第一話 脱走

第1話 脱走 その一



 深い地下世界の暗闇。

 目に見えるものは何もない。

 音も聞こえない。

 死のような空間だ。


 契約の遂行によりつれてこられた、ルリム=シャイコースの王国。螺旋の巣である。


 かつて一度、龍郎はこの場所に来たことがある。ただし、あのときは夢を通してだった。それにあのときの世界じたいは消滅している。今のこれは、ルリムの力で創られた新たな王国だ。


 彼らの本体はシロアリのようなものらしいから、今回もどこかの木のうろのなかだろうか?

 それとも、まったく次元の異なる魔法の空間か?


 暑くもないし寒くもない。食事はなんだかよくわからないが、ホットケーキに蜂蜜をかけたようなものが運ばれてくる。不快ではないし、生活するのに困りもしない。が、人間というのは退屈する生き物なのだ。


 ルリムは日に何度かやってくる。龍郎は時間を持てあましているので、五、六時間に一度のような気がするものの、じつのところは一時間に一度くらいの割合なのかもしれない。


「龍郎。食欲がないんですってね」と、暗闇のなかで赤く輝く目が言う。彼らの両眼は猫のように闇のなかで光る。


「そりゃそうだよ。人間的にはこの状況、拷問なんだけど?」

「そう? ここは王子の間。快適で安全よ?」

「危険がないのはわかるよ。でも、人間は五感を閉ざされると発狂するんだ。おれは強メンタルだから、まだ平気だけど、ふつうの人なら、とっくに正気を失ってる」

「だから、さっさとわたしと子どもを作ればいいじゃない。そうしたら、少なくとも繁殖期以外は人間の世界に帰してあげるわ」

「そうは言われてもなぁ。こんな状況じゃ、その気になれない」

「じゃあ、どうしたらいいの?」

「せめて光が欲しいなぁ。あと、そのへんを歩きまわりたい」

「…………」


 ダメ元で言ってみると、意外にも承諾された。


「わかったわ。ほら、これならいいでしょ」


 龍郎に渡されたのは、小さなカンテラだ。ガラスの器のなかに青白く燃える炎が閉じこめられている。ただし、エネルギーになりそうな油やガスなどはどこからも供給されているふうがない。しかも密閉された容器のなかで酸素不足にもならず、明々と燃え続けている。


「ルリムの世界って、なにげにハイテクだよね」

「もちろんよ。人間といっしょにしないで」


 そういうルリムの得意げな顔が、カンテラのおかげでよく見える。


「ついでに天使たちが持ってるバトンみたいなのも欲しいなぁ。あれもすごく便利な武器だよね」


 今ならイケるかもと思ったが、それは了承されなかった。


「そんなもの渡したら、あなた、巣をめちゃくちゃに壊して逃げだすじゃない。ダメよ! 絶対、ダメ!」


 まあ、当然だろう。

 ここで言う天使は巣を守る戦闘要員のことだが、彼らが持つ武器は、念じただけでレーザー砲になる優れものだ。以前、侵入したとき、龍郎はそれを使って巣を破壊した前科がある。


「壊さないけど、まあいいよ。じゃあ、散歩に行ってくる」


 龍郎はカンテラを手に外へ出ていった。もちろん、どこかに出口がないか探すつもりだ。逃げだすわけではない。ただ、青蘭のことが心配なのだ。せめてもう一度、会って話がしたい。


 このカンテラの光で見る王子の間は、六畳ほどの何もない楕円形だえんけいの空間だった。壁も床も綿のようなフワフワした物質でできていた。


 戸口にあたるのは扉のないアーチ型の穴だ。そこを出ると廊下だ。やわらかい土のような感触で、見ためは洞窟みたいだ。やはり、構造が以前の螺旋の巣とは違う。


 廊下はまるで迷路だ。入り組んでいる。迷わないか不安になる。しかし、どうにかここから脱出したいので、龍郎はがんばった。


 結果から言えば、龍郎は迷った。もとの部屋にも帰れなくて、廊下で寝ていると、ルリムが迎えに来た。

 それが、一日め。


 二日め。

 同じく歩きまわっている途中でダウン。


 三日め。四日め。五日め……。

 ダウン。


「龍郎。毎日、よく飽きないわね」

「……まあね」


 ルリムは龍郎の考えを見透かしているらしい。バカにするように笑っている。


「意地をはらないで、わたしと子作りしなさい」

「うん。そのうちには……」


 そんなに簡単に割りきれるものじゃない。そもそも、契約としてムリヤリつれてこられたが、愛しているのは青蘭だけだ。今でも、これからも、その気持ちは変わらない。


 それに青蘭はミカエルと一つになりたいという。つまり、ミカエルとのあいだの卵を作りたいと。それは言わば子孫を求める行為だ。

 その青蘭の願いを知っていて、別の誰かと子をなすのは、完全に裏切りだろう。とくに、ミカエルの心臓を体内に宿したままでは。それはミカエルにも不実をさせることになる。


(青蘭をミカエルと一つにさせてやらないとな)


 そのあとでならば、自分はどうなってもいい。


(ルリムにしてみれば、苦痛の玉の力を持ったおれじゃなければ価値はないんだろうけど)


 しかし、龍郎の決心は変わらない。


 七日めにして気づいた。自分がつねに同じ場所を周回していることに。歩幅や、分岐点での選択のクセなどもあるが、廊下じたいが、どちらを選んでも最終的に円形の主廊下へ帰ってくるように設計されている。だから、ずっと同じところをグルグルまわってしまうのだ。


(最初から出口なんかないってことか?)


 でも、それなら、ルリムの部屋なども、この廊下の近辺にあるはずだ。それがないのだから、どこかに別のフロアに続く場所が必ず存在している。


 まずは、そのからくりを見つけなければいけない。

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