世界の終わりに見る夢は

安路 海途

(向坂 茜)星降る荒野で

 向坂茜さきさかあかねは夢を見ていた。

 夢の中には赤茶けた、何もない荒野が広がっている。降るような星の下で、鉄床みたいに平らな大地が地平線まで続いていた。そこには生命の気配はなく、その兆しもなかった。そこはすべてのものが死んでしまった世界だった。

 荒野の真ん中には、彼女と少年が二人でいるだけだった。それは彼女より少し背は高いが、同じくらいの年齢、体つきの少年だった。

 その少年は何だか、とても悲しそうな顔をしていた。薄い紙が、下の紙の色を透かして浮かびあがらせるみたいに。

 だから、彼女は訊ねてみた。

「あなたはどうして、そんなに悲しそうな顔をしてるの?」

 その問いに、少年はしばらく黙っていた。ちょっと長めの髪をした、整った顔立ちの少年だった。その表情はきれいな砂浜に転がる貝殻みたいな、そんな繊細さをしている。

 やがて少年は、おもむろに答えた。とても静かな、風の囁くみたいな声で。

「世界は死んでしまったんだ」

「……世界が?」

 彼女はまわりを見渡してみた。確かに、そこには世界と呼べそうなものはどこにもなかった。家も、車も、犬小屋さえもなかった。風さえ、この世界には吹いていない。

「どうして、世界は死んでしまったの?」

 彼女は不思議そうに訊ねた。

「人はもう、夢を見なくなってしまったんだ」

「人が夢を見なくなったから、世界は死んでしまったの……?」

「そうだよ」

 少年は同じように静かな声で言った。

「夢を見ずに、世界は生きてはいけないんだ。でもそのことを忘れてしまって、世界は死んでしまった」

 少女と少年は、しばらく黙っていた。世界には何の変化もなかった。物音一つしない。彼女は足元の小石を一つ、蹴飛ばしながら訊いた。

「……それはやっぱり、悲しいことなのかな?」

「うん、悲しいことだよ」

「本当に?」

「この世界から悲しみさえなくなってしまうのは、悲しいことだよ」

「うん――」

 彼女はもう一つ、小石を蹴飛ばした。

 そうこうするうちに、地平線が滲んでいくみたいに、かすかな明かりが射しはじめていた。夢はもう終わりに近づいていた。

「わたし、そろそろ行かないと」

「うん」

 少年は簡単にうなずいた。それが彼女には、何だか残念だった。少しくらい、悲しんでくれればいいのに……

「わたし、またあなたに会えるかな?」

 彼女が訊ねると、少年は答えた。小さな笑顔を浮かべて。

「君がそう、望みさえすれば」



 ――夢だ。

 わたしはそう思いながら、ベッドから身を起こして、机の上の眼鏡をとった。眼鏡をかけると、海の底から浮かびあがるみたいに視界がクリアになる。

 部屋の中はまだ薄暗い。六時前というところだろう。薄いパジャマにはちょっと肌寒くて、空気は誰かが平らにみたいにしんとしている。

 カーテンを開けると、空は淡く色づいた花びらみたいな薄紫に染まっていた。もうすぐ太陽が昇ってくる。いつもと同じように、いつもと変わりなく。

 わたしはベッドから起きあがって、小さな鏡台の前に座った。その鏡台は中学にあがったときに、母が買ってくれたものだ。「女の子なら」と母は言った。「自分の手入れくらい、自分で出来るようにならないとね」

 その頃のわたしはといえば、ろくに鏡なんてのぞいたこともなく、髪をとかすブラシさえ持っていなかった。わたしにとって、世界は単純だった。朝が来て、夜が終わる。一日がはじまるたび、わたしはいつも何か新しい発見をした。

 でもこの鏡台がやって来ると、わたしは嫌でも自分というものについて考えるようになった。神様がある日突然、「光あれ」と宣言したみたいに。以来、高校生になる今日まで、この鏡台を使い続け、わたしの世界はますます複雑になりつつある。

 のぞき込んだ鏡の中には、当然ながらわたしが映っている。平均より少し低い背丈に、短めに切った髪。何の変哲もない眼鏡の下は、全体に小ぶりな顔の作りをしている。胸は――あまり大きくはない。ちょっと痩せすぎかもしれない。

 わたしは自分の髪に触れてみる。これまでずっと短くしてきた髪だけど、少しのばしてみようかとも思う。似あわないだろうか?

 でも、もうそれも間にあわない。何しろ、世界は終わろうとしているのだ。

 窓の外では、空がオレンジ色に変わりつつあった。太陽がゆっくりと、毎時十五度という角度で昇っていく。

 いつもと同じように――

 いつもと変わりなく――

 でもその時間は、ゆっくりと停止に向かっているのだ。ゼンマイ時計のネジがきれるみたいに、ゆっくりと、でも確実に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る