第36話 国に立つものの責任の取り方は -狂気の終焉-
クラウディア城、王の間。
王座に座っているクラウディア国王の表情は固く、周囲の兵士たちも緊張している様子で空気が張り詰めている。国王の目の前には、ドラグニア国王妃エスメラルダが立っていた。後ろに二人の従者を連れて、その表情はクラウディア国王とは逆に笑みさえ携えている。
「クラウディア国王よ。本日拝謁を賜ったのは他でもない、貴殿に確認したいことがあったためだ」
「確認とは、如何なことか。シンシア嬢ならばまだ牢に繋いである」
ぴくりとエスメラルダの眉が動く。二人の従者はちらりと目配せし、頷きあった。
「……ここ数日の間に、二人……否、正しくは三人。ドラグニアの子が殺された」
「……何?」
クラウディア国王は訝しげに眉を潜める。
「それをワシに話すと言うことは……我が国の兵士の仕業だと?」
「兵士、ではない。だが貴殿の国のものが手を下したのは間違いない」
「証拠はあるのか」
「そのものたちはクラウディア国のある人物を監視していた。連絡が途切れ捜索を行ったところ、無残にも切り裂かれていたよ」
エスメラルダの言葉の真意を測りかね、クラウディア国王は小さく唸る。
彼が欲しいのはドラグニアの兵力であって、わざわざ煽るような真似はしない。アンジェラとシンシアを利用する作戦は失敗したものの、これからまたシンシアを使ってなんとかドラグニアとの縁を結べないものかと考えていた。ドラグニアの炎の加護は恐ろしいほどの力を持っている。人を殺め街を燃やした罪人であるシンシアならまだしも、監視程度のことでドラグニアのものに危害を加えたりなどするはずがなかった。
クラウディア国王が兵士たちに視線を向ける。だが兵士たちも戸惑い、首を降ったり捻ったりしていた。
「監視を行っていた兵士が二人。あと一人は……シンシア・ビアズリー」
「――なんだと?」
エスメラルダの言葉に、クラウディア国王が目を見張る。エスメラルダは冷たい表情を浮かべて、淡々と言葉を紡いだ。
「クラウディアとソールの国境付近の街で、シンシア・ビアズリーは殺された。他の二人と同じように、切り裂かれてな」
「馬鹿な! あの娘はまだ牢に繋いで……おい誰か、牢を確認して来い!」
「そ、それが、……」
兵士の一人が視線を泳がせ、青い顔で言う。
「お、王子の……ランドルフ王子のご命令で、……すでに、牢には……」
国王は驚愕に目を見開き、勢い良く立ち上がった。額から汗を滲ませて、手を震わせている。
エスメラルダは「ある人物」を監視していたと言った。そしてシンシアは「王子」の手によって牢から出され、そして殺された。
「まさか……そんなことが……」
「ないとは言えぬはずだ、クラウディア国王。ランドルフ・オルブライトの狂気に気づかないほど愚かではないだろう。あれは先日、ドラグニアにも訪れた。アンジェラ・ヴァレンタインを求め、転移石を用いて。いくつか言葉を交わしたが、話にならなかった」
クラウディア国王がぐっと言葉に詰まる。
息子がすでに狂気の住人であることはわかっていた。シンシアとの結婚を促したときのランドルフの様子は尋常ではなく、実の息子ながら寒気すら覚えるほどの冷たい目をしていた。だがそれもきっと、アンジェラを取り戻せば元に戻るものと考えていた。ランドルフはしきりに自分たちは両想いだと語っていたために。
「ランドルフ・オルブライトはシンシア・ビアズリーを殺し、そして次にはソール国の王女にも刃を向けた」
エスメラルダの背後にいる兵の一人が、唇を噛んだ。
「幸い深い傷ではなかったが……ランドルフ・オルブライトはその後、アンジェラ・ヴァレンタインを誘拐した」
「な……」
「クラウディア国王。貴殿の息子が我が国の子を三人手にかけ、そして私の姪であるアンジェラを攫った。この責任をどう取るつもりか、聞かせていただこう」
凄みのあるエスメラルダの声にクラウディア国王は青褪め、ぶるぶると唇を震わせた。
その瞬間である。
ぼうっ、と炎が空を舞い、王の間目掛けて落ちてくる。兵士たちは慌てふためき、エスメラルダは満足げに口角を上げた。
炎に包まれていたのは、アンジェラとアーノルド。アーノルドがアンジェラをしっかりと抱きしめて、二人はエスメラルダたちの前に降り立った。直後、階段の上から喚き声が聞こえ、その場にいた全員が顔を向ける。剣を手に恐ろしい形相のランドルフが、階段を駆け下りてきた。
「アンジェラぁあぁああ!」
エスメラルダの後ろから、兵の一人が飛び出す。ランドルフが闇雲に振り回している剣を、勢い良く弾いた。ランドルフの表情が益々歪んで、その兵に向かって剣を振り下ろす。さらにもうひとりの兵が飛び出し、強く床を蹴ってランドルフの脇腹目掛けてドロップキックを決めた。
「――よくも、わたくしのドレスをダメにしてくれましたわね!」
ドロップキックの勢いで軍帽が落ち、金色の髪が溢れる。マリアベルが眉を釣り上げ、仁王立ちしていた。
「姉さんだけでなく、マリアベルも傷つけたお前を、おれは許さない!」
もうひとりの兵は、ローレンスだった。剣を構え、マリアベルの攻撃で態勢を崩したランドルフを睨みつける。アーノルドもすぐにアンジェラを下ろして背中に庇い、剣を持ち直した。
「どいつも、こいつも……下衆の、ゴミクズ共が……っ!」
ふらりと立ち上がったランドルフは、ぺっ、とつばを吐き捨てて剣の柄を握りしめる。とうに正気ではないその目は、ほとんど焦点が合っていない。彼の目に映るのは妄想の中のアンジェラと、その他の害悪。
「お前らのようなゴミがいるから、アンジェラが戻ってこない。アンジェラは僕のものなのに、僕の花嫁なのに、なぜ僕の隣にいないんだ? そいつらが邪魔をするからだろう、アンジェラ! きみに群がる全てのものを殺して、きみと僕だけ在ればいい!」
「もういい加減にして! あなたの愛した、あなたを愛していると言ったアンジェラはもういないの!」
「きみはそこにいるじゃないか、アンジェラ! 今すぐ助けてあげるよ、きみには僕しかいないのだから!」
楽しげに笑いながらアンジェラを求め、そして剣を振るう。正気ではない息子の様子を、クラウディア国王は初めて目の辺りにした。
狂気を宿した目であったことは覚えている。だけれどまさか、これほどまでに……これほどまでに、壊れてしまっていたとは。
「……この……バカ息子が……!」
クラウディア国王は眉を吊り上げ歯を食いしばり、それから大股で兵士の一人に歩み寄ると剣を奪った。アーノルドたちと打ち合っているランドルフに顔を向け、一つ深呼吸をする。
「あぁもう、邪魔だなぁ! クズはとっとと死んでくれよ!」
ランドルフが勢い良く刀を振り上げたのと、クラウディア国王が剣を払ったのはほとんど同時だった。
国王の剣は、ランドルフの――息子の背中を、大きく切り裂いていた。ぱぁっ、と血が溢れ、ランドルフの身体が床に倒れる。彼は自分自身に何が起きたのかわかっていなかった。
「……あ、……え……? あ、……アンジェ、ラ……」
うつ伏せに倒れたまま顔を上げて、アンジェラの姿を探す。ようやく見つけたアンジェラの表情はひきつり青褪め、視界を塞ぐようにアーノルドがアンジェラの身体を抱き寄せていた。
なぜ。どうして。
意味がわからない。
アンジェラは僕のものなのに。僕の花嫁なのに。
国王が血に塗れたランドルフに歩み寄る。その姿を見下ろして、眉を寄せて言った。
「ランドルフ・オルブライト。貴様はこれより廃太子とする」
短くそれだけ言うと国王は手を上げ、兵士に合図を送った。兵士たちはすぐに駆け寄り、ランドルフの止血を始める。濁った空色の瞳は結局、光を取り戻すことはなく。実の父親に斬られても尚その思考は、アンジェラにだけ向いていた。
誰も一言も発さずに、兵士たちが動き回る音だけが聞こえる。
その中でアンジェラは一人、アーノルドの腕に抱かれたまま、声を殺して泣いていた。
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