第35話 炎の加護は、愛する人を守るために

 ランドルフは迷いなく剣を抜いた。目の前にいる男は自分とアンジェラを邪魔する害悪でしかない。

 アーノルドも剣を抜き、アンジェラを背後に庇う。


「アンジェラ、ここはクラウディア城で間違いない?」

「えぇ、そうよ」

「国王には会ったか?」

「いいえ。ここに連れ込まれてからはランドルフとしか……」


 エスメラルダの読み通りだと、アーノルドは口角を上げる。ならば作戦通り、このままアンジェラと共に王の間まで向かえば良い。そのためにはまず、この憎悪と殺気しか感じられない男をなんとかしなければ……。


「アンジェラと言葉を交わすな、下衆が!」


 ランドルフが剣を振り上げ、アーノルドに襲いかかる。ぎぃん、と音を立ててその剣を受けたアーノルドは、重さに顔を顰めた。ランドルフは決して筋骨隆々というタイプではない。どちらかと言えば細身で、体格もアーノルドとほとんど変わらない。だというのにその一撃は酷く重く、油断すれば力負けしてしまいそうなほどであった。

 力を込めて押し返すも、ランドルフは再び剣を向けてくる。狭い部屋で何度も打ち合うのは危険だと、アーノルドは守りに徹した。

 その攻撃の重さは、明確な殺意のせい。彼は確実にアーノルドの命を狙っている。狂気の国へ身を投じたがゆえに、身体的にも尋常ではない能力を発揮するようになっているのだ。

 だから竜族の兵二人をも殺せたのだろう。

 剣を合わせる二人を、アンジェラははらはらとした表情で見守っていた。ランドルフの狂気は気迫だけではない、その力にも影響している。

 もし万が一、その剣がアーノルドを傷つけるようなことがあったら。マリアベルのように、血を見せるようなことになってしまったら……!


「……ランドルフ王子、これ以上罪を重ねるな……! きみの愛するアンジェラはそれを望んでいない……!」

「貴様がアンジェラを語るな! その口がアンジェラの名を紡ぐことこそが罪だ!」


 再び重い一撃がアーノルドを襲い、下半身に力を入れて衝撃に耐える。腕に血管が浮き出るほど力を込め、無理やり押し返した。


「貴様さえいなければアンジェラは僕の言葉を聞き入れるんだ! 貴様がアンジェラを洗脳してなければ!」


 アンジェラは両手をぎゅっと握り締め、唇を噛む。

 もう、誰の声も彼には届かない。彼はこれからもアンジェラを求め、ひとを殺めようとするだろう。アンジェラの大切なひとを、奪おうとするだろう。


「貴様が、貴様がアンジェラを奪った! 僕のアンジェラを、貴様が!」


 刹那、ランドルフはわざと力を抜いた。アーノルドの身体がバランスを失い、隙が出来る。狂気の王子はそれはそれは醜い笑みを浮かべて、再び剣を振り上げると一気にアーノルドめがけて振り下ろした。


「アーノルド!」


 床を強く蹴って飛び出したアンジェラの姿に、アーノルドは目を見張る。ランドルフもはっとするが、剣を振り下ろすスピードはもう、止められない。アーノルドの前に躍り出たアンジェラに向かって剣は振り下ろされた――が。


 その剣はアンジェラの身体を切り裂くことはなかった。


「あ、……アンジェラ……」


 彼女の身体は炎を纏っていた。彼女だけではなく、アーノルドの身体をもその炎は包み込んでいる。


「な、なんだ、これは一体……」


 二人を包み込んだ炎は、確かに熱を発している。だけれどその中にいる二人は何ともないという顔をしており、ランドルフの表情が引きつった。


「あなたにアーノルドは傷つけさせない」

「アンジェラ……どうして、どうして、そんな……!」


 狼狽えるランドルフの声を聞きながらアーノルドは、自分を包み込んでいる炎が何であるのか気づく。


「そうか……これが、炎の加護……」


 竜族の炎はひとを傷つけることで自分の身体も傷ついていく。それは炎の誓約によるもので、精霊の加護を戦争に利用させないためのものだ。

 加護の力は、守る力。竜族に与えられた炎の加護は、自分を、大切なものを守るためのものなのだ。


「これが最後の忠告よ、ランドルフ。もしあなたが私の大切なひとを傷つけると言うなら……私はこの身が傷ついても、あなたを燃やし尽くす」

「ばっ……馬鹿なことを言うな、アンジェラ!」


 反応したのはランドルフではなく、アーノルドだった。すぐにアンジェラの前に出てランドルフに向き直り、ちら、と視線だけをアンジェラに向ける。


「きみがまたあんなふうに傷つくのなんか、オレは嫌だ!」

「私だってあなたが傷つくのを見るのは嫌よ!」


 アンジェラの言葉に、胸がぎゅっとするアーノルドである。だけれど今は、それに悶えている場合ではない。虚ろな目で腕をだらりと垂らしたランドルフは、殺気をなくしていない。アンジェラの言葉で一瞬だけ、怒りよりも悲しみの衝動が強くなっただけであった。


「アンジェラ、走るぞ!」


 アーノルドはそう叫ぶと、アンジェラの腕を引いて走り出した。一瞬にしてランドルフの横をすり抜け、部屋を飛び出す。ランドルフは一瞬動きを止めたが、すぐに表情を険しくし二人を追いかけた。


「ふざけるな、貴様ァアア!」


 鬼気迫る表情に、アンジェラの背筋にぞっとしたものが走る。

 ランドルフのあの感情が愛だとはとても思えなかった。恐ろしいほどの執着――ただ、それだけ。

 追いつかれるわけにはいかない。捕まるわけにはいかない。アンジェラはキッ、と前を向いて、アーノルドに声をかけた。


「アーノルド、お願いがあるの!」

「え、何!?」

「私を抱えて、飛んで!」

「え、飛ぶ!? 飛ぶって、」

「下り階段で追いつかれる可能性があるわ、だから飛ぶの!」


 アンジェラが囚われていた場所は、城の上の位置にあった。王の間にたどり着くまでに、いくつもの階段を降りなければならない。だから飛べと、つまりは飛び降りると彼女は言っていた。


「――わかった、信じるよアンジェラ!」


 アーノルドは手にしていた剣を鞘に戻し、アンジェラの身体を抱き上げると柵に乗り上げた。吹き抜けになっており、随分下に王の間があるのがわかる。アーノルドは冷や汗を浮かべて、ごくりと息を飲む。ランドルフはすぐそばまで来ており、迷っている暇はない。


「アンジェラぁぁああ!!」


 ランドルフの叫びが、アーノルドの背を押した。

 あれにアンジェラを渡すわけにはいかない。もう二度と、何があっても。

 アーノルドは柵を蹴り、その身を宙に放り出した。アンジェラの身体を強く抱きしめ、目を閉じる。


「大丈夫……大丈夫よ、アーノルド」


 優しい声に、胸が詰まる。勢い良く落ちるかと思っていた身体は、先程同様炎に包まれて浮いていた。


「す、すごいな、炎の加護は……」

「これが正しい力の使い方よ。炎の加護は、守るための力……」


 大切なひとを、愛しいひとを。

 アンジェラの心は満ちていた。この力で彼を守れたのだと、安堵していた。

 二人を包んだ炎は、そのまま王の間へと降りて行く。ランドルフは何事か喚きながら階段を駆け下りていた。


 王座に座ってエスメラルダ王妃と対峙していたクラウディア国王は、急に降ってきた炎と息子の喚き声にはっと立ち上がる。兵士たちがざわめく中、エスメラルダとその後ろにいる二人の兵だけが笑っていた。


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