(世界時間停止予測)世界の死までの一週間

 世界時間停止予測――

 それが、人類の終わりにやって来た事象である。世界の終わりは核戦争後の世紀末的荒廃でも、巨大隕石衝突による長い冬でも、未知のウイルス蔓延による文明の崩壊でもなかった。

 ――時間の停止。

 それは、とても静かな世界の終焉だった。大地を揺るがす爆音も、天を汚す赤い炎も、苦痛にあえぐ人々の長い呪詛も存在しない。

 正式には、「物体における基本概念であるエントロピー増大法則の崩壊」という。

 その現象の発見は、ある天文学者によってなされたものだった。彼は星の観測を行っていると、ある奇妙なことに気づいた。

 光の速度が低下している。

 アインシュタインによる相対性理論によれば、光の速度は観測者の状態にかかわらず、常に一定である。つまり、相対的に変化しない。それは真空中で、299792458m/sという数値を示す。

 ところが、ある変光星の観測を行っていると、その光度の周期が徐々に遅くなりはじめていたのである。はじめ、それは連星の軌道が何らかの原因で変化したため、と考えられた。しかしその後の調査でもその仮説を裏づける有意義な証拠は得られなかった。

 そこで彼が考えだしたのは、絶対不変であるはずの光速度が低下している、というものだった。この説は、はじめ当たり前のように無視された。時折学会に登場する、新奇な説と同じで。光の速度が変化するはずはない。

 ところが、その後の様々な分野での報告によって、同一の現象が発見されることになる。そのすべての現象が、同じ結論を導きだしていた。

 光速の絶対性が崩れ、その速度が徐々に低下しつつある。

 その結論に対して、量子重力学の分野からある詳細な予測が打ちだされた。すなわちそれが、「物体における基本概念であるエントロピー増大法則の崩壊」――世界時間停止予測である。

 基本的な物理法則として、光速度は不変である。にもかかわらず、観測結果はその低下を示唆している。とすれば、何が起こっているのか。

 速度が不変であるならば、得られる結論は一つしかない。つまり、低下しているのは速度ではなく、時間のほうなのだ。

 この仮説の教示する内容は重大だった。宇宙の時間が、停止に向かっているのだ。

 その後、様々な実験とより詳細な観測が行われたが、それによって得られたものは、時間停止予測が九十九%の確度で正しい、ということだけだった。時間はゆっくりと、眠りにつこうとしている。

 このことは、多くの人々を戸惑わせた。人間には時間の歯車を回すような技術は与えられていない。どんな偉大な英雄も、無敵のヒーローも、この問題を解決することはできなかった。

 政府高官たちはことの重大性をかんがみて、時間停止予測に関する発表を差し控えた。世界の滅亡に際して人々がどんな行動をとるのかは、完全に予測することはできなかった。政治的判断によれば、この事実を発表することには何のメリットもなかった。

 けれど予想時間停止点の一週間前、各国首脳たちはいっせいに世界時間停止に関する発表を行った。一つには、「人々には自分の死を知る権利があり、それは人の本性として正しいことである」という主張がなされたためである。そしてもう一つは、厳重な箝口令にもかかわらず時間停止に関する情報が漏れはじめ、もはや隠しとおせるものではなくなったためでもあった。

 政府は時間停止に関する予測が九十九%の確度で正しいこと、それを防ぐ手段は存在しないこと、世界の滅亡に際しては誰もそのことに気づきさえしないだろう、という発表を行った。眠りに落ちる瞬間を知覚できないように、誰も時間の停止を知覚することはできない。その時には、知覚そのものが停止しているのだから。

 この「世界滅亡宣言」のあとで政府が行った基本的な対策は、死の瞬間まで今まで通りの生活を行う、というものだった。行政、立法、司法、あらゆる社会活動は従前の機能と役割を有する、と。

 そして人々には、「世界の死までの一週間」という時間が与えられることになった。

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