第36話「追懐」

”クロアであったことを聞いて、不思議とショックは受けませんでした。

それよりも、失ったものを抱えてもがきながら生きている隼人さんの力になりたい。そればかり考えるようになりました”


早瀬沙織のインタビューより




Starring:早瀬沙織


 やっぱり思った通りになった。


 3人分・・・のトウモロコシ茶を胃に流し込みながら、早瀬沙織は誰もいない食堂で思案していた。この苛立ちをどこに向けようかと。

 師匠せんせいがミズキに〔疾風はやて〕の操縦を教えると聞いて、自分も手伝おうとお茶を持って行ったら、格納庫で仲良さげに憎まれ口を叩き合っている二人を目撃してしまった。


 師匠も師匠だ。


 あれだけ他人の心理を洞察できるなら、もっと女心も分かるべきだと思う。妙なところで老成している癖に、精神の一部分が小学生で止まっているのが南部隼人だ。

 人間が大好きだから、あらゆる人間に誠実であろうとする。だから女性相手でも誠実さをばらまけてしまう。

 そして、それがちゃんと独りよがりで無いのが余計に質が悪い。


(いっそ、師匠が貴族なら取り合いをしなくて済むのかも)


 馬鹿な想像だなと苦笑する。

 確かに貴族なら一夫多妻や一妻多夫が認められている。だからと言って簡単になれるものではないし、現場主義の彼には爵位など重荷だろう。


「……どんな人だったんだろ」


 自分でも意識しないうちにそんな言葉が口から洩れた。

 どんな人? そんな事は分かっている。師匠の死んだ恋人だ。

 死に別れた時、彼はどんな悲痛な思いを抱いたのだろうか?

 後を追うなんて馬鹿な考えが頭をよぎったろうか?


「知りたいかしら?」


 視線を上げる。

 リーム・ガトロン中尉が腕を組んで座っていた。


「随分重症ね。私が居る事に気付かずずっとぶつぶつ言ってたわよ?」

「……放っておいてください」


 いじける沙織を満足そうに見つめていたリームの表情が、真剣なものに変わる。


「死人に引っ張られるのはよしなさい。死神はそう言うのと仲良しよ?」

「……あなただって同じじゃないですか」


 図星だったのか、リームはむくれた様子で言葉を止めた。

 沙織はテーブルの上で組んだ腕にあごを乗せ、ふくれっ面で文句を言う。


「それもそうね。じゃあ、死神に好かれた仲間のよしみで、”あいつ”の事を話してあげる」


 肩をすくめたリームは切り出した。ずっと知りたかった。ずっと知りたくなかった話を。

 沙織は少しだけ迷ったが、すぐに答える。


「お願いします」


 知らないでいても、結局この問題には直面する。それなら自分は対峙する道を選びたい。南部隼人の弟子であるならば。


「……嫌な女だったわ」


 吐き捨てたリームの目は、嫌な人間を語るものではなかった。

 それは、彼女と”あいつ”との空気感なのだろう。


「口は悪いし、態度も悪いし。何事も無関心を貫こうとするくせに、過去の事でうじうじ悩んで……。面倒くさいったらありゃしない」

「それは、今私の目の前にそう言う人がいるのですが……」

「うっさいわよ!」


 一瞬地雷を踏んだかと思ったが、彼女はふくれっ面を浮かべこそすれ、感情をぶつけてくることは無かった。どうやら自覚はあるらしい。


「でもね……」


 懐かしむように話を続けたリームの顔には、まだ言えぬ痛みを感じさせた。


「あの馬鹿との信頼関係は半端なかったわよ」


 その一言は沙織にとって、いやリームにとっても重いものだったろう。


「ある日、一人の馬鹿が選択を迫られた。最愛の僚機ウィングマンを失うか、無辜むこの民を見捨てるかを選べってね」

「それで、どうなったんですか?」


 問いかける声が震えているのが、自分でも分かった。


「馬鹿は無辜の民を取った。僚機は墜とされたけど民は守られました。めでたしめでたしってわけ」

「そんな言い方……」


 非難は師への暴言ではなく、言葉の刃で自傷する事を咎めたに過ぎない。

 言ってしまってから、そう気づいた。


「分かってるわよ。あいつがそれを望んだのも、馬鹿隼人が苦しんだのも良く分かってる。でも、私ひとりくらい、あいつの為に怒ってやっても罰は当たらないでしょ?」


 リームは仏頂面を崩さずに吐き出した。


「あんなんでも、あいつは友達だから」


 浮かべた顔は誇らしさ、怒り、悲しみ、憧憬、歓び。そのどれもが入り混じったものだった。

 とても眩く、とても哀しい。


 ああ、この人もそうか。


 沙織は師匠の境遇に納得を感じ、そして自覚した。リーム・ガトロンと言うはねっ返りを気に入っている自分を。

 彼女は自分と同じ、南部隼人の真摯さと暖かさに惹かれて彼の元に集ったのだ。

 そしてそう言った人たちも、例外なく暖かい。


「リーム中尉は、いい人ですね」

「……よしなさいよ気持ち悪い。そんな事より、あなたもあの馬鹿について行く気なら、しがらみや思い込みで決断しないようになさい。あなたが建前に逃げたら、あいつはなんの躊躇いもなく敵に単身で突っ込むわよ。あなたの建前のためにね」


 リームはまだ飲んでいない最後のトウモロコシ茶を取り上げて口に流し込むと、席を立つ。


「じゃあ、明日はお互い頑張りましょう」

「あのっ!」


 後ろ手からかけられた声に、リームは振り返らず「何?」と聞き返した。


「リーム中尉も、最後まで付き合ってくれますよね? 1人で退場は駄目ですよ?」

「……ええ」


 それは、複数の意味があったが、リームはどれについてか問うような事はせず肯定の返事をして、食堂を後にする。


 残された沙織は、腕をテーブルに乗せたまま、「うー」とうめいた。


「それにしても、ずるいです。”あいつ”さん」


 そして、竜神の加護によって何処かで生まれ変わったであろう、名前も知らない恋敵に悪態をついたのだった。


 戦いの前夜は暮れてゆく。

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