第37話 これからのこと -王族として-

「エスメラルダ王妃、並びにアンジェラ公爵令嬢。そしてソール国の王子王女よ。この度は愚息が、大変な迷惑をかけた」


 ランドルフを下がらせたクラウディア国王は、深く頭を下げた。エスメラルダ以外の四人は国王が頭を下げたことに動揺し、視線を交わし合う。


「全てはワシの監督不行き届き。まさかあそこまでとは……」

「クラウディア国王よ。子は親を見て育つものだ。ランドルフ王子があのようになったのは、貴方の生き方や思考にも問題があるのではないか」


 国王は眉をぴくりと動かし、エスメラルダを見やった。


「野心家、大いに結構。自国のためにさらなる力を求めることは決して悪ではない。だが――学びもせずにただ強大だからというだけでその力を得ようとする姿勢は非常に不愉快だ。貴方はなぜ過去、竜族が国一つを消すにいたったのか、その理由も知らないだろう」


 遠い過去。誰もが曖昧なまま知る、竜族が起こした事件。


 アーノルドは無意識に隣に立つアンジェラの肩を抱き寄せた。アンジェラが顔を上げると、アーノルドは真剣な眼差しでクラウディア国王とエスメラルダ王妃を見ており、彼がエスメラルダの言葉の意味を理解したのだと知る。


「一つ言えるのは……場合によって私は過去の竜族と同じことをこの国に起こしていただろう」


 アンジェラやローレンスに万が一のことがあれば、ランドルフに同調するようなことがあれば。エスメラルダは迷いなく、クラウディア国を見放していた。


「……返す言葉もない。王妃の言う通りワシはただ、竜族を利用することだけを考えていた。竜族を理解するつもりなど毛頭なかった。強大な力を持った化け物……そう思っていたのだ」


 エスメラルダが瞳を細める。国王は話を続けた。


「だが、どうだ。実際の化け物はどちらだったのか。――ワシの息子は醜悪な化け物に成り果てた。だから斬った。王としてあれを後継者と認めるわけにはいかぬ、あのままランドルフが王位についていたのならこの国はすぐに滅びただろう。……殺すほど強く斬り込めなかったのは親の弱さだ」


 傲慢に振る舞っていた国王の姿はもはや、見る影もない。心を壊した息子の姿にはさすがのクラウディア国王も心を傷めていた。

 聡い子であると思っていた。冷静で情熱的で強かでーー国の上に立つに相応しい息子であると。それが実際彼は、危うく国を破滅に導くところであった。アンジェラに恋をし、アンジェラだけを欲していた空色の瞳には、クラウディア国の未来など見えていない。

 ふぅ、と息を吐き出し、エスメラルダはアンジェラを見た。アーノルドに寄り添って佇む彼女に、静かに声をかける。


「アンジェラ。お前からも王に何かあるか。お前にはその権利がある」


 アンジェラが顔を上げると、クラウディア国王は深く頷いた。アーノルドの手がそっと離れ、アンジェラは一歩前に出て一礼する。


「……ランドルフ・オルブライトの所業については……私はもう全て忘れます。彼ごと全て、忘れるつもりです。あの人が未だ私を愛しているというのなら、それが一番の罰になりますから。今後の彼のことは全て、クラウディア国王陛下にお任せいたします。どんな結果になろうと、陛下を責めたりはしません。……ランドルフ・オルブライトは……狂気に呑まれたくさんの罪を犯しました。けれど一番最初に罪を犯したのは……我が国の、竜族の一人です」


 シンシア・ビアズリー。彼女が事件を起こさなければ、アンジェラもランドルフも、壊れることはなかった。


……だとしたら今隣に立っていたのは、アーノルドではなく……?


 そう考えて、アンジェラははっと目を見張った。もしかしたら、そうでなかったのなら。あの事件が起こらなかった世界線のことを考えてみても、自分の隣にランドルフが立っている姿は想像できなかった。砕け散った感情は、二度ともとには戻らない。アンジェラの心がランドルフに向くことは、二度とない。


 穏やかで優しい笑みを携えた紫紺の瞳が、アンジェラを見つめている。

 アンジェラを一瞥したエスメラルダはクラウディア国王に向き直り、深く頭を下げた。


「罪を犯した我が国の子はもういない。シンシア・ビアズリーの罪は私が必ず償おう。故意でなくこの国が危険に陥ったとき……ドラグニア国はクラウディア国を守ることを誓う。エスメラルダ・グレース・ドラグニアの名に置いて」


 クラウディア国王の手に力が入る。ランドルフと同じ空色の瞳には深い後悔が滲んでいた。


「あの街がなくなったことすら、ワシは竜族を利用する理由が出来たとしか思っていなかった。そんな大層な誓いを立ててもらうなど恐れ多い。……ただ、叶うなら……ワシに、我が国に、竜族を知る機会をもらえぬだろうか」


 竜族を知ろうとしなかった国王は、誤った知識で取り返しのつかないことをしてしまうところだった。そして息子はさらに心を病み、もはや治すことも難しいだろう。


「少しでも竜族を知っていれば、未来は変わっていただろう。今さらかもしれぬが、どうか……」


 真摯な眼差しの空色に、アンジェラはエスメラルダへ視線を向ける。王妃はこく、と小さく頷くと表情に笑みを携えて言った。


「物事を知るのに、タイミングや時期など気にすることはない。あなたは知ろうとしてくれた。それだけで大きな一歩だ」

「そう、言ってくれるのか」

「私はこれからのこの国を見よう。あなたのその言葉に嘘偽りがないことを見せてくれ。私は竜族の王妃である立場上、酷く疑り深い。あなたの言葉の裏にあるものが以前と変わらぬものであれば、この国との縁はそれまでだ」

「あのようになってしまったランドルフを見て心を変えぬほど、鬼ではない。国を広げたいがため、前王より多くの力を得たいがため周りが見えておらなんだ。だから息子はあのように……何を言ってももう遅いが、ワシはクラウディアの王だ。守るべき民がいる。改めて己の欲を捨て、国のために尽力すると誓おう」


 エスメラルダの笑みが深まり、ゆっくりと深く頷く。


 アーノルドは国王と王妃のやりとりとじっと見つめて、難しい表情を浮かべた。気づいたマリアベルが不思議そうな表情を浮かべるがその場で尋ねることはせず、エスメラルダたちの話が終わるまでは誰一人言葉を紡ぐことをしなかった。




 









 エスメラルダはその後国へと戻り、アンジェラたちは再び国境付近の街までやってきていた。

 クラウディア国王からはあのあと、ソール国に詫びの書状を送る旨を伝えられた。ソール国の国王たちは現状を知らないため必要ないと答えたが、けじめであると押し切られた。

 国境付近の街で、以前とは別の宿に身を寄せたアンジェラたちは四人でテーブルを囲み食事を済ませたあと、お茶を飲みながら話し込んでいた。


「クラウディア国王、この前会ったときはなんだこのクソ野郎って思ったけど、そんな悪いやつじゃなかったんだな」


 そうね、とアンジェラが頷く。


「あの宿屋の女将さんや、この街のひとたちを見て思ったの。国政に不満を抱いているようでもなかったし、以前私が滞在していた街のひとたちはとても穏やかだったわ。……多分国王も、国の力を得ようとする余り心を壊しかけていたのではないかしら……そうでなかったら、自分が竜族を兵器や道具だと思っていた、だなんて口に出さないと思うの」

「アンジェラもランドルフ王子も、国王様も……何か一つに心を寄せすぎてしまうと、バランスが取れなくなってしまうのですわ。バランスを崩した心は少しのきっかけで崩壊して……狂気に囚われてしまう」

「あれ? でもさ、アーノルドも姉さんにばっかり心を寄せてると思うんだけど」

「え?」

「えっ」


 アーノルドとアンジェラは同時に声を上げて顔を見合わせた。どちらかともなく頬を紅潮させる様子に、マリアベルがにんまりと瞳を細める。


「確かにそうですわね、なんたって十数年の片想いですのよ。兄様もお気をつけあそばせ」

「いや、オレは大丈夫だよ。そりゃ確かにずっと片想いしてるけど、一度失恋もしたし、だからこそっていうか……っていうかランドルフみたいなことになったら、アンジェラに嫌われちゃうじゃないか! そんなの絶対嫌だ!」


 至って真面目な表情ではっきりと言うアーノルドに、アンジェラは両手で顔を覆った。アーノルドの愛情表現が素直なのはとっくにわかっていることだが、どうしたって照れるし恥ずかしい。


「アーノルドは絶対大丈夫な気がするなぁ、おれ」

「まぁ、そんなことがあればこのわたくしがぶっ飛ばしてさしあげますわ」


 エスメラルダ王妃とも約束しましたし、とは口には出さず、マリアベルが得意げな表情を見せた。そしてふと、先程の兄の表情を思い出す。


「そういえば兄様。先程エスメラルダ王妃たちの会話を随分真面目な顔で聞いていましたけど、どうかしましたの?」

「……あぁ、」


 アーノルドも思い出したように表情を引き締めた。


「圧倒された、と言うか……王族たるものの姿っていうのかな。あの二人の姿勢に、そういうものを感じて。オレも王族だから、両親のことも見てきたし、それなりにわかっているつもりだったけど……まだ全然ダメだと思ったんだ」


 思い詰めるような表情で、拳を強く握る。


 エスメラルダ王妃も、クラウディア国王も。確かに王族なのだと、はっきり理解した。国を背負う覚悟、民を守る覚悟。それがはっきりと見えている。


「オレは小さい頃にアンジェラに一目惚れして……それからずっとアンジェラを探していた。社会勉強だと言えば両親はオレに自由を与えてくれたし、アンジェラを探す中でそれなりの知識もつけてきたつもりだった。……でも、本当……全部、つもり、だったんだ。オレはまだたくさん勉強をしなきゃならないし、そのためにはもっとソール国に携わらなければならない」

「兄様……」

「王妃や国王だけじゃない。アンジェラ、きみが竜族の公爵令嬢として強くあろうとする姿も、オレにはとても眩しかった。きみにばかり夢中になって、色んな部分がおろそかになっていたと気づいた。……きみと共に歩いて行きたいと思っているのに、これじゃあ全然、力不足だ」


 王族の在り方を目の当たりにして。竜族の炎の加護の真意を理解して。彼女の隣に並ぶにはあまりに未熟だった。


「アンジェラ。オレは正直、きみのためなら王位ぐらい平気で捨てられる。でもきっとそんなことをしたら、きみはオレを軽蔑するだろう?」

「……王族に生まれたものとしての責任を放棄するというなら、そうね」

「きみのために何もかもを捨ててしまうのはきっと、ランドルフと同じだ。……だから、……ずっと、考えた。どうしたらいいのか、どうするべきなのか」


 アーノルドの言葉を、三人は静かに聞いている。三人のその瞳に、不安の色はない。彼が導き出す答えを、疑っていなかった。


「ソール国に戻ったらオレはもう一度、やり直そうと思う。社会勉強はもう充分した。だから次は、王族としての勉強だ」

「兄様、それは……城に留まると言うことですの?」

「あぁ、そうだ。両親――国王と王妃に、ソール国の王子として鍛え直してもらう」


 でも、と、マリアベルは視線を動かした。彼女が言いたいのは、アンジェラのことである。王族として城に留まるということはつまり、今までのようにアンジェラと長い時間を共に過ごすことはできなくなる。まだ「妻」ではない、竜族の令嬢を特別扱いすることは出来ないのだ。


「姉さんは……姉さんは、どうするんだ?」


 マリアベルに変わって、ローレンスが尋ねる。彼もアーノルドの想いはよく理解していた。その上でアンジェラをどうするのか、と問いかけた。


「……アンジェラ。オレに少し、時間をくれないか?」

「時間……?」

「鍛え直すだけの時間。半年か、一年か……その間、待っていて欲しい。――あ、あの、できれば、恋人とかも作らないでいてくれると嬉しい」


 付け足された一言にがくりとなったのはマリアベルである。どうにも兄は、こういう部分で締まらない。だけれどそれがアーノルドの愛すべき点なのだと、アンジェラも理解していた。


「どうかしら」

「えっ」

「恋は突然落ちるものよ。だからどうなるかわからないわ」

「そ、そんな」


 慌てふためくアーノルドの様子に、アンジェラはくすくすと楽しげに笑う。アーノルドの瞳は、アンジェラに見惚れていた。


「私はソール国の街でしばらくの間、平民として生活するつもりでいるの。私にはまだまだ社会勉強が必要だもの。……だから、アーノルド。一週間に一度、二週間に一度でもいいわ。必ず私に会いに来て。私が恋に落ちていないか、確認してちょうだい」


 アンジェラの言葉にアーノルドはぱちりと目を見開き、マリアベルとローレンスは顔を見合わせて笑った。


「それから、あなたが心変わりをしていないか、私に確認させて。王族としての決意と、それから……私への想いも。あなたの想いが変わらないなら、私は待ち続ける」


 アーノルドは両手で、アンジェラの手をぎゅっと握った。それから愛しい金色の瞳を見つめて、こくこくと何度も頷く。


 変わるはずがない、変わるわけがない。


 王族としての決意は、アンジェラの隣に並ぶための覚悟。アンジェラへの想いは、一生変わることのない深い愛。

 彼の心はやはりどうしても、アンジェラに偏ってしまうけれど。その優しく激しい心が壊れることは、この先もきっとないのだ。

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