第48話「クーリル沖海戦」

”もし敵艦隊が現れても、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応すれば宜しい”


アンドレイ・ナイフ中将 作戦会議での発言




Starring:ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク大佐


「戦略は悪くなかったわ」


 金髪の参謀長は新聞紙をテーブルに放って、ガミノ軍の敗因を論評した。その表情はいかにも興醒めした具合だ。


「でもそれからが駄目ね。見積もった戦力も過小。地の利、天の時、人の和、全部逆行していて見事なほどだわ。戦術以前の問題」


 相変わらずの切れ味に、赤毛の将軍はいつものように肩をすくめて見せた。


「あなたの弟なら、もう少しましな指揮をするかしら?」

「何言ってるんだい? レナートなら初めからこんな作戦立てないよ」


 それもそうねと代用コーヒーを口にする。

 長引く戦争に、物資の供給は滞る一方だ。


「でも、守備側の作戦を立てた南部中尉だっけ? あの時の銃士パイロットだろう?」


 前線司令部の壊滅を防いだ立役者は、クーリルで英雄となっていた。

 まだ1年半なのに、その名は既に懐かしく感じる。参謀長は珍しく毒舌を封印した。無言でマグカップを傾けながら”彼女”を思う。


 そして、小さくつぶやいた。

 私、頑張っているわよと。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 2隻の空母が戦闘不能に追い込まれた時、艦隊司令と参謀長は全く逆の方向を向いていた。


 参謀長のミランは、少しでも少ない犠牲で艦隊を逃がすべきと判断した。つまり損切りである。

 まともな速度が出ない〔エルスト・ガミノⅠ世〕は諦め、機関部は生きている〔ワスプ〕だけでも連れ帰ろうと言う考えであった。


 一方のナイフは、人的な損害を度外視してでも〔エルスト・ガミノⅠ世〕を死守すると宣言した。

 ダバート海軍が迫る中完全な無理筋で、下手をすれば拿捕される恐れすらあった。今なら味方の魚雷で確実に処理できる時間はある。

 だが、ナイフ中将の返答は予想外のものだった。


「教皇猊下の名前を冠した艦だぞ! 不敬では無いか!」


 あんまりな一言に、スタッフ一同白け切った視線を集中させた。その猊下と同名の艦を使いこなせず大破させたのは、外ならぬナイフである。


「仕方ありませんな」


 ジョセフ・ミラン准将は嘆息すると、ナイフに向き直る。

 気に食わない参謀長の露骨な態度に眉をひそめたナイフだが、今この場でそんな事を云々する暇などない事は彼でも分かる。


「〔アラスカ〕と重巡じゅうじゅん駆逐艦くちくかんを何隻かお借りしたい」

「どうするのだ?」

「敵艦隊に突撃し、被害担当艦となりましょう。上手くすれば一太刀浴びせる事も可能です。閣下は本艦と共に脱出し、今回の敗北は私のせいだったと報告書に書かれたら宜しい」


 最後に付け加えたのは辛辣極まりない一言だったが、本来ミランはこんな台詞は吐かない。この局面でナイフが「それも悪くない手だ」などと考えるような男でなければ。

 あくまでミランが自発的に囮を買って出たと言う体裁を整えるため、ナイフは「好きにするがいい」と命じた。


 この後、2人の明暗ははっきり分かれる事になる。


 逃げ延びる筈だったナイフ中将だが、〔エルスト・ガミノⅠ世〕の浸水が止まらない状況が運命を狂わせた。幕僚の反対を押し切って曳航を命じたことで艦隊の移動速度は目に見えて低下した。

 駆逐艦がのろのろと空母を引っ張る間、艦隊は鈍足で航海するしかない。


 そこに予想より遥かに早い、条約軍の第二次攻撃隊が襲い掛かった。


 護衛空母からのエアカバーは受けていたものの、焼け石に水だった。

 傷ついていた空母は上空から爆弾、低空から魚雷の攻撃に、軽防御の〔ワスプ〕級は耐えられなかった。彼女たちは船体が折れて轟沈する。

 辛うじて脱出に成功した数隻の駆逐艦が受信したナイフ最後の言葉は、『〔ワスプ〕では駄目なのだ! 〔エセックス〕があれば!』だった。


 生き延びた者たちは、怒りを通り越して乾いた笑いを浮かべたと言う。中将閣下の言い草は死の淵にあっても変わらなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 一方のミラン率いる決死隊は敵空母の攻撃が〔ワスプ〕級2隻に集中している間隙を突いて、カーラム派遣軍第2艦隊に肉薄、熾烈な砲撃戦となった。


 ミランは敵空母の護衛が巡洋艦のみであれば、12インチ30.5cmの巨砲を持つ〔アラスカ〕で対処できると踏んでいた。

 だが、彼らを待っていたのは彼女アラスカと同クラスの超甲型巡洋艦小型戦艦、〔つるぎ〕だった。


「ジュトランド海戦を思い出すな。あの時は日本軍艦の恐ろしさをまざまざと見せつけられたものだ。〔マッケンゼン〕はついに間に合わなかったが、今はこの〔アラスカ〕がある」


 観戦武官として欧州大戦を目の当たりにした彼は、猛威を振るう〔金剛こんごう〕型戦艦を見せつけられ、戦慄した。派遣された独海軍は、粉砕されてゆく自国の戦艦群をただ眺めているしかなかった。

 彼らが待望していた新鋭戦艦〔マッケンゼン〕はついに間に合わなかった。いや、それすら日英の精鋭に対抗出来たかは怪しい。


 だが。今ミランは自らの軍歴で初めて、日本のそれに伍する戦艦を率いているのだ。

 砲撃力では同等、射撃指揮装置の性能は若干〔アラスカ〕が上。つまり、命中率で勝る。


 彼らにとって計算外だったのは、彼我の防御力に大きな開きがあることだった。


 同じ大型巡洋艦小型戦艦でも、所詮〔アラスカ〕は「戦艦のような巡洋艦巡洋艦」でしかない。

 普通戦艦は、自分の主砲の攻撃に耐えられるように出来ているが、〔アラスカ〕の水平甲板防御は〔石槌いしつち〕型の持つ31cm砲の直撃には耐えられない。


 対する〔石槌〕型超甲巡は、〔大和やまと〕型戦艦を縮小させた正真正銘の”小型戦艦”だった。〔アラスカ〕クラスの主砲を受ける事も想定して設計されている。


 連盟軍はその違いを察知しておらず、〔石槌〕型を〔アラスカ〕級と同じようなコンセプトの艦だと誤認していた。


 両艦の主砲に命中弾が出始めた時、彼らはその事実に直面することになる。

 三番砲塔を破壊された時点で、ミランは双方の特性を瞬時に理解し、命令を下した。


「距離を詰めろ! 防御の差を埋めるには、ノーガードで殴り合うしかない!」


 老参謀は闘将と化す。ナイフの元ではバラバラだった将兵が、ひとつになって闘争心を燃え滾らせた。

 条約軍は艦隊を集合させたばかりで連携が整わない。〔アラスカ〕はその陣形の乱れを突いて接近戦に持ち込み、お返しとばかり〔劔〕の第二砲塔及び魔導レーダーを使用不能に追い込む。


 随伴する2隻の重巡洋艦及び6隻の駆逐艦も、後に続く形で犠牲を省みない戦いを展開、数で勝っている筈の条約軍の陣形を引っ掻き回し、重巡1隻をスクラップ同然に追い込み、駆逐艦2隻を波間に追い落とした。


 だがそこまでだった。


 接近したことで駆逐艦の魚雷攻撃を許し、ガミノ艦は次々落伍してゆく。

 頼みの綱の〔アラスカ〕も、艦尾に31cm砲弾が命中。速力を落とし始める。


「頃合いだな。総員退艦したまえ」


 ゆっくりと傾き始める〔アラスカ〕の勇姿に、敵である条約軍の水兵すら自然と敬礼を行っていたと言う。


 司令官のミランは退艦を拒み艦と命を共にすると確言した。それを許さなかったのが彼を慕う幕僚たちだ。彼らは船乗り自慢のロープ捌きでミランをがんじがらめにすると。抱きかかえて脱出艇に飛び込んだのである。


 彼らを救助しに来た条約軍の駆逐艦は、脱出艇で巻き藁のようにされた老人を見つける。彼が自分達を散々苦しめた闘将だと知ったのは少し後の事だった。


 騎士道精神がまだ生き残っているライズである。救助された生き残りたちは、尊敬のまなざしで迎えられた。

 参謀長であるミランの性格もあるが、インテリが多い海軍は狂信の色が薄い。ナイフの末路を聞いて、色々と馬鹿らしくなっていたのだ。

 中にはダバートやブリディスと言った条約国への亡命を希望する者まで居た。


 交流は、若干のぎこちなさを残しながらも進められた。

 特にミランは、捕虜ではなく賓客として扱われ、ダバート国王との謁見まで行われた。

 戦史上、ジョセフ・ミランは極めて有能な将にもかかわらず、無能な上官のせいで実力を発揮できなかったとされている。そしてその猛攻は条約軍の心胆を寒からしめたと語られた。


 アンドレイ・ナイフ中将は望み通り歴史上に名前を残した。ただし、救いようのない愚将として。無理な作戦を承認した上層部はこれ幸いと彼に全ての責任を押し付け始め、その醜悪な政争劇は第3艦隊の生存者すら眉をひそめたと言う。


 終戦後、ミランはダバート王国に移民し、妻と共にかの地で骨を埋める事になる。

 戦中戦後を通し、彼は様々な人物と交流した。クロア海軍のレナート・アッパティーニ提督とは特に親しく、2人の語らうさまは教師と学生のようだったと言う。


 その後は小学校の教師として、子供たちに囲まれて騒がしくも穏やかな老後を送った。

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