりかしら?」


 風がやむと、そこには豪華な黒いドレスをまとった赤毛の美女が立っていた。まちがいなく、ソロモン七十二柱の一柱。魔界の女公爵グレモリーだ。


 青蘭は自分のなかの魔王がひるむのを感じた。


「グレモリー……」

「あら、再会を喜んではもらえないの?」

「なぜ、青蘭を襲う?」

「約束をたがえようとしたからよ」

「約束?」

「そう。約束」


 魔王たちの会話を聞きながら、青蘭は約束なんてしただろうかと考える。が、さっぱり思いだせない。


(グレモリーとの約束なら、魔界に行ったときに関連があるはず……)


 青蘭はグレモリーをあまり好きではなかった。最初にベルサイユ宮殿で会ったときから、なんとなく嫌われていることを感じとったからだ。自分を嫌う相手を好きにはなれない。


(そう言えば、何か約束したような? たしか、こいつ、アンドロマリウスのことを……)


 とうのアンドロマリウスは盟友の気持ちにはまったく気づいていないようだ。


「グレモリー。いくらおまえでも、青蘭を傷つけるなら、許すことはできない」

「そう。なら、倒しなさい。わたくしも本気でかかるから」


 グレモリーがサッと手をふると、その手の内にレイピアが現れる。そうだった。グレモリーはレイピアの名手だ。かなりの手練れである。単純に剣の腕前だけで言えば、龍郎より上だ。


 青蘭はあわてた。

「アンドロマリウス。グレモリーを倒せ」

「しかし……」

「まだそんなこと言ってるのか? 僕が殺されてもいいんだな?」

「それは困る。ここまで来て」


 言い争っているうちに、グレモリーはレイピアをかまえて、つっこんでくる。するどい突きだ。


「青蘭!」


 フレデリックがつきとばしてくれなければ、危なかった。かわりにフレデリックの肩口を剣がつらぬく。フレデリックはガラスの破片もその体で受けている。出血がかなりある。そのまま道路にひざをついた。


 その間、グレモリーはさらに前進して、二撃、三撃と青蘭に迫る。青蘭は剣術の心得があるわけではないし、よけるのが精一杯だ。石畳のかすかなでっぱりにつまずき、路面にころがった。すぐには立ちあがれない。


(殺される——)


 背筋を冷や汗が流れおちていく。


(こんなとき、龍郎さんがいてくれたら……)


 いや、それは願ってはいけないのだ。龍郎はここにはいない。帰ってこない。これからは、青蘭自身で退魔しなければ。


 これまで、あまりにもあたりまえに龍郎に守られていたことに、いやおうなく気づかされる。


 目の前に切っ先が迫る。


(助けて。龍郎さん!)


 僕はまだ、あなたに頼ってしまうのか。いざというときには、どうしても呼んでしまう。まだ死にたくない。あと少しで転生できるんだ。だから……ワガママばっかり言って、ごめんなさい。あなたの助けが欲しいよ。


 石畳の上に涙がこぼれおちる。


 自分のなかの矛盾を、青蘭はどうすることもできなかった。呼んではいけないと思うのに、もう終わったのだと頭ではわかっているのに、ただ死にたくないという理由で呼んでしまう。自分の愚かさをとどめることができなくて。龍郎なら、きっとそれでも許してくれるということが、心のどこかでわかっているからこそ、うしろめたい。


 泣いていると、レイピアの先端が、すぐ鼻のさきで止まった。貴婦人が見くだすように青蘭を見おろしている。だが、よく見れば、その瞳には哀れみの色があった。


「あなたにも愛があるのなら、わかるはずよ。わたくしと約束しましたね? あなたが生まれ変わる前に、必ず——と」


 そうだ。思いだした。

 彼女はアンドロマリウスを愛しているのだ。だから、青蘭が快楽の玉と苦痛の玉を重ねる前に、彼女も快楽の玉のなかに吸収するようにと頼まれた。なぜなら、アンドロマリウスが最後には自身も玉に吸われて、青蘭の転生する天使の一部になろうとしているから。


 愛する者と一つになりたい。

 それは人でも、天使でも同じ。たとえ悪魔でも。


「わかった。約束を果たす」


 青蘭はポケットからロザリオをとりだした。グレモリーの胸にそれをふりかざす。


「やめろ。青蘭!」


 アンドロマリウスは止めたが、グレモリーの顔には微笑が浮かんでいた。


 ロザリオはあっけなく、グレモリーの胸につきささる。最初から本気で青蘭を殺すつもりなどなかったのだ。でなければ、ロザリオの攻撃で倒せる相手ではなかった。


 グレモリーの姿が光の粒になる。青蘭の口中へと吸いこまれた。快楽の玉はもう飽和状態だ。もうすぐ、はちきれそう。


「青蘭。なぜ、やった……」

「怒ってるの? アンドロマリウス」

「彼女は殺すべきじゃなかった」

「でも、それがグレモリー自身の望みだった」

「…………」


 アンドロマリウスは不服ではあるようだったが、青蘭のなかに沈んでいった。どちらにせよ、もうとりかえしはつかないのだから。


 マダム・グレモリーは消滅した。最後の笑みは、とても幸福そうだった。

 悪魔も愛する者と一つになるときは、あんな笑いかたをする。


(僕も、もうじき……)


 そのときがすぐそこまで来ている。

 それはおそらく、フレデリック神父と……。




 了

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