第42話「継戦の先触れ」

”この時、菅野航空隊は、事実上の南部航空隊となった。

トップダウンだった菅野と異なり、南部はボトムアップで部隊をまとめてゆく事になる”


フェルモ・スカラッティ著『方舟戦記 第3部 ダバート王国編』より




Starring:早瀬沙織


 歓声を上げる者はいなかった。

 未帰還の〔紫電改しでんかい〕が菅野なおし大尉機である。それは戦闘中の無線を聞けば一目瞭然だったからだ。


 6機になった戦闘機をテーブル島で迎え、リィル・ガミノはそれでもねぎらいの言葉をかけてゆく。気丈にも涙を見せる事は無かった。

 これでやる事は終わりではない。上空から機体が発見されないように、隠蔽用のシートを被せてゆく。


筒内とうない爆発……か」


 血を吐くように呟いた後、師匠せんせいは終始無言だった。黙々と機体をチェックする姿が、悲しくもあり怖くもある。普段の彼はあんなにも多弁なのに。


「沙織。ここは良いから、リィルのところへ行ってやれ」


 いつもなら喜んで応じただろう。

 だが、今師匠を一人にしては駄目だと思った。


「先生。全部吐き出してください。私が受け止めます」


 師匠はからからと笑ってだけ答えた。


「そこまで弱ってるように見えちまったか。心配かけてすまんな」


 明らかに空元気だったが、早瀬沙織はそれ以上何も言えない。


「だがこういう事はこれから何度もある。慣れておいた方が良い」


 そう言って、グレッグ中尉と打ち合わせを始める。

 2人とも顔が真っ青だった。


(うそつき。慣れてなんかいない癖に……)


 それを指摘して傷ついた心を抉る気は無いが、沙織だってあまりの突然さに言葉を失っているのだ。

 他の者も精神的な支柱を失い、動揺を隠せないのは同じだ。


「中尉、エンジンの予備パーツですが……」

「ああ、今行く」


 テーブル島で待機していた独飛の整備兵に呼ばれて、師匠は行ってしまう。


「……リィルを頼む」

「はい」


 もう戦闘機に出来る事はない。陸上部隊の奮戦に賭けるしかない。投げられた賽は、既に目を出してしまった。

 沙織は皆の前で泣く訳にいかないリィル・ガミノの手をずっと握ってやる。その後は交代で仮眠をとるよう命じられ、泥のように眠った。


 事件が起きたのはその日の夜だった。


 電文は『Frankly, my dear, I don't give a damn(俺には関係ない)』であった。


 とある映画の有名な台詞だが、特に文章には意味は無い。

 「陸上部隊が苦境にあり、再度の航空攻撃を要する」と言う符丁だった。

 この局面で、もっとも受け取りたくない報告と言える。


「戦闘機は再度の作戦に耐えられますか?」


 師匠は整備科のムナカタ中尉に問うが、彼は仏頂面で頭を振った。


「飛ぶ事なら問題ない。空戦を行えるかどうかは保証しかねる」


 保証がない、と言われても何とかしなければならない。

 それが指揮官だ。


「沙織、風魔法で離陸は可能か?」

「リィル嬢に飛行場を最大限広げて貰えれば、何とか。ただ魔力が回復しきっていません。そのあとの戦闘で使用するなら、魔晶石で魔力を補充しないと駄目です」


 そのような貴重品、気楽に使えるものでもないが。


「リィル嬢のほうは?」

「私はまだいけます! 飛行場は溶け切ってませんから、修繕するだけで大丈夫ですし」


 だが、師匠は2人の言葉には納得していないようだ。

 一通り状況を確認すると、呟いた。


 潮時だな、と。


「これから戦闘機を海中投棄する。リィルと女性は、全員漁船に乗り込んで脱出を。それ以外の者は、申し訳がないがここで陸戦だ」


 絶望的な命令に、ざあざあと耳鳴りがした。

 それはつまり、師匠やグレッグ・ニール中尉、サミュエル・ジード少佐、そして今戦っている陸上部隊の将兵、何より島民たちを見捨てる事を意味した。


「承服できませんっ!」


 立ち上がって食って掛かる沙織を抑えて、リームが首を振る。


「まずは根拠を聞きましょう」


 態度こそ落ち着いているが、彼女も納得がいっていない。

 短い付き合いでもそれくらいは分かる。


「今攻撃しても前回のようにはいかない。敵も待ち構えているし、地上攻撃をするにしても爆弾が無い。撤退時に追撃されてテーブル島への着陸も覚束ないだろう」


 師匠もまた機械的に、これ以上の作戦が無意味である根拠を挙げていく。

 冷徹な表情から、悲鳴が聞こえるようだった。


「決死行なら一考に値するが、これは必死行。そして死んだところで何か守れるわけでもない。せいぜい自分は良くやったと満足できる程度だ。そんな作戦……認められるわけがない」


 話を打ち切って背を向ける師匠の袖を、リィルが引いた。

 師匠は一瞬苦悶の表情を浮かべたが、すぐに彼女から目を逸らす。


「リィル、分かっているのか? このままだと、沙織も、ミズキも死ぬ」


 リィルの視線が隼人から逸れる。

 彼女が手を離しかけたとき、とミズキ・ヴァンスタインが声を張り上げた。


「お嬢様! ミズキは覚悟出来ております。なさりたいようになさってください!」


 リィルの手に、再び強い力が宿る。

 ごくりと唾を飲み込んで、ぽつりとつぶやいた。


「氷……です」

「氷?」

「私が敵の上空で氷魔法を使います。高い高度からばらまけば、氷でも人を殺せます」


 全員が息をのんだ。

 この聖女は、仲間や島民の為に手を血で汚すと言っているのだ。


「馬鹿を言うな! それじゃあお前が!」

「皆が助かるなら馬鹿ぐらい言います!」


 たじろいだ師匠の眼前で、力強く名乗り出た。


「リィルは私が乗せて行きます!」

「お前ら、今がどういう状況なのか……!?」


 ついに声を荒げる師匠を、リーム・ガトロン中尉が斬って捨てた。


「分かってないのはあんたよ」


 冷静を装っているが、その裏には葛藤が見えた。中尉は構わず畳みかける。


「あんた、どうせ大尉の事で『また・・防げなかった』なんて考えてるんでしょ? お門違いも良いところよ。それに、いつものあんたなら、決断を下す前に可能な限り頭を使うわよね?」


 図星を突かれて押し黙る師匠に、サミュエル少佐が言葉を添える。


「君の重責は分かる。だが、今こそ仲間を頼るべきじゃないかね?」


 師匠の瞳が、逡巡して揺れた。


「……逃げるのか?」


 止めの一言は、今まで成り行きを見守っていたグレッグ中尉だった。


「お前は天才に勝ちたいんじゃないのか!? 菅野大尉から、大尉がやろうとした事から逃げ出して、不戦敗に甘んじるのか!?」


 ふたりは長い間にらみ合う。

 やがて、師匠は大げさに頭を掻いてと叫んだ。


「あー、もう分かったよ! 少し休憩を取ろう。爆弾の代替手段は見つかったけど、待ち伏せへの対策がまだだ。何か考えてみるから少し時間をくれ」


 グレッグはにやりと笑い宣言する。


「お前だけに良いところを持って行かせてたまるか。一緒に考えるから、俺も一枚噛ませろ」


 2人はああだこうだと意見を戦わせながら休憩に向かった。と言ってもあれでは休憩にならないだろうが。


「悪かったな。ありがとう」


 師匠が去り際に残したその言葉が、ひたすらに嬉しかった。

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