第七話 英雄の棲む地
第7話 英雄の棲む地 その一
朱鞠内湖のある幌加内町から新千歳空港へ帰る途中の旭川に、龍郎たちが来て今日で三日め。
初日はホテルでさんざん温泉につかり、昨日は旭山動物園で観光、今日は
神居古潭は古くからアイヌの人々に聖地とされる場所である。その名もアイヌ語で英雄の住む場所という意味だ。
「やぁやぁやぁ、やっと来たな。本柳くん。遅いぞ。遅い」
バスを利用してきた穂村と清美、ウーリーがさきに到着して待っていた。
バスと同じ速度で自転車をこぐのは、いかに健康な二十代の龍郎でも不可能だと、この明晰な魔王は、なぜ理解しないのだろうか? やはり魔王だからなのか?
自転車で来たのは、龍郎、ヨナタン、それにマルコシアスだ。マルコシアスはいまだに人間に化身して、観光についてきている。とうぜん、ガマ仙人もいるのだが、これはちゃっかり清美といっしょにバスだ。今のところ観光客に目撃されてはいないようだ。
「先生たちも自転車で来たらよかったんですよ。今日は天気もいいし、風を切って走るのは気持ちいいですよ」
せいぜい負けおしみを言ってやるが、穂村は笑ってとりあわない。
「なんで私がそんな肉体労働をせにゃならんのだね? 私は頭脳労働専門だよ、君」
そんなことはわかっている。だから、穂村の知恵を借りたいのだが、龍郎は先日のことをまだ相談できずにいた。この前、朱鞠内湖でフサッグァを飲みこんでしまったこと。
あれはいったい、なんだったのだろうか?
二人きりのときに話そうと思うのだが、近ごろ、穂村のまわりには清美かウーリーが必ずひっついている。なかなか機会がない。
そもそも、この神居古潭に来てみたいと言いだしたのも清美だ。例のごとく観光ガイドブックを読みあさり、ここがアイヌの神話の地だと知ったからだ。
「なんかね。古代、ここにニッネカムイっていう魔神が住んでたそうなんですよ。アイヌの人が通ろうとすると、大岩を落としてジャマしたんだそうです。それで、ヌプリカムイっていう山の神さまが岩をどかしたんです。そしたら魔神が怒って、ヌプリカムイと争いになった。でも、サマイクルっていう英雄がヌプリカムイに加担して、ニッネカムイをやっつけたってことです。ね? 穂村先生」と、清美。
「うむ。伝承ではそういうことになってるな」
「伝承ではって、なんか違うんですか?」
「いや、私はこの地に住んでたわけではないから、詳しくは知らんがね」
そんなことをゴチャゴチャ話しながら、清美たちは歩いていく。
神居古潭は石狩川を望む景勝地だ。とくに紅葉の季節は美しい。ただ、見ごろは十月中旬あたりまでなので、少し時期を外していた。
急流の渓谷をながめながら、鉄道の旧線跡のサイクリングロードをのぼっていくと、魔神の足跡とも言われる、神居古潭おう穴群があり、ぽこぽこと穴のあいた岩をながめられる。ヌプリカムイとの戦いのとき、魔神が足をとられて倒される原因になったらしい。
そのあとは旧駅舎。SLが展示してあり、鉄道ファンでなくても、なかなか楽しい。森のなかの駅って感じだ。
自転車はここまで。景観のいい白い木造の橋は自転車での走行を禁じられているので、押して歩くか、ここに自転車を置いていくしかない。
龍郎たちは置いてきた。なぜなら、清美たちとの待合場所であるバス停が、この橋を渡った向こうだからだ。
清美や穂村の目的は、国道12号線沿いにある竪穴住居遺跡とストーンサークルなのだ。
「清美さんたちはなんで自転車にしなかったんですか? 体力がないからですか?」
うしろから三人の会話に割りこむと、清美がイヤそうな表情を見せた。何やら穂村をはさんでウーリーと微妙に張りあってるふうなので、そのせいだろうかと思ったが、どうもそうではない。
「……出ませんでしたか?」と、変なことを聞いてくる。
「何がですか?」
清美の表情はますますくもった。
「出るかって言えば、アレに決まってるじゃないですか。いつも龍郎さんが退治してるやつですよぉ」
「悪魔?」
「近い!」
「……霊ですか?」
「そう! それです」
聞くと、どうやらさきほどのキレイな白い橋の周辺は心霊スポットらしい。じつはあの橋は自殺の名所で、観光客が近づくと、急に橋の上からとびおりたくなるとか。あるいはそのそばにある電話ボックスに長い髪の女の霊が現れるとか。この女の霊は旧線跡にあるトンネルでも目撃されるというウワサがあった。
龍郎は笑った。
「そんなのウワサですよ。霊なんて出ませんでしたよ? すごく見晴らしのいい橋でした。なあ、ヨナタン? マルコ?」
ところが、ヨナタンは何やら口のなかでモゴモゴ言った。ヨナタンはスマホの通訳機能を使って、こっちの会話を解している。
「えっ? 何か見たの?」
すると、コックンとうなずく。
ドイツ語でスマホにむかって話しかけたあと、こっちに見せてくれた画面には、こう記されていた。
——長い黒髪の女が電話ボックスのなかにいた。顔は見えなかったが、生きている人ではなかったと思う。
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