第2話 別れのプラハ その二
それはネットにあげられている個人がアップした動画だ。
夜の風景だ。ヨーロッパらしいどこかの公園のなかで、男女がベンチにすわっている。楽しそうに語らっているのだが、とつぜん、男の顔がひきつった。すると、二人を照らす街灯の灯りとは別の角度から、急に青白く光があがる。その直後、カップルの女性が炎に包まれる。またたくうちに全身が青く染まった。
「うわッ! なんですか、これ。フェイク動画?」
「これだけじゃないんですよ」
次々に似たような映像を見せられる。真昼間、ビル街の路上で燃えあがるサラリーマン。あるいは海上でクルーザーの甲板から手をふる人が炎上する。スーパーのなかですら、撮られた映像があった。通学路の途中で制服を着た小学生が、とつぜん発火する……。
龍郎は気分が悪くなった。たとえ作られたものだとしても悪ふざけがすぎている。
「こんなものが流行ってるんですか?」
すると、清美は真剣な顔で告げた。
「龍郎さん。これはCGとか合成なんかじゃないんです。現実に世界の各地で起こってる怪奇現象なんです」
「これが現実に? そんなバカな」
すると、穂村が嘆息した。
「本柳くん。先日、クトゥルフを倒しただろう? そのせいで邪神たちの力のバランスがくずれたんだ。火の精が活発になったんだな」
龍郎は息を呑む。
それはルリムたちも話していたことだ。水の王がいなくなったから、何かが復活するとかなんとか。龍郎を追ってきたフサッグァは、火の精たちの長だとも。
「そう言えば、ルリムが言ってました。ラグナロクがどうとかって。ラグナロクって、たしか、北欧神話で神々の戦いをさすんじゃなかったですか?」
それも、神の滅びの始まりを告げる破滅の戦いだ。
「そう。かつて我々と邪神は争った。その戦いの記憶を残す人類が神話として語りついできたんだ」
「ルリムはなぜ、そんな不吉なことを話していたんでしょうか?」
なかば予想してはいたものの、返ってきた穂村の答えは、龍郎を凍りつかせた。
「ふたたび、ラグナロクが始まる——そういうことだろう」
認めたくはないが、そうなのだ。だからこそ、新薔薇十字団の本拠地に、たくさんの天使が集まっているのだろう。戦いにそなえて。
なんだか不安だ。
青蘭が神々と邪神の争いに巻きこまれなければいいのだが。
「それで、清美さんが危ないっていうのは、なんですか?」
「謎の人体発火事件って世間では言われてるんですけどね。人が燃える直前に必ず青い火が目撃されているんです。わたしも何度かその火を見てるので、もしかして狙われてるのかなぁって」
それは大事だ。
清美が邪神に狙われそうな見当はつかないが、夢巫女の力がヤツらの妨げになるのかもしれない。じっさい、その力のせいで、クトゥルフはやぶれた。手をくだしたのは龍郎たちだが、清美の持つ特殊な能力が、そのために一役買ったことは間違いない事実だ。
「危険じゃないですか。なんとかならないんですか?」
「今のところ、ガマちゃんが守ってくれてるから大丈夫です。ガマちゃんは水の精なんですよ」
「うむ。清美殿の身はわしが身命を賭して守ろうぞ」
ガマ仙人はそう言って、水鉄砲みたいに口からピュッと水を吐いた。これなら火の精相手には問題ないだろう。清美にはショゴスもついている。
龍郎はパスポートや荷物を清美たちから受けとり、ホテルに部屋をとった。
青蘭のこと、ラグナロクのこと、心配で眠れないと思ったのに、よほど疲れていたのか、気がつけば朝になっていた。
翌日。
青蘭がカレル橋にやってくるというその日。
龍郎は緊張のあまり、朝からずっとソワソワしていた。新薔薇十字団の本拠地まで、すぐにも行きたいところだが、へたに刺激すると警戒させてしまうと清美に言われ、しかたなくガマンした。青蘭が外出を禁じられると、カレル橋への散歩もできなくなる。
龍郎は追われる身であるし、いつ、ホテルまでルリムがやってくるかわからない。どうにも落ちつかない思いで時間が経つのをひたすら待つ。
すると、午後になって、清美が言いだした。
「龍郎さーん。観光しましょうよぉ。プラハ城が見たいです! とくに夜景の美しさは神秘的らしいですよ」
そういえば、清美は観光が大好きだった。バリ島へ行ったとき、さんざん島中をつれまわされたことを思いだす。
「今……ですか? 明日じゃいけませんか?」
「ダメ! 今しかないんです! えーと、まず旧市庁舎からティーン聖母教会。それから川を渡ってレトナ公園で巨大メトロノームを見て、プラハ城へ行ってから帰りましょう」
「おれは……観光はいいよ。清美さん、みんなと行ってきたら?」
「ダメー。わたしが燃えちゃってもいいんですか?」
「えっ? ガマ仙人が守ってくれるんじゃなかったですか?」
「ガマちゃんは子どもや霊感の強い人には姿が見えるから、外を歩けません」
「なるほど」
それで今日までホテルから出ずに、龍郎が到着するのを待っていたわけだ。
「わかりました。行きます」
ホテルの部屋もリバービューで、息をのむほど美しい景色なのだが、清美が聞き入れてくれるはずもない。
青蘭のことで頭がいっぱいなのに、ムリやりつれだされた。ホテルにはマルコシアスとガマ仙人だけが留守番だ。
しかし、嫌々ながらにでも出てきてよかった。
フランス、ドイツへも旅行へ行った。でも、どちらの都市も中世の街並みじたいが残っているわけではなかった。古い石造りの建物のそばに近代的な建造物があり、自動車が走り、メトロやスーパーや高級ブランドの店などが同時に存在していた。
が、プラハの歴史地区は中世の景色がそのまま残っている。ほんとうに、おとぎ話のなかに迷いこんだような景観だ。こんな場所を青蘭と歩けたらと思えば、ため息も出たが、それにしても気はまぎれた。
プラハ城がライトアップされるまで粘ったので、帰路についたのは街全体が夕景の残照に沈んでからだった。
薄紫の薄暮が、ゆっくりと空から降りてくる。
ヴルダヴァ川にはさまざまなライトが金色に反射して、それでなくとも美しい景色を、さらに夢見心地にさせる。壮麗すぎて、なんだか物悲しい。
やがて、橋にたどりついた。
等間隔の街灯。オレンジ色の照明で水面から浮きあがって見える。
これ、なんていう橋ですかと清美にたずねようとしたとき、龍郎は気づいた。
これが、カレル橋なのだと。
橋のむこうから、青蘭がやってくる。
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