第6話 一つになるとき その二
童話の世界に迷いこんだような街路で、青蘭はかぎなれた悪魔の匂いを認識する。
レンガや石造りの家々の屋根に、やけにカラスの姿が目立つ。最初は一羽、二羽だったのが、いつのまにか十羽、二十羽と集まってくる。不吉だ。
「早く大きな通りに出て、タクシーをひろおうよ」
「ああ。そうだね」
フレデリックもエクソシストだから、いちおう悪魔の匂いを感じているようだ。青蘭の肩を抱いて、早足に歩きだす。
敷石された古い道。
両側に背の高い建物が建ちならび、昼間なのに薄暗い。
「なんだか、おかしいな」と神父が言った。「いつもと道が違う気がする」
「そうなの?」
「君はあまり外に出ないからわからないかもしれないが……」
メルヘンチックな街が、急に錬金術の暗い側面を見せて牙をむいてきた——そんな感じだ。
「この匂い。かなり強いヤツだ。魔王クラス」
「だろうね。私は君ほど敏感じゃないが、これはわかる」
青蘭は歩きながら、父の形見のロザリオをポケットのなかでにぎりしめる。悪魔を退治するとき、低級な相手なら、このロザリオで充分だ。でも、上級悪魔相手では難しい。そんなときは、アンドロマリウスの力を借りなければならない。
(でも、もう、僕にはアンドロマリウスに渡す部位がほとんど残ってない。召喚できるのは、あと一回か二回だ)
最初にアンドロマリウスと契約したとき、そう約束した。アンドロマリウスの力を借りるためには、青蘭の肉体の一部を譲りわたすと。肉体の所有権をと言うほうが、より正確だろうか。
もしかしたら、さっき苦痛の玉と一つになれなかったのは、そのせいかもしれないと思った。まだアンドロマリウスに渡していない部分があるからだ。頭のてっぺんからつまさきまで、全身をアンドロマリウスに譲ったら、きっとそのとき何かが起こる。それがアンドロマリウスの仕組んだ謀略だ。だから、なるべく戦わずにやりすごしたい。
それにしても、悪魔の匂いがしだいに強くなる。競歩のように小走りで細い路地を急ぐが、いっこうに気配が遠くならない。それどころか、カツカツと高いヒールの敷石をふむ音が追ってくる。ふりかえるものの、まだ姿は見えない。
「ダメだ。青蘭。ここは悪魔の結界のなかだ。こんな道、本部のまわりにはないぞ」
「そうみたいだね。迷路になってる」
道はどんどん細く複雑になっていく。袋小路や二又、三叉路などによくぶつかった。そのたびに、背後の足音は近づいてくる。
「どうしよう。また行き止まりだ」
「青蘭。来るぞ!」
足音が急激に高まる。いっせいにカラスが飛びたち、空が黒く覆われる。突風が吹きぬけ、迫ってきた。姿は見えないが、何者かがごく間近にいる。
「あッ——!」
とつぜん、頬に痛みを感じた。快楽の玉の力でまたたくまに治癒するが、風圧で切れたのだ。かまいたちだ。
「危ない! 青蘭!」
フレデリックが青蘭を抱いて地面に伏せる。突風が頭上の建物を直撃し、窓ガラスが割れる。激しい音とともに透明な破片の雨が降りしきった。フレデリックが青蘭を抱えたまま通りの中心までころがったので、ギリギリのところでガラスの降雨をさけることができた。
「ありがとう」
「油断するな。次が来る」
袋小路の壁に見えない何者かがぶつかった。ふたたび、ガラスの破砕音がこだまする。フレデリックにひっぱられ、青蘭はかけだした。袋小路から遠ざかり、別の脇道に逃げこむ。
「なんなの? アレ」
「さあな。しかし、殺意を感じるな。アイツは私たちを殺すつもりだ」
「うん。そうみたい」
息を切らしながら走る。
すぐにまた追いつかれた。通りのガラス窓が次々に割れる。
その何者かは怒り狂っているようだ。あまりにも素早くて姿を見きわめることができないが、通りすぎるとき、一瞬、黒い影が見える。
(黒い服……? それに、赤いものがチラつくけど)
また、まわりこまれた。前方の窓が破裂する。青蘭はフレデリックにかばわれ、しゃがみこむ。低く、フレデリックがうめいた。背中にガラスの破片が刺さっている。
「大丈夫?」
「大したことはない」
フレデリックは自分で破片をぬいてなげすてた。しかし、このままでは、いずれ、疲れきった青蘭たちはいいように切り刻まれていく。
(倒すしかない)
青蘭は決心した。
「アンドロマリウス! 契約だ。あの襲撃者を倒せ!」
体内に巣食う魔王に呼びかける。
いつもなら、アンドロマリウスはすぐに応えてきた。喜んで、次に青蘭から奪っていく部位の算段を始める。ところが、このときばかりは違っていた。
「それはできない……」
どうしたことか、アンドロマリウスが言いよどむ。およそ目的のためなら手段を選ばない冷酷な悪魔であるのに。
「どうした? 僕からさんざん、身体を奪ってきたおまえじゃないか。何を今さら、ためらうことがある?」
すると、アンドロマリウスのしわがれ声が思いがけないことを告げる。その声は青蘭自身の口からもれているのだが。
「……盟友は倒せない」
青蘭は悟った。
「おまえの知りあいか?」
「グレモリーだ」
マダム・グレモリー。
その魔王なら、青蘭も知っている。以前、魔界へ行くときに力を貸してくれた女悪魔だ。
なぜ、今になって襲ってくるのだろう?
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